自家撞着の時代



 

超訳ニーチェ」という本が売れているらしい。

ニーチェの言葉の中から、処世に向いた言葉だけを都合よく抜きだして編集して、ニーチェを知らない人も、わかりやすくニーチェの言葉に触れるようにしたものだ。

 

“あなたの知らなかったニーチェ。今に響く孤高の哲人の教え。”というキャッチで、内容紹介として、以下のような説明がある。

「神は死んだ」という主張やナチズムとの関わりを噂されるなど、様々な伝説に彩られた孤高の哲人だが、実は彼は、ほとばしる生気、不屈の魂、高みを目指す意志に基づいた、明るく力強い言葉を多数残している。

 本書では、それらの中から現代人のためになるものを選別した。心ゆくまで、

あなたの知らなかったニーチェの世界を堪能していただきたい。

 

「自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ」

「今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ」

「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう」

「喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう」

 

 それで、なんだか笑ってしまうのは、下記の言葉も挿入されていること。



 「本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。最悪の読者とは、略奪をくり返す兵士のような連中のことだ。

 つまり彼らは、なにかめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らかし、やがて本の中から自分のつごうにいいもの、今
の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。

 そして彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身の全てであるように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。」



 まあ、こうした処世本自体がニーチェが激しく罵った対象だと思うのだが、そういうことを自覚した確信犯が、こういう本を作っているのか、それとも、その自覚すらない鈍感者なのか。

 ニーチェナチスに利用されてしまったことも、同様に都合よく言葉を切り取られてしまったからだろうし、切り取られて編集されやすい文章を書いてしまったということでもあるのだろう。 本来、否定と肯定を1セットとして、否定と肯定の分別を無化し、ニヒリズムを超えるポジティブなものを伝えようとしているのに、バラ売りされることで、まったく別ものになってしまうことの無念。

 最初から、切り分けられないようなものを作るしか対抗措置はないのだろう。

 バタイユの言葉で、処世本を作るのは、たぶん難しい。