野町和嘉さんと、高知とインド

 週末、写真家の野町和嘉さんとの対談のため、高知まで行ってきた。
 現在、高知県立美術館で、野町さんの大規模な展覧会が行われている。来年の4月に、同じものが、東京都の写真美術館で開催される。
 高知県は、生まれて初めて行った。海の気配をいっぱいに感じ取れる世界だと想像していたのに、山が多くて驚いた。
 空港から高知市に向かう途中、山を切り開いて宅地開発し、家がひしめきあっている異様な光景があった。山の周辺は、長閑な田んぼがひろがっているのに・・。
 地元の人に聞くと、高知の人は、山をきりひらいて家を建てるのが好きなんだよ、ということだが、本当かどうかはわからない。
 ただ、人間が住める平らな土地が非常に少ないという気持ちは、この土地に生きる人のなかに、ずっと育まれていたことは確かで、山を切り開くこと=人間の住める土地が増えること、という感覚があるのかもしれない。
 また、高知県は、面積は広いものの、県全体の人口は僅か78万人程度で、その4割が高知市に集中していて、二番目の都市である南国市が5万人でしかないという極端な人口分布だ。
 この高知県の三原村というローカルな場所で、世界的な写真家、野町和嘉さんが育った。
 高知市に滞在中、「日曜市」に行ったら、路上に、野菜や植木や様々な物が並び、規模は小さいけれど、アフリカなどの路上マーケットのような雰囲気があった。
  しかも、あまり商売熱心に声をかけてこない。ただ置いているだけで、こんなので商売になるのかなあ・・と、別に商売にならなくてもいいのかなあ・・と、思った。
 イスラムのバザールとか、輪島の朝市とかに行くと、みんな熱心に商売に励んでいるが、アフリカとか、パプアニューギニアで、ただ野菜とかを並べて置いているだけ、という、のんびりとしたところがあって、高知の朝市には、そのような風情があった。そして、こうした営みは、おそらく百年前も、一千年前も、同じような感覚だったのではないかと思うところがあった。
 野町和嘉さんは、アフリカ、中近東、南アメリカ、中国全土、そして新作のインドと、世界の果てまで旅をして写真を撮ってきたが、目先の新しさではなく、一貫して、年月を経ても変わらないものを撮り続けている。徹底的に根元的なものと向き合うスタンスが、今日の社会で、とても鮮烈で、新しいものに感じられる。
 このたびの野町さんの写真展で、インドの新作が発表された。サハラやアフリカ中央部、チベットなどの秘境・辺境の写真は、野町さんがパイオニアだ。今まで誰も見たことのないような鮮烈なイメージを野町さんがとらえ、その後、多くの写真家が続いた。
 しかし、インドの写真は、これまで多くの写真家が撮ってきた。そのなかで、野町さんならではの世界がどのように生まれてくるか、個人的には非常に興味があった。
 6年ほど前、野町さんに、「野町さんが撮ったインドを見てみたい」と言った時、野町さんは、「インドは、ちょっと手に負えない」と答えた。
 メッカの大巡礼の写真を撮った世界で唯一の写真家である野町さんですら、「手に負えない」国が、インドなのだ。自分に都合よくインドと接するのは誰でもできるが、インドという国の本質に深く迫ることは、並大抵のことではないのだ。
 そんなインドに野町さんが取り組み始めたのは、幾つかの偶然が重なっている。
 その一つ、野町さんは意識していなかったが、私は、9.11テロ事件が潜在的な影響を与えていると思っていて、昨日のトークでそれを確認したら、ご本人も、そうかもしれないと答えていた。
 野町さんは、誰よりも深くイスラム世界と付き合ってきた。そして、9.11テロが起きた。一部の過激派がそうした行動に出たのであって、多くのイスラム教徒の穏やかさを、野町さんはよくわかっている。それでも、イスラム教それじたいが持っている厳格さ、頑なさというものもある。そして、その頑なさは、キリスト教にもある。イスラム教とキリスト教の一歩も譲らない頑なな対立のなかで、それに変わる価値観が今日の世界に必要ではないかと、敏感な表現者ならば感じて当然だろう。そういうことに無頓着(表現のなかにそれが直接現れるかどうかは別にして)で、私事に耽溺している表現者を、私はあまり信じられない。
 野町さんは、インドに通い始めて、インドのアバウトさ、寛容さ、懐の深さに惹かれていったらしい。もちろん、インドにも様々な問題がある。世界中に影響力を持ち始めたIT産業のように、変化の激しいところもある。貧富の差も甚だしい。
 ただ、「多様性の尊重」ということが、良識的だけれども頑固で譲らない態度の主義主張から発せられるものではなく、隅々まで、緩くのびやかに行き渡っていることに、なんとも言いようのないくつろぎを感じたのだと言う。
 例えば、店のなかに巨大な牛が入り込んで座り込んで寝そべっている。商売の邪魔だからと言って、追い出したりしない。ガンジスの岸辺で、犬が人間の死体を食っている。その犬が、ベナレスの町中で、人間と一緒になって焚き火の前で暖をとっている。人間と生き物の境界がまるでない。生と死の境界もない。
 ベナレスまで臨終の母親を連れてきて、沈痛な面持ちで、でもどこか誇り高く看取りをしている親族は、写真家の野町さんを快く迎え入れて、写真を撮らせる。
 片手をあげたまま20年以上暮らしているサドゥ(修行者)は、欧米人や日本人から見れば奇怪極まりないが、そうした生き方に対して、インド人は心から敬意を抱いているように見える。
 等々、インド世界において、おそらく、数百年、数千年変わらなかった世界を野町さんは撮っている。そして、その中心にあるのが、家族だ。
 野町さんは、「宗教」という言葉を「家族」という言葉に置きかえればわかりやすいと言う。 
 つまり、世代を超えて代々と受け継いでいくものとして、宗教も、家族もある。自分の救済のために過激に走ることが宗教ではないのだ。
 これまで多くの写真家が撮ってきたインドの写真は、自分探しの延長にあるものが多かった。また、私たち現代人が忘れてしまっている「死」を再認識し、自分の価値観を疑うというものも多かった。もしくは、混沌とエネルギッシュなイメージで伝えていくものが多かった。それらは、街に佇み、もしくは歩き回り、目に付いた印象的な風景を切り取るという行為で、それが人よりも上手いか下手かということだった。
 もちろん野町さんは、抜群に写真が上手い。しかし、ただそれだけでない。彼の写真の新しさは、単なる文明批判ではなく、現在蔓延している価値観に変わるものを美しいイメージで伝えていることだ。そして、その美しさの中心に家族の営みがある。それをきちんととらえるために、野町さんは、家族のなかに深く入り込んでいる。といって人々の明るい笑顔ばかりを撮っているのではない。人々が当たり前のように繰り返している営みとか、人生の節目として、たとえば身内の死に向き合う人々の態度とか心情といったものが、美しく克明に捉えられている。

