非常時における意外な展開の面白さ。

 昨日、有楽町付近の大きな火事によって新幹線が止まってしまい、京都駅で足止めをくらってしまった。駅構内には人が溢れ、私が予約していた時間帯の列車の運行停止が次々と決まる。通常の時であれば、列車が動き始めれば、新たに席を予約して、それに乗って帰ってくればいいが、Uターンラッシュのピークでもあり、それはとても不可能。にもかかわらず、駅構内の精算書には、払い戻しと新たな座席予約を求めて、300メートルを超える長蛇の列ができている。しかも、一人ひとりが、駅員に説明を求めているので、前に進まない。

 その間、自分が意外と冷静だったのは不思議だった。けっきょく列車が止まって4時間以上が経ち、私が駅に着いてから3時間ほど経った時、自分が予約していた列車の運行取りやめも決まった。京都にもう一泊しなければならないけれど、翌日もピークだから席はとれないぞ、どうすればいいのかと思い悩むこと一瞬、どうにでもなれと思ってホームに駆け上がると、ホームに停止したままだった新幹線で、発車の準備が整いました、まもなくドアが締まりますとアナウンスがあり、とにかく東京に少しでも近づければいいと思って、すし詰めでもいいから自由席にでも乗ろうと決心。しかし、自由席は、先頭車両の方なので、そこまで歩いていくと間に合わない。仕方なしに指定席のところに乗車したら、なぜか席はガラガラ。おそらく待ちきれない人達が、降りてしまったのだろう。まあいいやと、そのまま席について、米原とか名古屋で人が乗ってきたら席を立てばいいんだからと開き直っていたら、けっきょく東京まで誰も来なかった。

 結果的に、京都駅で長時間待ち続けていた人達のなかで、もっとも早く東京に着いてしまった。しかも席に座ったまま。

 さらに、東京駅に近づいた頃、アナウンスがあって、このたびのアクシデントでご迷惑をかけたので特急料金の全額払い戻しをするという。自分が予約した指定席に座れず自由席で帰ってきた人への払い戻しは当然あるとは思っていたけれど、まさか全員、特急券の全額払い戻しだとは思わなかった。とすると、京都駅で列車に乗らずに払い戻しを受けて、また新たに翌日以降の席を予約した人より、とにもかくにも東京まで戻ってきて払い戻しを受ける人の方が、断然お得ということになる。
 まあそれはともかく、結果的に、正月早々、とんだ災難だと思ってのが、幸運に恵まれて、結果オーライということになった。もちろん、予定よりも4時間ほど東京に戻るのが遅くはなったのだが、心理の変化として、京都駅で待たされていた時は、自分が予約していた列車が運行停止にならないことだけを願い、次にはとにかく東京に近づければいいと願い、さらに運良く指定席に座れてしまった後は、名古屋や米原で誰も乗ってこないでねと願い、最後は、願ってもいなかった全額払い戻しということになってしまった。

 今回のことに限らず、最近、トラブルで悪い方向にいくと思っていたものが、結果的に、そうでもなく、いい方向にいくことが幾つか続いた。まさに禍福は糾える縄のごとし。

 理屈でその言葉を理解するのではなく、実際にそうなっていることが意外と多い。
 物事はそういうものだと割り切っていれば、一つひとつのアクシデントに対して、あまり気持ちが落ち込むこともない。

 昔から、アクシデントが起ると、大変だと思いながらも、心の片隅で、なんだか興奮するところはあった。旅行業をやっている時なども、アクシデントやクレームがあってもあまりネガティブにならず、”攻略”に向けての展開を楽しむようなところもあった。

 平常時よりも、非常時の方が、人間は、どこかワクワクするような本性を持っていると思う。
 12月21日に、関野吉晴さんとトークした時に、関野さんが、アマゾンのジャングルに暮らすマチゲンガ族の村に通ううちに、思うようにならないことを嘆いたり焦るのではなく、”仕方がない”と受け入れ、”楽しむ”感覚を学習していったという話をしていたが、その感覚って、関野さんのような冒険者や、前例のない新しいことをやろうと場合に、とても大事な心構えなんだと思う。
 年のはじめに、そういうことを再認識できる機会を持てたということは、自分にとって、とても良かった。

 今年は、もともとそういうことは無意識にわかっていたが、それを少し自覚的な意識にして、やっていこうと思う。


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