古来から変わらぬ


 

 あけまして、おめでとうございます。
 本年も、よろしくお願い致します。 


 神代より あなをも白と云ひそめて 笛の音さゆる雪のあけぼの

 「社会は冷たい雪の朝と同じだ。面白く楽しく温かいものにするのは、古来から変わらぬ人間の心の働きである。芸術の尊まれる理由もそこにある。心に余裕のある生活を押し進めること。」

 おみくじの文面は、だいたいいつも、その時の自分の気持ちに即していることが多い。今回も、今の自分の心境にぴったり合った言葉をいただいた。
 2009年は、そういう気持ちでいこうと、思っていたところだった。
 「自然体」に、ではなく、敢えて意識的にそうしていこうと、決めたところだった。
 身の回りをシンプルにして、古来から変わらぬものに、意識的に注意をはらっていこうと思っていた。

 自分は、「現代」のなかに生まれ育ったから、その中だけのことに注意をはらっていたら、「現代」のフレームの外に出られない。
 人間は、自己の限界でしかものを感知できないから、「現代」のフレームの中に閉じこもっているかぎり、その範疇でしか物事が感知できない。それは、ひたすら「現代」をコピーする堂々巡りのなかに陥ることだ。そのなかで、「自然体」を気取ることは、本来の意味での“自然”ではなく、あくまでも、人間の欲求に従って建設された「現代」という狭い枠組みのなかで、“自分の欲求”を大事にすることにしかならないような気がしていた。
 大いなる自然と、人間の“自然体”が調和するためには、「現代」のフレームを超えたところに、意識的に自分を置くしかないと思う。
 現代の教育、価値観に慣されたままで、本来の意味で、“自然体”など、ありえない。そうしたことに、今までの自分は、無自覚だったような気がする。
 なるべくして、ならない。それが、不自然がまかりとおっている現代社会だ。だから、やはり、意識的に、いろいろと修正していきながら、冷たい雪の朝を、面白く楽しく温かいものにしていく努力をしなければと思う。それが、古来から変わらぬ人間の心の働きならば、そこに意識的に戻ることが、これからの人間にとって“自然体”ということになるのだろうと思う。