国立科学博物館、そしてワーキングプアー

 東京の上野の国立科学博物館で南極展が開催されていたので、五歳の息子と行く。

 息子は、最近、どこに行っても難しい質問を突きつけてくるが、南極展でもそうだった。

 剥製のペンギンとかアザラシが作り物の氷の上に置いてあって、それを見て、「これ、誰が作ったの?」と聞いてくる。

 以前にここでも書いた、”いのち”をテーマにした質問http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20060615ではなく、飾られているペンギンやアザラシが人工物だとわかったうえで質問していることがわかるから、どう答えようか、ちょっと苦しんだ。

 「生きていたペンギンやアザラシが、死んで、それをこうやって生きていたようにして、飾っているんだよ」。

 これじゃあまるで答えになっていない。だからすかさず、息子の追及が始まる。

 「ええっ、じゃあ、死んでいるのに、どうして目が開いているの? 口も、ガアッっと開いているよ」

 「だから、生きているように・・・・・・・・・・・」

 と答えても、そもそも本当に生きていることと、生きているように、ということの区別を説明するのが大変で、うまく答えることができない。

 「死んだのだけど薬とかを使って、生きているような形(あくまでも形)にして、大勢の人が見られるようにするんだよ」と答えたところで、「どうして?」「何のために?」と追求してくるだろう。

 ペンギンの剥製を見て驚いたり感動したりすると、「どうして?」とか「何のために?」と聞いてくることはないと思うが、動く気配のないペンギンを見ても、息子は大して感動していないのだ。

 大人にとって珍しいだろうと思う動物が剥製のように固まっていても、子供にとっては、単なるぬいぐるみでしかない。それよりも、家で飼っているザリガニやドジョウなど、大して珍しくない生物でも、動いたり、突然喧嘩をはじめたり、口から泡をぶくぶくやっている方が、新鮮で驚きもあるようだ。

 目黒の自然教育園を一緒に散歩している時などでも、私が蛇とかカエルとかを見つけ、「蛇だ、カエルだ」と声に出すと、息子は、その姿を確認できるまで、その場から動こうとしない。そして、蛇の尻尾が少し見えただけでも、感動して、家に戻った時、母親に、「蛇を見たよお」と一生懸命に報告している。しかし、南極展で見たペンギンの剥製については、息子にとって話題の種にもならないようで、家に戻っても、母親に報告しようともしない。

 「これがペンギンですよ」と、観察見本になって全身をゆっくりと眺められるものよりも、例え尻尾の先しか見られなくても、本物の方が、かけがえのないものであるということを、子供はどうやら知っているらしい。

 そういえば、南極展で息子が一番喜んでいたのは、南極の氷を直に手で触れるコーナーと、南極体験と称して、氷点下5度の部屋をつくって、そこに入るコーナーだった。

 氷を触りながら、「つめたーい」と騒ぎながら、なかなか移動しようとしない。

 やはり、身体的な刺激が、子供にとって、一番新鮮で驚きのあるものなのだろう。視覚的刺激も、生きている蛇のように動いているものを見る時、ただ見ているだけでなく、空気を通して、何か身体的な感覚を得ているのだろう。

 そして、夜、NHKで「ワーキングプアー」の特集をやっていたので見た。農家の人など、いくら働いても貧しくなるばかりの人を取り上げて紹介し、日本の現状を訴えるものだ。

 朝日新聞の朝刊でやっていたIT長者などの「新しき富者」特集の逆バージョンだ。

 表層的な現状を映像とナレーションで伝えながら、最後に、大学教授や評論家が出てきて、「こういう状態を改善するのが政府の役割だ」とおきまりの解説が入る。しかし、その程度の解説なら、何も大学教授などの専門家でなく、誰でも言えることなのになあと思ってしまう。

 もう少し、構造的なところにメスを入らなければならないのではないか。

 たとえばテレビで紹介される苺栽培農家は、一家総出で働いても、価格の下落と肥料や農薬などの出費によって、赤字になると説明される。しかし、一生懸命に物を作って売っているのに赤字になるという構造が示されない。

