自分だけでなく、まわりのものとも生きる生き方

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 昨日紹介した縄文杉の写真は、水越武さんが撮ったもの。水越さんは、北海道の屈斜路湖のすぐ傍に住んで、仙人のような暮らしをしながら、仙人のような風貌で、自然と向き合い続けている。

 そして、今日のこの屋久島の写真は、山下大明さんが撮ったもので、風の旅人の第26号で紹介した。

 山下さんは、屋久島に心奪われ、もうかれこれ20年間住み着いて撮影をし続けている。

 山下さんは、雨の日しか撮影しないと言っていた。恵みの雨と簡単に言えないほど屋久島の雨は激しく降り注ぐ。それは、生き物にとって過酷な試練でもあるが、その過酷さが逆に生命力を高めてもくれるのだ。本当の意味で恵みというのは、安易な助けではなく、自分を強くしてくれる存在のことを言うのだろう。

 山下さんは、写真も素晴らしいが、文章も味わい深い。

 山下さんに限らず、私の知るかぎり、優れた写真を撮る人は、文章も素晴らしい。画家だってそうだ。ピカソマチスセザンヌも、東山魁夷加山又造岡本太郎も、いい文章を書き残している。

 「私は、文章では表現できないことを、絵(写真)にしている」などと言う人は、表現者としても、あまり優れた仕事をしていないケースが多い。いい文章とは、決して上手な文章ということではない。他の人とは違う視点で、その人らしい、味わい深い文章を書けるかどうか。それは表現者にとって大事な資質だと思う。

 他の人と違う視点というのは、奇をてらっているということではない。物事に深くつき合うことによって、表面的にしか物事を見ない人には見えない何かが見えてくるのだ。偉大な表現者は、そのように普通の人が見ていないものを見ていて、それについて真剣に考え抜いているのだから、その考えを表す文章が、ユニークなものになって当然なのだ。その文章は、時には、私たちが気づいていない大切な何かを指し示してくれる。だから私は、風の旅人の誌面作りにおいて、必ず、写真家にも文章を書いてもらっている。

 と、持ち上げたたところで、以下に、山下大明さんの、さりげない文章の一部。

 「生活の中で、使い捨てられていく物ばかりが目につく生活をしていると、目新しい物や便利な物を使い捨てていくことが豊かさなのだと勘違いさせられる。しかし、森の樹のように、葉を茂らせ養分をつくり、自分だけでなく、まわりのものとも生きる生き方が、ほんとうの豊かさをつくり出していくように思える。

 私たちは、ほんとうの意味で、そうした地道な行為が、じつは豊かさを育み、深い樹の世界をつくり出しているということに気づいていないのかもしれない。

 森から離れてしまった私たちは、もう一度森に目を向け、自分たちの生きる道を教えてもらうべき時を迎えていると思う。」森の中の小さなテント(ほんとうの豊かさ」