逆境だからこそ

 昨日の飲み会で、若い写真家が、素朴に、「厳しい状況だから頑張るんです」と言った。
 なんでもない言葉だけど、妙に、自分の心のなかに、ストンと落ちた。
 「逆境に負けずに頑張る」ではなく、「逆境だから頑張る」。
 確かに、順風の時というのは、大した努力をしていなくても、誰しもそれなりにやっていける。また、平常時においては、いろいろとゴマカシも通用する。逆境だと、ゴマカシがきかない。うまくいかない理由をいろいろと説明して言い訳することもできるけれど、逆境こそ、その人らしさが一番顕れる。その人の真価も発揮される。順風の時や平常時は、自分では頑張っているつもりでも、それは順調に走っているトロッコを大勢と一緒に後ろから押しているか、それに乗っているようなものであって、トロッコが止まった時、すなわち逆境の時こそ、本当に、それを押して動かす力があるかどうかがわかるのだろう。
 トロッコが軽快に走っている時は、それを動かしている仲間になりたいという人は多い。その方が、楽で、爽快感もある。何かをやっているという気にもなれる。しかし、トロッコが止まれば、それは錯覚だとわかる。
 走っているトロッコの上で、頭でっかちに理屈をこねることが上手か下手かという差は人によってあるけれど、理屈のこねあいが通用するのは平常時だけであって、逆境になれば、止まっているトロッコをウンウンと唸りながら押して動かすしかない。手は出さずに、声だけ出していても、狡い処世を身につけるだけで、自分の腕力はつかない。
 とすれば、順風の時や、平常時における他人の評価や好き嫌いなど、どうでもいいような気がする。そうしたものは、おそらく退屈から生じている暇つぶしなのだ。
 様々な表現物や学問にしても、平常時における評価など当てにならない。何でもありという状況のなか、好きか嫌いか、興味があるかないか、などと呑気に言っていられるのは、その表現や学問も、自分の置かれている状況も、抜き差しならぬものではないからだ。
 抜き差しならぬ状態になれば、「やるしかない」「やらざるを得ない」わけで、そういう時、「やるしかない」「やらざるを得ない」と肚に力を与えてくれるものが、表現であれ、学問であれ、人間であれ、他の何かであれ、かけがえがないのだ。たとえ少数であれ、そうしたものをしっかりと見定めて、身のまわりに置いておくことが大事なのだろう。平常時に好印象とか好感度の点数を稼いでいても、何かにぶらさがっているだけのものは、いざという時に、まるで当てにならない。
 そもそも、長い時間のなかで物事を見てみると、ずっと順風の状態が続く筈がなく、いろいろな波があって当然だ。短期的なことは、運によって可能になることも多いだろうが、そういうものは長く続かず、長期的なことは、時おりめぐってくる逆境を乗り越えなければ達成できない。
 人や書物や表現から学ぶべきは、逆境での在り方なのだろう。一生の大半を逆境のなかで過ごした表現者や学者も多いが、後になって、その人の仕事が多くの人の魂を打つのは、逆境だからこそ顕れる本性の在り方が、人間の潜在意識に何かを語りかけるからだろう。
 学校教育も、家庭教育も、平常時にしか通用しないハウツーばかりを仕込むのではなく、「いざという時」の力を醸成することが、人間としてという以前に、生物として大事なのだろう。
 それはともかく、現在、いろいろと学校関係にアプローチをしている。「風の旅人」を四ヶ月に一度の発行にして、その合間に、専門学校や大学や大学院等の学校案内を作って資金を稼ぎたい。現在、5社コンペで勝ち取った介護・福祉学校の学校案内を制作中だ。他に幾つかの大学、専門学校にプレゼンもしている。コンペの結果待ちもある。大学など、「古くから付き合いのある業者に任せています」と、お役所的発想の広報事務のスタッフや、ほとんど癒着といっていいほどの有力者のコネや業者の接待営業もさかんで新参者は門前払いになることも多く、学校というのは、まだまだ平常時にしか通用しない平和ボケした組織だなあと思わざるを得ない。他を犠牲にしででも子供の教育にお金をかけなければいけないという意識を持つ日本人が多くいるから、これまで、各種学校は、世界でも異例な高額な授業料をかすめとって、ぬくぬくとしていられたのだ。

 多くの学校職員および先生は、組織にぶら下がって保身だけ考えているという感じがあるが、それでも、危機感をもって真剣に改革を考えていたり、良い物を作ろうとしていたり、「風の旅人」の内容に関心を持ってくれたりして、プレゼンの機会を与えてくれる人もいる。
 専門学校、大学は日本国内に無数にあるので、めげずにアプローチしていけば、幾つか仕事にありつけるだろうと信じている。
 各校の現状の学校案内を見ると、出来映えに感心するものに出会うことは、ほとんどなく、やらせてもらえるチャンスさえあれば、現状より良いものを作る事はできると思っている。参入は簡単ではないが、今ある案内書の内容自体は未開の荒野みたいに殺風景なもので、フロンティアスピリットを充分に発揮できる場なのだ。
 また、学校案内は、学生に言葉と写真でアプローチして、何らかの形で彼らの未来に関与していくことなのだから、作り方次第で、仕事としても、とても興味深いものになると思っている。
 「風の旅人」が生きのびていくためにも、大学、専門学校、高校との接触は、必ずや力になっていくような気がする。