ミニマムの時代の物作りと販売 3

 大量生産の規格品ではなく、本当にそれが欲しいと思う人の為の少数生産の物作りと販売の仕組みが、21世紀にはきっと広がっていくのだろうと思うけれど、その広がりの過程のおいて、多くの問題が生じることは間違いない。 一つは、従来の流通システムが崩れ、中間マージンで食べていた人達が、職を失うことだ。

 製造から販売まで幾つもの行程に別れ、その間に幾つもの仕事が発生し、日本の失業率は低かった。全体の利益を細かく配分する仕組みが、日本は実にうまく整えられていたのだ。 流通の話ではないが、キャノン等が、従来のオートメーションラインからセルシステムに切り替える際も、強い反対があったらしい。分業の一部だけを担当していた人間が、2000点もの部品を組み上げることができるのかと。しかし、実際にやってみて、一人ひとりの人間は、もともとそうした能力を持っていたということがわかった。働く社員も、総合的な仕事に取り組めるようになって、やり甲斐が増したと聞く。

 しかし、そうなる為には、意識改革が必要だ。学校教育においても、社会に出たら細かく分断された仕事の一部を担うことを前提として、決められたルールに基づいて真面目にコツコツとやる人間作りが行なわれており、そういう教育によって一人ひとりの意識も、創造的、独創的であるよりは、協調的、従属的であるように方向付けられている。
 その意識が変わらないかぎり、環境の変化に対する不安や警戒心もつのるだろう。
 会社組織の中でも、ずっと技術畑にいましたから営業はちょっと苦手ですという言い方が、これまでは通用したが、もはやそんなことは言っていられない。ましてや、自分一人で、製造と販売が一体化したビジネスモデルを構築して仕事をする場合は、なおさらのことだ。
 そうした時代環境の変化に、個人の意識も、教育なども、まったく追いついていないのが現状だろう。
 私のイメージでは、江戸時代の職人街のように、各種様々な職人達が、規格品ではなく、それぞれ個性的な技を発揮し、物作りの現場を見せながら、その場で販売も行なうということが、再び、起るのではないかと思うのだ。
 それが、インターネットという大きな空間的広がりを持つ現場と、ギャラリー空間のように空間的には限られるけれど濃密な息づかいが感じられる現場が融合するような形で。一方でネット上のコンテンツ、もう一方でページ数の限られた紙媒体というのもあると思う。それぞれの場の違いによって、伝え方も伝わり方も微妙に異なる。そして、その両方の要素が必要になってくるように思う。
 時代の恩恵で、雑誌編集、販売、ホームページの運営、読者管理、入金管理まで一人でやれる時代になっている。
 個と個の連携と言う時、分業の中の個と個が繋がって全体となる構造が、20世紀だった。
 21世紀は、分業ではなく、個が自立して一つの宇宙のように全体を担いながら、小さな宇宙同士が連携して、それぞれが活性化していく時代になればいいなあと思う。

 ただ、時代が変わるといっても、多くの人が同じように求める物も存在するので、規格品の全てがなくなるとは思わない。ただ、規格品の分野は、数量的に優位に立ったところがコストを低く抑え価格競争に勝つことができるので、一強他弱になっていくのだろう。

 規格品製造や販売の分業の中の一部となる仕事を選択する場合、自分が所属する組織全体が一強他弱の世界の一強になる為の、熾烈な競争にさらされることになる。

 全てを一人でやることよりも、その方が楽だとは、もはや言えなくなるのではないだろうか。


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