 野町さんの写真に出てくる人々の表情は、誰しも本当に美しい。今日の日本社会の、美人 とかイケメンとかの価値付けが本当に薄っぺらくバカらしくなるほど、美しいのだ。

 老いも若いもない。裸であろうが、ボロを着ていようが、関係ない。表情そのものが、時には厳かで、時には慈愛に溢れ、時には天真爛漫で、美しいのだ。

 それは、アフリカの写真や、イスラム世界の写真でも同じだった。野町さんは、人間の内面に光を投影して撮影しているように思われてならない。 
 自分の概念やイメージのなかにインドを当てはめようとする人にとって、インドも、イスラムも、日本も根本的に同じだ。物理的な自由や不自由の違いはあるけれど、「インドは手に負えない」という感覚にはならない。
 野町さんは、単なる自己主張としての表現ではなく、といって、単に表面をなぞるだけのドキュメントでもなく、対象の本質をどのように伝えるかに苦心する。だから、「インドは手に負えない」と感じていた。
 イスラム教においては聖地メッカまで、仏教においてはダライ・ラマまで、キリスト教においてはバチカンまで、それぞれの宗教の最深部に近いところまで迫ってきた写真家は世界中で野町さんだけだ。その人だからこそ、インドをとらえることの本当の困難さがわかっていたとも言える。
 そして、数多くの写真家が既に撮ってきて、もはや珍しくもなんともないインドに、野町さんはようやく取り組んだ。それらの写真を見れば、巷に溢れるインド写真の多くが、いかにインドの表面的な部分だけ写しているかがよくわかるだろう。もしくは、ありきたりの文明批判の道具として象徴化する程度のことでしかないことがよくわかるだろう。