現状を変えていくプロの力


http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/shinsou_top/20120321.html

 昨夜、NHKの特集で「プロ農家は農業を変えられるのか」というドキュメント番組があった。
「値段は高くても、品質さえ良ければ必ず売れる−この信念の元、年商7億円をたたき出す茨城県つくば市の産直市場「みずほの村市場」。飽くなき品質の追求が生み出す野菜や果物は、東京からの買い出し客まで集める人気ぶりだ。2号店に参加した32組の農家は、これまで化学肥料で量産した青果物を安値で農協などに卸してきた。プロ農家を目指して参加したものの、求められる品質には、いまだ届いていない。さりとて、生産コストに合わない値下げは、ここでは御法度だ。農法の全面転換を突きつけられた農家の中には、参加を取りやめる動きまで出ている。」という趣旨のものだった。
 「みずほの村市場」では、水に浮いてしまうトマトは糖分が少ないということで厳しくチェックされて取り除かれるのだが、早速、うちの冷蔵庫にあるトマトを水の中に入れると、かるがると浮いてしまった。水に沈むトマトを食べたいものだ。
 「みずほの村市場」に出品する農家は、品質追求のために努力し、自分の名前を付けて売る。そして、自分の生産物は売り場で必ず試食できるようになっている。試食して美味いと感じられる野菜は完売するし、そうでないものは、まったく売れない。努力がそのまま結果になってしまう非常に厳しい世界。”これが自分のトマトだ”と胸を張れるようなものを作りたいとチャレンジする農家の人の瞳の輝きは、美しかった。
 悲しかったのは、どこかの研究所が作った装置で、マニュアルさえ読めば素人でも簡単に大量栽培ができるという触れ込みに乗せられて、2千数百万円もの借金をして、トマト栽培をしている農家の人だった。
 農協が無利子で融資してくれる好条件だったとテレビの説明があったが、借入金が無利子でも、その装置そのものが高額で、その金額の妥当性がよくわからないのだから、好条件かどうかはわからない。装置購入を判断する際に示されたパンフレットには、出荷量や収入の計算式とかグラフが描かれ、それを使えば農業経営がうまくいくかのように説明されているが、実際にやってみると、専用の肥料などのランニングコストが高額で、さらに装置をメンテナンスするのが大変だ。そして、そこまでの大金を投入した装置で作っても、農協には安値でしか買ってもらえない。また品質も低いので、「みずほの村市場」に並べて直販しようと思っても、まったく売れない。
 農薬と遺伝子改良種子と肥料をセットにして、農家の人を借金漬けにして自殺に追い込むモンサントの悪徳商売のことが、TTP問題に絡めて話題になるが、そこまで酷くないとしても、農協は、巨額のお金を農民や漁民に融資して機械類を購入させ、借金を抱え込んだ農家が農協への依存から逃れられない原因を作っているとも言える。
 二ヶ月ほど前に取材した宮城県牡鹿半島の漁村で聞いたのだが、震災前は、漁師の一人ひとりが船や網など自分の装備を持っていないと恥ずかしいという風潮があり、借金をして装備をそろえ、借金を返すために漁連の管理下で仕事をし続けてきた。が、震災で船や網を失った後は、それぞれが持っているものを持ち寄れば仕事はできると気づいた。それで、漁連から離れて漁を始めようとしたけれど、漁師がかってに動くと、イニシアチブを失うことになる漁連が妨害してきたという。
 農協も同じで、トラクターなどの大型機械類を農協から借金をさせて購入させ、農家を自分の管理下に置く。かつては、流通や加工に巨額のお金が必要だったので、一人ひとりの農家や漁民が独立して仕事をすることが難しく、農協や漁連などの組織に頼らざるを得なかったのだろうと思う。
 しかし、そうしたシステムが肥大化して官僚化し、そこに従属する生産者は、歯車になってしまう。努力した人もそうでない人も一緒くたになって、農協トマトとし出荷され、価格競争に巻き込まれて、いくら仕事をしても利益にならず、機械類を購入した時の借金だけが残り続けるという夢のない話になってしまう。流通や冷蔵や加工の状況は、今と昔とではまったく異なってきている。インターネットと宅配システムを使って産地直送も可能な時代だ。しかし、農協や漁連などの巨大システムが、新しい動きに対して、抵抗勢力のようになってしまう。彼らが悪人ということではなく、農協や漁連に依存している農家や漁民もたくさんいるので、農協や漁連から抜けていく人が多くなると、組織が弱体するばかりでなく、独立した人たちと組織とのあいだに競争が生じる。農協や漁連は、そうした競争が、自分達の首を締めることになるので、それを避けたいという考えなのだろう。しかし、今日のように海外から莫大な農産物が輸入されるようになると、その論理は通用しない。中途半端な価格だと外国に勝てない。品質向上のために、システムが変わらざるを得ない状況なのだ。
 この番組で日本の農業の現状を見ながら、同時に考えていたことは日本の教育のことだった。日本の教育も、文部科学省の管理下でシステム化され、長いものに巻かれろ(周りに合わせる)という基準が横たわっている。その方が無難で安定した人生を送れると。そこから外れるものは、敵視されたり、蔑視される。
 しかし、実際にそうした教育システムに従った結果は、どうなっているのか?
