プロの真剣勝負

「風の旅人」Vol.16(10月1日発行)の巻頭を飾るEMMET GOWINの写真の色調整がうまくいかなくて、今日の夜、6回目の校正を出す。明日、下版なので、これが最後だ。

 標準レベルはクリアしているので、どこかで妥協しようと思えばできたのだけれど、私も現場も、中途半端なところで妥協したくないと思っている。

 EMMET GOWINの畏るべき写真は、こちらが妥協した瞬間、その霊力を失うだろう。

 これまで15号まで出してきたけれど、校正を6回も出すのは初めてのことだ。

 通常は、二回、うまくいかないものでも三回出せばなんとかなる。一般の雑誌は、一回だけというところも多いみたいだが、「風の旅人」は、入稿から印刷完了まで四〇日もとっており、最善を目指す体制で制作を行っている。

 印刷会社には申し訳ない気持ちもあるが、印刷会社の人が言うには、最近は、現場の職人さんがプロの誇りにかけて打ち込めるほどのクオリティを要求される仕事があまりないので、「風の旅人」の仕事を大事にしてくれているという。その一番大きな理由は、自分で言うのもなんだが、写真のクオリティが他に抜きんでているからだ。クライアントにいくら高いクオリティを要求されても、それに見合う素材とかでないと、プロは気合いが入らない。写真に強い力が秘められていることを感じるからこそ、その力に負けまいとプロは真剣になるのだ。自分の調整一つで、写真がみるみる凄みを増してくるのだから。また、職人さんは、そのように高いクオリティを要求される仕事に触れていないと、腕と勘が鈍るのだそうだ。

 自分の実力を遺憾なく発揮しようとしてくれる職人さんとかクリエイターが参加してくれれば、当然、いいものができる。

 実力を遺憾なく発揮しようとする姿勢というものは、上手いか下手かという分別を超えて、ある種のオーラを帯びてくるので、そのオーラが寄せ集まると、超越的なものになってくる。モノゴトの真の説得力というのは、その超越的な領域に宿っているのではないかと私は思う。