 農家が赤字になるということは、儲かっているヤツがいる筈で、それはおそらく、肥料会社や、種子会社だ(きちんと調べているわけではないから全くの独断だが)。

 今日の農業は、遺伝子組み替えなどによって、「一代交配種」を作り、それを毎年、農家に買わせている作物が多い。生産量を増大させるという名目で。そして、みながその種子を使い、生産量を増大させると、価格の下落が起きる。しかも、その改良された種は、害虫などに弱く、大量の薬や、肥料が必要だったりする。

 そのようにして、農家は価格の下落した作物を一生懸命に生産し、種子会社や肥料会社や農薬会社が儲ける。

 苺なども、苗からでないと育たないと信じられて、毎年、せっせと種苗屋から苗を買って、それを栽培している農家がほとんどだとと聞く(詳しく調べていませんので、あしからず)。

 遺伝子組み換え問題は、食品としての安全性などが議論されることが多いが、経済戦略に組み込まれる問題の方が、明らかに大きいのではないかと思う。

 日本に限らず、近年、発展途上国に対する農業支援で、種子企業が積極的に動き、一代交配種による他国の農業支配を行おうとしている。

 農家への宣伝、啓蒙などによって、種子開発者側の論理が押しつけられ、それに従わざるを得ないような、それに従った方が幸福になれるような虚像が作られていく。

 マイクロソフトのウインドウズによって、他のパソコンメーカーは、いくらパソコンを作っても価格下落によって赤字になるばかりで、けっきょく、その利益のほとんどは、マイクロソフトに吸い上げられた。働けば働くほど貧しくなるばかりで、ディファクトスタンダード(事実上の標準)をしっかり構築したところだけに、自動的に巨額の利益が落ちる。

 グローバルスタンダードを強く欲するのは、ディファクトスタンダードに基づいたビジネスモデルを確立している者で、彼らの言い分に乗ってしまうと、彼らに利益を吸い上げられる。

 IT長者たちの連合は、大きなシステムを所有するもの同士が連合することで事実上の標準をつくりあげ、その標準のイニシアチブを握ることで、さらに、お金、情報、人材などを自分の膝元に集中させることが目的になっている。そして、巧みな宣伝と啓蒙にのせられて、その事実上の標準の末端の構成要因にさせられたものは、生きていく上で、その構造から逃れにくくなり、意志に反して、上納金のようなものをむしり取られる。

 今日の経済格差の問題は、もちろん様々な要因が重なっていることを承知しているが、こうした構造作りに無自覚に利用されてしまうことで格差が生じることも見逃してはならないだろう。

 食品などに関して、遺伝子組み替えによって経済的に支配していく方法は、やはり一種の科学的なプロセスではないかと思う。こうした傾向を真の科学ではないと言うのは簡単だが、それで問題が解決できるわけではない。今日の科学のなかに非常に問題の多い動きがあることは確かであり、そういうものを真の科学ではないと思う人は、真の科学の立場から、そうした問題ある動きを厳しく糾弾していかなければならないだろう。

 「それは私の仕事ではない」とか、「政府が問題解決すべきだ」と言う専門の枠組みのなかに安住したスタンスを、科学的などとみなしてはならないだろう。

 今日の日記で私が書いたことは、きっちりとした科学的根拠や知識に基づいたものではない。だから異論も多いと思う。しかし、テレビなどでただ現状をなぞるように報道することは、害の方が大きいのではないか、もう少し丁寧に構造にメスを入れる切り口が必要なのではないか、という疑問があるので、敢えて書いた。

 例えば番組に出てきた「苺栽培」の落とし穴などをきちんと伝える努力もしなければ、見る人が、大雑把な現状把握を行い、「いくら働いても貧しくなるだけの農業なんか、やってられんよ」とか、「ITとか株操作の方が楽して儲かるみたいだよ」、「政府がきちんとしていないからだよ。でも政府がきちんと対応しそうもないから、流れに乗るしかないよ」みたいな空気だけが広がってしまうのではないだろうか。それって、ますます状況を悪くするだけのような気がする。


風の旅人 (Vol.20(2006))

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