国東半島で思い至った、写真の罪と贖い

 2月1日、国東半島で行なわれた修正鬼会の祭りを見て来た。国東の地には、神と仏が複雑に絡み合う独特の宗教文化が今も色濃く残っている。岩盤に掘られた磨崖仏や、今から1300年程前の美しい仏像も数多く残っており、京都や奈良と同じように日本の仏教文化の基底がここにあることを実感できる。
 国東半島の祭りを見るのは、7年前の秋のケベス祭り以来だ。
 7年前の国東半島の祭りは、日本の他の地域の祭りが見せ物と化しているなか、異世界への扉がぱっくりと開き、異様な空気がたちこめていた。
 それがこの7年で大きく変わった。国東に限らず、南九州の高千穂あたりの夜神楽も、高度経済成長の波は乗り切ったものの、小泉改革の後の10年で、かつての神聖さはすっかり色褪せ、単なる見せ物になってしまったところが多い。
 聞く所によると、宣伝をして大勢の人が集まるようにしないと、県から補助金をもらえないそうだ。それゆえ、テレビカメラが入ることは大歓迎で、本来は撮影厳禁の聖なる場所までニュースカメラが堂々と入り込むようになった。それとともにフォトコンテスト狙いのアマチュアカメラマン(なぜか年配の人が非常に多い)が大挙して押しかけ、早い時間から場所取り合戦を行い、祭りが始まったらストロボを焚きまくり、心静かに祭りを見届ける気持ちなど微塵もなく、行儀悪く立ち上がって連続でシャッターを切り続けている。フィルムカメラの時代は、夜の暗い室内での撮影は素人には不可能だったけれど、デジタルカメラの高感度によって可能になり、誰でもそれなりの写真が撮れるようになった。さらに、お金のかかるフィルムと違ってデジカメは、何枚でもシャッターが切れる。
 そのように誰も彼もがベストアングル(みんなが同じように、ベストだと思う場所)を求めて場所取りをするものだから、少しでも優位なポジションをとろうと灯籠の上によじのぼったり、立ち入り禁止のエリアにまで踏み込んでいる輩もいる。そのようにして撮られた写真が、今年の修正鬼絵のポスターに使われていたが、舞踊る鬼の背後に、高級一眼レフカメラを抱えたアマチュアカメラマンがズラリと並んでいる。つまり、鬼を取り巻くようにアマチュアカメラマンが群がっているので、どの角度から鬼の写真を撮っても、大勢のアマチュアカメラマンが写真に写り込んでしまうのだ。
 鬼の姿が真ん中あたりに写っているというだけで、その周辺は、祭りと関係ない殺気立ったアマチュアカメラマンの姿ばかり。フォトコンテストの審査員はどう評価するのか知らないが、私は、風の旅人の誌面で、そういう写真を使うことは絶対にないだろう。
 私は、風の旅人の第23号(2006年12月発行)で、国東半島の風景と祭りを紹介した。国東半島に住みついて米作りを行いながら、その時点で5年以上、取材を続けていた船尾修さんが撮った写真と文章で誌面を構成したのだが、あの頃、船尾さんが撮った国東半島の風景や祭りの写真は、人や事物の周辺を深い闇が包み込んでいた。昼間でも、闇の気配があった。その闇の中に自分も入り込んで、この世のものならぬ世界と交信できそうな感覚があった。
 船尾さんの話では、当時は、国東の祭りを取材しているのは、船尾さんを含めて物好きの2名程度だったらしい。外部の人間である自分達が、祭りの空気を乱さないように、節度を弁え、静かに、少しだけ写真を撮らせていただくという感覚だったのだ。
 船尾さんは、今はもう祭りの写真を通して国東半島を伝えようとは思っていない。アマチュアカメラマンが祭りの最前列に陣取り、祭りの最初から最後までひたすらシャッターを切り続け、その後ろに観光客がひしめき合うような状況で撮った写真に、国東半島のいったい何が写るというのか。もはや、ほとんど記号と化した鬼の姿や儀式が写るだけで、目に見えているものの向こう側に思いを馳せるような写真にはならない。
 周りの状況にまったく配慮できず、自分のことしか見えないガメツイ心になってしまうと、悲しいことに、記号的なものばかりに心がとらわれてしまう。何枚もシャッターを切っても、早くから場所取りをしていても、けっきょく、同じガメツイ人達が撮るものと、ほとんど同じような写真しか撮る事はできない。そこが国東か、他の場所かは区別なく、どれもこれも、どこかで見たような写真ばかりなのだ。
 そうして、既に誰もが共有しているイメージが、さらに写真によってコピーされて増殖していく。その結果、イメージが固定化されていく。写真を見ても、ふと何かを感じたり考えさせられるということがなくなっていく。
 私は、写真は二種類あると思う。一つは、既に人々が共有している価値観やイメージを、より強化する方向で増殖していくタイプのもの。消費社会には、このタイプの写真が多く、陳腐な広告にも多様される。高層ビルからの夜景が美しいという多くの人々が既に所有している概念を、さらになぞっていくような写真。家族団らんが幸福な生活であるという概念をさらに強調し、美人とかカッコいいと言われる人のイメージを、さらに増殖させていく。こうした写真を見ても、価値観を揺さぶられることはない。自分が心のどこかで疑問を感じながらも維持し続けている人生や暮らしを、正当化するのに役立ったり、その暮らしの延長にある消費欲求や望みを煽られたりする。表向きは、社会の安定には役立つが、本当にそれでいいんだろうかという漠然とした不安は、少しずつ膨らみ、物足りなさの暗雲が心の中に燻っていく。
