ペンギンの脱走と、”修羅”について

 長野県の須坂市動物園で、フンボルトペンギンのヒナが高い塀を乗り越えて、10日間に3回も脱走する騒ぎが起きた。元気がありすぎるのかと思っていたら、そうではなく、身体の小さいヒナで、ヒナ同士の縄張り争いに負けたとか、食物が得られず空腹に堪え兼ねてのことだったらしい。

 脱走したヒナが、動物園の外でプールを見つけて、悠々と泳いでいるというのも興味深い。生存競争に負けたマスが海に下って十分な餌を得て巨大になって川を遡上するという話もあるが、弱者と言われる存在は、環境が変われば、そうでなくなる可能性があるのも事実だろう。

 子供時代は、体格のいい方が偉そうにして体格の劣る子供をいじめたりしていたのに、大人になった瞬間、体格が劣っていたけれど勉強ができた子供の方が上司になって、命令されたり、厳しく指導されたり、ということもある。

 独特の感性を持っているがために、周りのみんなに合わせることができず、教室の中で独りぼっちだった子供が、大人になって、その独特さゆえに人気者になって、脚光を浴びるということもある。脚光を浴びなくても、自分に正直であることで、根強いファンを得たり、深い友情が育まれたりもする。

 それに対して、周りに迎合し、徒党を組んで、周りの人とは違う何かを持っている風変わりな子供を虐めたりしていた人達は、大人になっても、外向けの自分づくり(肩書きとか、学歴とか、記号的価値で自分をアピールしたり、強い人にゴマをすったり、へりくだったり、弱いものに威張ったり)を続けなければならず、人間関係も上辺だけのものになって、本音で話すこともできず、常に疑心暗鬼で過ごさなければならなくなったりする。

 環境が変われば自分の立場も変わる可能性がある。しかし、逆境の中で自分を殺してしまい、自分の持ち味を無くしてしまえば、環境が変わってもまた”迎合”(外向けの自分づくり)という同じことが繰り返される。逆境の中で自分を発揮しようとする糞力こそが生命力。あのペンギンのように、一か八かの脱走も、時には必要だ。

 風の旅人の復刊第一号のテーマは、「修羅」です。修羅は、厳しく、大きな主題だ。しかし、冷静に考えてみると、生の現場は、どんな局面でも”修羅”だと思う。

 近代以前の人間は、その事実を普通に受け止めていたのではないだろうか。

 便利とか安心を保証することが当たり前になってしまい、修羅である現実とできるだけ向き合わないように仕向けられる今日の社会が、むしろ、生物の在り方として外れている。結果として、私たちの営みから修羅が完全になくなればいいのだけど、生き物の宿命としてそうはならない。そして、その事実に直面して、ネガティブになったり、ヒステリックになってしまったり、束の間だけ現実を忘れる無聊の慰みに走ってしまう。そして同時に、生の手応えも歓びも喪失してしまう。

 今の原発問題にしても、「安心、安全」という切り口だけの反対には、私は、どうも違和感を感じる。「安心、安全」を保証する為に原発を辞めろという論理は、『安心、安全」を保証するために、他の非人間的な何かに走るという事もあり得るのではないかと思うからだ。

 『安全、安心」という掛け声に慣れてしまっている現代人を反原発に導くために、その掛け声が繰り返されているのだと思うが、反原発は、『安心、安全」とは異なる倫理で向き合わなければならない問題だと、私は思っている。

 次号の風の旅人のテーマ、”修羅”は、そういう問題意識から生じている。といっても、それは、肩苦しく重いテーマではなく、生きるうえで当たり前のこと、という捉え方だ。もしかしたら、修羅の方が楽しいかもしれない。少なくとも、死の瞬間には、そう思う可能性が高い。

 迎合することによっても、いろいろと困難はある。でもそれは修羅とは言わない。

 なぜなら修羅というのは、その現実の困難は自分に帰結する問題であり、自分次第で救いの道が開かれているからだ。だから、自分の運命を自分の上司が握っていて、相手がどうでるかわからず疑心暗鬼になって、ビクビクして悩んでいるという状態は修羅とは言えない。

 周りのヒナにいつ攻撃するかもしれないという不安に苛まれながら、食べ物を得られないまま檻の中に閉じこもっていたフンボルトペンギンのヒナは、苦しい状況には違いないが、それは修羅ではない。自分の運命を他者に握られているのだから。

 他のヒナより身体が小さいのに果敢に高い塀を乗り越えて自由になったフンボルトペンギンは、外の世界で路頭に迷い、他の動物に攻撃されたり、野たれ死にする可能性もあった。でも、10日間に3回も脱走するのだから、そういう危険はあるものの、外の修羅の方が、よほど気持ちよかったのだろうな。生物の本能として。

 人間も生物の一種だから、そういう本能がある。理性で計算して、どちらが得か考えているうちに、その本能が損なわれていくのだけど・・。