第953回 普通であることのすごさ

 このたびの鬼海弘雄さんの大判の写真集「Tokyo View」を購入した方から、「1ページずつバラバラに切り離して、額装したい。」という声をたくさんいただいている。
 印刷とは思えないクオリティだと誉めていただいているわけだが、一方では、この写真集の厚塗りの黄色のニス引きを印画紙のような風合いを出すための編集上の作為だとみなし、銀塩プリントと印刷物は似て非なる表現なのだから、印刷物は印画紙の複製を目指すべきではないと批判する写真家もいる。
 誤解があるようなのだが、この写真集が醸し出している風合いは、狙ってやったものではない。鬼海さんの写真の良さを極限まで引き出すために、探し続け、追求し続けた結果としてこうなったにすぎないのだ。
 そして、何よりも、鬼海さんの写真自体が醸し出す味わいやユニークさも、狙ってやったものではない。
 写真家の中には、いかにも絵になりそうな光景を狙ってシャッターを切る人もいる。いかにも絵になりそうな光景というのは、大勢の人々のなかであらかじめ共有された感覚でもあるので、プリントや印刷が多少あまくても、「面白いね」、「すごいね」、「かっこいいね」と言ってもらいやすい。そういう光景を見つけてきて、すばやくシャッターを切れることが写真家だと思っている人も多いだろう。
 その表現スタンスは、テレビ番組などにおいて、面白キャラや、ショッキング映像などで視聴者を引きつける手段と近いものがある。
 表現とされる分野において、そういうものばかりが増え、結果として、どうすれば個性的になれるか、人より目立てるか、人に受けるかということばかりに気を使う人が増え、普通がいけないことのような息苦しい空気が社会全体に満ちている。
 そういう風潮に対して、鬼海弘雄さんの表現におけるモットーは明確である。
 普通であることが、すごいということ。普通のすごさを、伝えること。
 しかし、表現には説得力が大事で、普通であることのすごさを説得力のある表現にまで高めることは、至難の業だ。
 鬼海さんの口癖は、「一日中歩き回ってもほとんどシャッターを切れない」。「カメラは、写すための道具だと思われているけれど、肝心なことは写らない。」ともよく言っている。
 撮影だけでなく、プリントを焼く際も、普通の素晴らしさを引き出すためには、丁寧に、取り組まなければならない。世間によくあるモノクロプリントのように、黒の濃度を強くして”劇的”にすれば、作品らしく見えるという安直なことではダメなのだ。
 また、そういう安直なスタンスで撮られた写真ならば、写真集を作る上での注意も、そんなに多くない。組み方とか大きさの強弱などは当然ながら必要だが、印刷段階においては、できるだけ”黒を締める”とか、”コントラストをつける”とか、その程度の指示ですむ。実際に、校正紙に入れる朱書きも、その程度の内容だ。私も、風の旅人を50冊作ってきて、膨大な写真に朱書きを入れてきたので、よくわかる。
 実は、風の旅人の第49号で、今回の鬼海さんの写真集「Tokyo View」の中のほんの一部を紹介した。しかし、結果は無残だった。両方を持っている人は、見比べてみればその違いが歴然とわかるだろう。
 これまで風の旅人において、印刷がうまくいかない場合は刷り直しをしてきた。風の旅人の場合、雑誌といえども、読者がクオリティを期待しているからだ。しかし、49号は、刷り直しをしても完璧にはならない。なぜなら、一般的な雑誌の宿命として、鬼海さんのページと他の写真家のページを一緒に印刷しなければならない。とりわけ、49号では、一緒に印刷しなければならない他の写真家の写真が、白と黒のコントラストを重視する写真が多く、鬼海さんの写真と傾向が違っていた。
 今回の写真集「Tokyo view」は、鬼海さんの写真のことだけを考えればよかった。鬼海さんの写真の良さを引き出すためにはどうするべきか。「普通であることが、すごい」を、説得力あるものにするためには、どうすべきか。
 そのプロセスについては、5月5日のブログで書いたが、色々な試行錯誤繰り返して出来上がったものが、最終的に、「1ページずつバラバラに切り離して、額装したい。」と言われるものになった。実際に、そう考えて追加購入した人もいる。
 こういう意見を言ってくれる人は、この写真集がオリジナルプリントみたいだから額装したいのではなく、1ページごとに見入ってしまうから、そうしたいと言ってくれているのだと思う。
 なぜ1ページごとに見入ってしまうのか。それこそが、鬼海さんの写真の力なのだ。
 額に入れて飾りたいのは、部屋の装飾になるからではなく、じっと眺めていたいからであり、毎日のように眺めていても飽きないからである。
 「すぐれた小説は何度読んでも味わい深いように、すぐれた写真は何度見ても見飽きない。」
 これは鬼海さん自身の言葉だが、鬼海さんは、何度見ても見飽きない写真とはどういうものかを、カメラを持っていない時でも、ずっと考え続けているだろう。
 上に述べたような、いかにも絵になりそうな絵というのは、フェイスブックのタイムラインに流れる画像のように、見た瞬間は「いいね!」となるかもしれないけれど、部屋に壁に飾って毎日見続けられるものではない。おそらく、すぐに飽きてしまうだろう。見るたびに、発見があるということもないだろう。
 自分の心の状態というのは、日々、変化している。その変化によって、見ているものの印象が違ってくる。自然風景などの場合、そのことがよくわかる。
 しかし、表現物において、そこまで懐の深いものは、実はとても少ない。その理由は、表現をする者の心が、被写体と出会った時に、その瞬間の面白さのことにしか向いていないからだ。
 鬼海さんの場合、その瞬間の面白さだけではなく、常に、その背後に思いが寄せられている。鬼海さんの写真集は、今回だけに限らず「ペルソナ」もそうだが、写真に添える短いキャプションが絶品なのはよく知られているが、あの短いキャプションは、鬼海さんの対象に向ける目の奥行きを伝えている。