 素人でも大量にトマトを生産できるという説明を受けて、高いお金を出して装置を購入した農家の人は、実際にやってみると、効率良く生産できるけれど品質が低く、しかも想定外のお金がかさむ。また、そうした作物は環境変化に弱い。そして、いったんその装置を導入すると、借金のこともあって、問題があるとわかっていても、他のことにチャレンジできない。この不自由さと脆弱さは、日本の学歴競争社会にもあてはまると思う。学校を卒業するまでに、その方が人生に役に立つよと洗脳して莫大な投資をさせて、実際には、実社会で大して有効でないものを獲得することになる。にもかかわらず、それを獲得するのに費やした労力やコストを無駄にするのはもったいないので、いやいやながら、そのレールに従っていく人生。いったいどこに充実や歓びがあるというのか。日本のサラリーマン社会の酒宴が、憂さばらしとか愚痴になる理由もそこにあるだろう。
 農家の場合、研究所が開発した効率の良いトマト生産装置を導入しても、津波とか地震とかに襲われて、その装置がやられてしまったら借金だけが残り、どうしようもなくなってしまう。装置に頼らず、トマトそのものと真剣に向き合い、創意工夫を重ねて知恵を蓄えた農家の人は、震災に見舞われても、また一から始める勇気があるだろう。
 今のように変動の激しい時代において、賢明なこととは、学者とか研究所があれこれ分析や調査を行なって作りあげた頭でっかちのアイデアを自分にあてはめるのではなく、環境がどのように変化しようとも、自分の力でやっていけるように自分を鍛えておくことだ。
 最大公約数を重要視して、現実がこうだから、周りがそうだから、あなたもそうした方がいいという教育の在り方は、受験や就職への不安につけこんだ塾とか資格ビジネスの興隆につながっているのだが、その結果は、農協から借金をして装置を購入した農家のように、問題があると気づいても問題だと思いたくない、問題だと認めてしまうと、それまでの自分の人生を否定することになるので、そうしたくないという心理につながっていないだろうか。その種の装置とか資格とか学歴とか、表面に取ってつけたようなものが、鍛えあげた自分の実力と言えるものでないことは当人が一番理解している。それを素直に認めたところからしか再スタートは切れないのに。
 「みずほの村市場」でプロの農家を鍛えあげるという試みは、自分の名前をつけて自分の生産物を売ることの誇りと喜びと、人生に対する自信を取り戻すことにつながっている。人生に対する自信とは、肩書きとか経歴とかではなく、生身の自分の身体と頭で、世界と向き合い、生きていくための突破口を見つけ出し、それを実践していけるという自分に対する信頼のことだろう。
 そういう自信さえ備わっていれば、環境がどんなに変わろうとも、自分の軸は簡単にブレない。
 教育もまた、本来、そういう状態へと子供を鍛えあげることを目指すべきものの筈なのに、そうはならず、知識とか情報とか、現状をなぞるばかりになっている。世の中が安定している時は、現状をなぞっても弊害は目立たないが、不安定な時は、現状をなぞるだけだと、常に後手を踏むことになる。周りがどうあろうが、自分は自分で生きていけるという自恃の心が、けっきょく、周りの変化に敏感な自分をつくるのだろうし、最悪、変化の方が先であったとしても、それに対して冷静に、自分を偽ることなく応じることができるのではないかと思う。
 「プロ農家は農業を変えられるのか」という問いを、農家の問題だとのんびり構えているわけにはいかない。日本社会の全ての分野で、現状を変えていくために、組織やシステムに依存した歯車ではなく、自分の名前で勝負する自律したプロが増えていかなければならない。その為に、どういう心構えと実践が必要かということなのだ。自戒をこめて。