 もう一つのタイプの写真は、ふだん何も考えずに過ごしている自分の現実に対して、思考や感覚の揺らぎをもたらすもの。「そもそも、この現実とは一体どういうことなのか」と、思いを馳せるきっかけになったり、生命とか人生とか、日本とか世界とか宇宙とか、根本から見直し、見つめ直したい衝動をもたらすもの。
 それが、眼差しを変える力であり、眼差しが変わることが意識を変え、意識が変われば世界が変わり、自分が生まれ変わる。
 写真には、そうした変化を現実化する力が具わっている。しかしながら、その種の写真を撮れる人は、そんなに多くいない。なぜなら、アマチュアに限らず、プロの多くも、既成の概念、価値観に媚びて寄り添ってしまうからだ。その方が人々に安心を与え、いいね!と言ってもらいやすいし、人気をとりやすい。誰だって、自分が信じ込んでいる現実を揺さぶられたくはないのだから、それは当然の帰結だ。
 しかしながら、その安心感が、自分の心で感じ、自分の頭で考えるという、自分の人生を全うするうえで欠かせないことを奪っていく。大勢がいいと言うものに従う生き方は、社会が順風の時はいいけれども、悪い方向に転がり出した時に、歯止めがきかなくなる。
 本当にそれでいいのだろうか。本当にそうだろうか。本来は、そういうことではないのではないか。
 一つの固定した場所に精神を留まらせることなく、常に揺れ動きながら、本当のことを探し求めていく写真家が撮る写真は、大勢に安心を与えるわけではなく、ある種の警戒心で見られる。浮かれた気分や、世の中の出来事には無関心の自己中毒こそが消費社会の活性化の力なので、それに反する写真は、暗いとか、重いとか、悪口を言われることもある。
 世の中の雑誌の90%が、消費社会に媚びて、浮かれた気分を増長させる写真や自己中毒の写真を多く掲載し、そういう撮りやすい写真を撮れば自分の趣味の写真が雑誌に掲載されるかもしれないと期待を抱かせることで販売部数を増やし、アマチュアカメラマンにカメラを売りさばきたいカメラメーカーにスポンサーになってもらい、その方が運営するにあたって有利だとしても、風の旅人は、そういうことはやらない。その流れに迎合することは、自分自身の人生の持ち時間を、消費していくだけのことだからだ。 
 有利とか不利とかではなく、自分自身の人生の持ち時間をどう生きるかが大事なことであり、その為には、「そもそも我々の現実世界とは・・・、我々の人生、生命とは・・・」と、何度でも根本のところに立ち返りながら、前に進んでいかなければならない。
 国東半島の写真を撮り続けている船尾修さんは、最近は、国東半島の曼荼羅のような地形や、至るところに突き出ている岩盤などに対して、中判フィルムのカメラで身を屈めるように向き合い、少しずつ撮影しているのだという。
 国東には、聖なる祭りが多いが、祭りに出かけていっても、国東半島の神聖さを感じとりにくくなった。しかし、そもそも、なぜ国東には、これだけ不可思議な祭りが多いのか。なぜ、これだけ古い聖地が多いのか。なぜ、日本でいち早く神仏習合が進んだのか。そうした答えは、国東の土地そのものに秘められていると船尾さんは感じている。
 その封印を解くような思いで、この地の土地を自分の手で耕し、食物の恵みを受け、空気そのものを身体で味わいつくしながら、取材を続けているのだ。
 大陸から日本海を渡り、九州に上陸しようがしまいが、関門海峡を抜けると、国東半島にあたる。そこから瀬戸内海を東の方向に進んでいけば京の都に辿り着く。国東は、古代、海上交通の要であったことは間違いないだろう。そして、その上陸ポイントに近い半島の北側に、全国の八幡神社の総本山である謎めいた宇佐神宮がある。
 最初にこの地に降り立った渡来人は、国東半島の曼荼羅状の山と盆地に、奇怪な山容に、天を突き刺す岩に、ただならぬものを感じただろう。その時すでに先住の民が、山の頂きに巨石を運び、日本最大級と言われるストーンサークルを作りあげていた。先住の民もまた、何か底知れぬものを、この地に感じていたからだ。
 各種の磨崖仏や、寺社や、その中に安置されている仏や、伝統化された祭りなどは、この土地が秘めた不思議な力から生まれた現象にすぎないとも言える。現象を主役として崇めるばかりではなく、土地そのものの霊性に向き合うこと。
 祭りが世俗化している現実に直面し、船尾さんは、さらに国東半島の精神の迷路の奥に踏み込んでいこうとしている。
 写真というのものは、精神の突破口になる可能性と力を秘めており、目の前の現実に拘泥しているかぎり、そういう写真を撮る事はできない。 


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