都知事選と、この国の不安な行き先・・

 昨日の午後、吉祥寺駅前で田母神候補が都知事選の演説を行なっていた。選挙演説ではよくあるように、話していることがとても極端で過激なのだが、大勢の人達が、時おり笑顔を見せながら耳を傾けていた。
 「今、原発を止めたことで4兆円の燃料費がかかっているが、それは、ここにいるみなさんの給与としてもらえる筈のものなんですよ」とか、「使用済み核燃料の量なんかしれたもので、処理に困るほどの量になるのは何億年もかかるんですよ」とか。
 「使用済み核燃料は、六カ所村や、もんじゅの燃料サイクルで、きちんと処理できるのに、なんで止めなければならないのだ」等と。

 あからさまな原発推進派としては当然だが、4兆円の輸入化石燃料のことは口にしても、六カ所村や、もんじゅにどれだけのお金が注がれ、かつトラブル続きで見通しが立っていないことなど触れやしない。

 それはまあ自説を主張するための当然の策だとしても、その自説の根拠として、「私は、●●の研究者に聞いたんですよ、その研究者は、このように言うんですよ」と、一度、確認したらそういう答えだったいうレベルの話。大勢の前で話すのなら、自分できちんと調べればいいのに。
 「●●さんから聞いたんですよ!」という類の話を政策に結びつける人間を信用などできるはずがない、こんな調子だと、まあ相手にされないだろうと普通は思うのだが、意外と、けっこう人気があるらしく、駅前の広場を埋める大勢の人達が真剣に耳を傾け、拍手をする。そして、面白いとは思えないジョークに笑いで応えている。
 この候補者は、石原慎太郎氏の応援を受けているらしく、演説の場にも石原氏の写真が掲げてあった。元航空幕僚長で、現在は軍事評論家らしいが、講演や執筆の依頼で大忙しだそうだ。

 私が、この吉祥寺の演説のことをツイッターで書いたら、「軟弱舛添では原発は推進されない。推進派は田母神に投票しよう!」とか、「貴方こそ勉強すべきなのでは?在日の方なの?」
「日本のいく末を考えてますか?…(ー。ー#)貴方の見識を疑いますネ!(ー。ー#)」「 日教組に洗脳されてるのかな?…(^o^;) カワイソ !」「だったら岩上さんとかが言ってることに何か科学的根拠はあるんですかね?」 とリツィートが返ってくる。
 石原都知事が再選された時、自分の周辺の声は圧倒的不支持だったが、実際は、圧倒的な数の支持を受けて当選した。
 自分が付き合っている人達が作り出している空気の中にいると、それが普通だと感じてしまうが、この日本には、それとはまったく違う空気も広がっており、その中の一つが、日本強靭化の旗のもと、原発や原爆や軍隊増強、力と力による中国や韓国と真っ向勝負!という姿勢を明らかに、脇目もふらず突き進んでいこうとしている現実もある。
 そして、その愛国をスローガンにする多くの発言の言葉の粗さが気になる。あなた在日なの?とか、売国奴!とか。
 言葉が粗い、つまり思考が粗く、感受性も粗い。思考も感性も粗い言葉は、自説を強く主張していても、その背後に、なんというか、「どうでもいいじゃんかよー、めんどくせえ,文句あっかよ」という感じにも聞こえる。「日本を愛するから』と口では言っているが、実際には、自暴自棄に陥っているように思われる。
 それを実際に口に出す人だけでなく、ぐっとこらえている人の心の中にも、もしかしたら、「どうでもいいじゃんかよー、めんどくせえ」という声が渦巻いていて、爆発しそうなのかもしれない。何かしらのブレーキがかかって抑制していても、未来に絶望したり、大勢の流れの中に自分の姿をくらますことができれば、一挙に、そういう方向に走り出してしまうかもしれない。
 今日の我々の社会の一体何が、人々の心をそうした方向に向けさせてしまっているのか。

 自然が作り出した世界に直面させられる時もまた、面倒なことも多く、自分の思うようには事は運ばないけれど、「どうでもいいじゃんかよー、めんどくせえー」とはならない。

 人間が作り出した世界を相手にする場合には、なぜか、厭になってしまう現実が溢れている。

 口先だけの、とってつけたような、きれいごとばかりの人間の現実。

 自然には嘘はないけれど、人間は、嘘だらけ。そういう感覚が、歯に衣着せぬ発言をする者を人気者にするのだろう。

 ヒトラーも、悪人として世の中に現われたのではない。

 行き詰まりの人間の中に潜む、自暴自棄の気持ちを、爽快な気分に転換させる論法を、躊躇なく表明し、実行する単純さ(偏狭さ)を備えていただけのこと。もっとも簡単な方法は、ユダヤ人をスケープゴートにして、憎悪をつのらせることだった。敵を見つけて攻撃をする。その熱狂が、一時的なものであれ、「どうでもいいじゃんかよー、めのどくせえー」という空虚を紛らわせてくれる。

 面倒くさいことを楽しめるような回路を、どうにかして作り上げなければならないと思うのだけど、簡単・便利とか、安心・安全だとか、人間を面倒くさいことからどんどんと遠ざけて行く消費社会。結果として、面倒くさいことに対する耐性を、人々がどんどんと失っていく。

 その悪循環を少しでも感じている人は、その悪循環を断ち切る地道でめんどくさい努力を、気付いた時点で始めなければ、後回しにしているうちに、自分自身が大きな流れにのみ込まれてしまい、手遅れになる。

 気をつけなければならない。


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