明らかに問題有ることについて

 新聞とか見ても、見出しを拾い読みすると、書かれている内容がだいたい予想がつくので、本文をあまり読まない。

 電車の雑誌の中吊り広告を見て、何が話題になっているのかチェックしたりするが、わざわざ雑誌を買って読むことはない。テレビも週末にニュース番組を見て、一週間の出来事を確認するくらいだ。

 20歳の時から2年間、海外を放浪している時、日本のメディアから完全に切り離された生活を送っていて、日本に帰ったら情報のギャップに苦しむだろうと思っていたが、まったくそういうことはなかった。2年もの間、テレビや新聞や雑誌を見なくても、時代から取り残されているという感覚はまるでなかった。見ても見なくても同じで、むしろ見なかったことで、その後、自分にインプットされる情報を、自分の感覚とすり合わせて思考する癖がついたのではないかと思う。

 最近、報道されるニュースで、気になるところが全然ないわけではない。米軍のイラクへの増兵やテロのこと、苛めに加わった子供が謝罪をして自殺したことが大きく報道されていること、大臣の失言が連日のように話題になっていることなど、海外での大量殺戮と大臣の失言などが同じレベルで語られているのが、何となく不思議だ。

 インドから帰国して間もない写真家と電話で話をしていて、先日、NHKで特集が組まれたIT先進国インドと、あそこに映し出されなかったインドの現実とのギャップが話題になった。

 彼がインドにいた時、インドで戦慄の猟奇殺人事件があった。少年少女をさらって、犯して、殺して、臓器を売買するという、人間の欲と業の集大成のような事件だったらしい。

 日本は昔に比べて凶悪犯罪や異常犯罪が増えているように言われるが、実際には、1960年代が、そのピークだったらしい。

 現在は、メディアが刺激的な報道を求め、一度風変わりな事件が起こると、連日のように、各社が足並み揃えて報道するので、社会に、そうした気分が作られてしまうのだろう。

 私は、今という時代を、良い時代だと言うつもりはないし、昔の方が良かったなどと言うつもりもない。

 ただ、モノゴトの伝え方を何とかして欲しいと思うことは多い。

 誰が見ても明らかに問題あるとわかることを、「問題あるぞ!」と声高に主張しても、何にもならないんじゃないか。

 本当の問題は、もっと見えにくいところや、私たちが当たり前の感覚になっていることの無数の集まりにこそあるのではないか。

 いや、他人に対して「何とかして欲しい」と主張するのではなく、たとえ小さな領域でも、「自分は何とかする」ということを心がけなければならないのだと思う。 


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