茂木さんの小林秀雄賞

 「風の旅人」に連載していただいている茂木健一郎さんが、『脳と仮想』で、小林秀雄賞を受賞しました。おめでとうございます。

 「風の旅人」にご執筆いただいている方々は、様々な賞を受賞されている方ばかりなので、それを一つ一つ示していくと大変なことになる。その為、これまで発行してきた「風の旅人」では執筆者のプロフィールを極力簡潔にしていたが、Vol.16(10月1日発行)からは、それをさらに徹底し、全ての方のプロフィールを、生まれ年と、出身地だけにすることにした。

  

 そうしたこととは別に、私は、今回の茂木さんの受賞に特別な意味を感じる。

 というのは、茂木さんは、科学者だからだ。科学を文学の言葉に翻訳できるところが茂木さんの素晴らしいところであって、そのように専門領域を超えた越境者の言葉が今後いっそう説得力を持つだろうと、今回の受賞が示している。

 専門家達が、専門家だけにわかる言葉で互いに認め合ったり批判し合ったりするだけでなく、誰にでも通用する言葉でモノゴトの真理に近づいていこうとする態度こそが必要だろう。

 といって、誰にでも通用する言葉というのは、平易な言葉で底の浅い考えを述べるということではない。世界は、そんなに単純明快なものでもない。とても簡単に説明しきれないようなことを、専門的な用語で切り刻んで、わけしり顔で解説してしまうのではなく、誰もが使っている言葉の重層的な組み合わせによって見るべき方向や考えるべき方向を指し示すことがとても大事なのではないかと思う。

 イージーな例だと、たとえばパソコンなどの使用解説書で、最近は少なくなったが、とてもわかりにくいものがある。書き手が、専門用語を知っていない者がバカなんだという態度で解説書を書く。そういう人は、専門知識を知っている人の方が偉くて、知らない人はダメなんだという発想がどこかにある。

 また最近多いのが、心理学の専門家が発言に説得力を持たせるために心理学の専門用語を安易に使うことだ。自分が深く考えたことを自分の言葉で説明するのではなく、フロイトとかユングなどの権威の力を借りて自分を武装し、相手を煙に巻いている。

 

 私がすごいなあと思い、本を読んでも話を聞いても惹きつけられるのは、知識に寄りかからずにモノゴトを説明できる人だ。相手の知識量に関係なく、自分の伝えるべきことを伝えようと、頭をつかい、努力している人だ。

 伝わるか伝わらないかは、知識量によるのではなく、理解してもらおうとする意思と、理解しようとする意思の深度によるのではないか。茂木さんの文章を読んでいると、それがよくわかる。

 茂木さんの本は、読んでいて、そこに書かれていることが科学のことかそうでないかという分別を超える。なぜならば、そこにあるのは、読む側にとって”自分ごと”のことだからだ。そして、その”自分ごと”のことは、自分が思考する時に使用する言葉から大きく逸れていないところで書かれている。科学書にも文芸書にも、美文、名文、駄文いろいろあるだろうが、文章表現というものがコミュニケーションの手段とするならば、そのことが一番大切だという気がする。

 さて、次号の「風の旅人」から、茂木さんの連載テーマが変わる。

 「今、ここから全ての場所へ」だ。第1回は、<空白との出会い>。広大で深遠な自分ごとの話が展開されている。