近未来、仮想マネーと行政の管理、どちらが信頼できる?

 ビットコインの問題が世の中を騒がせている。日本のように、何事もお上がお墨付きを与えてくれるから安心と考える人が多い国では、こうした仮想通貨をキナ臭いものと受け止める人が多いだろうが、お上を信じられない国の住人にとっては、自国通貨よりも、よほど信頼できる仕組みかもしれない。
 お上への依存は中央集権的な仕組みを強化せざるを得ない。お上が全てをきちんと管理することで安心を得るという発想。国の運営が順風の時はそれでいいが、もし色々と破綻がでてきた時に、お上は、どういう手を打つか。その一つに、今、検討されている年金の支払い期間の延長。支払い期間が延長されたうえ、最終的には、年金を受け取れないことも当然ありうるだろう。
 鶏が先か卵が先かだが、ビットコイン等は、中央集権体制が、次の形に移行していく段階の揺らぎであり、きっかけでもあるだろうと思う。既にオークションサイト等もそうだが、行政の管理をはさまず、当事者間の信頼と自己責任システムによって、膨大な物が動いている。そうしたオークションサイト等の決裁マネーが、行政の管理を離れていくのは自然の流れだ。
 行政の管理による安心は、一種の共同幻想であり、共同幻想を抱いている人が多いことで成り立っているし、その体制が維持されることで既得権益を得るものもいる。既得権を持つ人は、それを維持する為に策を弄している。権威の力を利用するのも一つ。共同幻想の中にいる人は、その策が見抜けない。
 しかし最近、行政が自らの正当性の為に権威を利用する際、判断が妙なことになっている。東京オリンピックの国立競技場の問題でもそうだが、本来、権威に対するアンチである筈の「脱構築」という秩序破壊の表現物が、業界で有名な賞を受賞したことで権威となり、行政が、その権威を拠り所にしてしまう。
 今まで誰も知らなかった人物なのに、突然、建築界のノーベル賞だ、巨匠だと持ち上げ、その権威的な力にもたれかかって奇怪なものを莫大な税金を作って東京に作り出そうとしている。そんな荒っぽいパフォーマンスを活性化だと言う。商業メディアやその周辺は、こぞって、そのブームに便乗しようとする。

 どうにもおかしなことになっている”権威”の在り方にもたれかかるしか能のない行政が行なうことは、もはや人々の為になることではない。その行政が管理する最も大きなものが、今日の我々の基本通貨だ。アベノミクスで、日銀が濫造しているマネーが、将来的にも信頼できる通貨かどうかわからない。

 政府が何とかやってくれるという共同幻想で、日本の円の信頼は担保されている。その共同幻想の中にいるかぎりビットコインは紛い物だ。確かに現状では、ビットコインは不安定な代物だが、行政による管理の安心という共同幻想も紛い物かもしれないということをどこかに意識していないと、きっと痛い目を見る。そして、国家に騙されていたと言い訳をする。あの時は騙されていたと言い訳する人が多いと言い訳することも簡単だ。しかし、そうした結果は、騙されていたからではなく、自分の人生の為に当然考えなければならない自分の所属世界のことを何も考えず、既成概念にあぐらをかき、共同幻想の中で惰眠を貪り、考えるという自分の責任を放棄していただけのこと。

 考えない人が多いことで維持される既成の秩序は、代謝が悪く、肥満になり、成人病に蝕まれていく。そうなればなるほど、他人に期待するだけで自分で動こうとしない人が増え、ますますどうにもならなくなる。

 どうにもならなくなると、粘り強く考えることは益々面倒になるから、最悪、自分は楽なところに隠れて、人を戦地に送り出して、その混乱によって局面打開を狙う輩も出てくるだろう。


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