「普通であることの、すごさ」。
 普通であることと、凡庸は同じではない。むしろ、真反対であるとも言える。
 普通というのは、自然に育まれた結果としてそうなったもの。ごまかしが一点もない非凡な俳句、それも無季の俳句。鬼海さんの写真に、それを感じる人は多いはずだ。シンプルな素材だけで、その人ならではのものと思わせることが非凡なのだ。個性的であろうとして意図がみえみえの過剰は、どんな表現においても凡庸だ。
 哲学を深め、その哲学が自然に削ぎ落とされたところに、非凡な表現は生まれる。そして、非凡な表現だけが時代を超える。
 鬼海さんの写真は、そういうものであると私は思っているし、だからこそ、今回、全精力を傾けて「Tokyo view」を制作して、販売している。
 写真界のことを少しでも知っている人は、今日の社会で、大型の上製本の写真集を発行して採算をとることが、どれだけ困難なことか理解しているだろう。
 多くの出版社は、もうそういう写真集を作らなくなってしまった。世の中に出ている作家性の強い写真集は、ほとんどが共同出版という名で写真家のプライドを傷つけないように配慮をした、実質、自費出版である。きちんとした印税が支払われている写真集発行を見つけるのが困難なくらいだ。写真家も、自分の作品集ができることだけで満足してしまうからだ。ひどい話しである。
 共同出版というのはビジネスだ。しかし、ビジネスのためではなく、作品への敬意があるからこそ妥協のない写真集を作れるのであり、敬意がなければ、膨大な時間をかけることはできない。
 時代を超えるという確信があるからこそ、心の底から真剣に取り組めるのだ。
 そして、このたびの写真集を制作する根底に、作品に対する敬意があるから、デザインその他において、”受け”を狙ったり、デザイナーの”主張”を入れるという作為的なことは一切行っていない。
 表紙タイトルの入れ方や装幀がおとなしすぎて面白みに欠けて記憶に残らない、と思う人もいるかもしれない。
 面白いということがどういうことなのか、価値感や好き嫌いの違いと言ってしまえば元も子もない。
 ただ一つ言えることは、写真を撮ることも、写真集を作ることも、また料理でも衣服でも何でもそうだろうけど、「普通でありながらすごい」と感じてもらえるものづくりが、究極だと思うのだ。
 素晴らしい俳句をおさめた本を一冊作る際に、なにゆえに表紙に凝る必要があろうか。何の先入観も持たずに、作品の中にすっと入っていける表紙がいいと私は思っている。写真集に限らず、中身に自信があるものは、みな同じだ。
 人間の作為というのは、自然を歪めていく何かしらの罪を負っている。にもかかわらず、作ることが人間の宿業で止められないのであれば、自己顕示欲によってその歪みを増大させるのではなく、作ることを通して、普通に、自然に回帰していく心がけを持つことが、せめてもの罪滅ぼしではないだろうか。
 一般的には、シャッターチャンスを逃さないために常にカメラを持ち歩いているのがいい写真家だと思われているが、鬼海さんは、カメラを持ち歩かない写真家だ。鬼海さんは、写真を撮る時間よりも、物事を見つめている時間と、考えている時間の方が、圧倒的に長い。
 自分の中にないものは撮れない。だから、いい写真を撮ろうと思えば、自分を豊かにする努力以外の近道はない。はやりのワークショップや、メーカー主宰の写真教室では、そういう大事なことを教えてくれない。その真理は、写真にかぎらず、どんな物作りにおいても古今東西同じだと思う。 

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鬼海弘雄さんの新作写真集「Tokyo View」が、完成しました。
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