受け皿がないと、なぜ行動できないのだろう

 東京新聞の記事だけでは詳細がわからないから、仕方なく、現在発行されている「論座」を買って読んだ。

「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答で、特に心に響くものはなく、だいたい常識的なものばかりだった。

 なかには、「常識」の強権のようなものもあった。

 私が一番不快に感じたのは、この雑誌に直接寄稿しているわけではないが、ある現職の東大教授が「こういう人間を養成した、戦後世代の者としての責任を感じる」と意見を発していることだった。(同じようなコメントを述べる良識的インテリは無数にいて、ワン オブ ゼムだから名前は不要)

 養成する側とされる側があって、自分は養成する側にいて、その資格を持つという自惚れに、私は生理的な嫌悪を感じる。

 責任があるといっても、あくまでも自分の使命が果たせていないというニュアンスであり、養成の基準そのものが間違いかもしれないという疑いではないようなのだ。

 私の先日のエントリーに対する赤木さんのコメントで、

 「また日本に戻ってきたときに、自分と社会とを繋ぐ受け皿が存在すると思えた時代には放浪は有効だったのかも知れませんが、日本で働きながらも受け皿がないという、現在の社会状況下で有効であるとは、私は思いません。」というものがある。 

 この赤木さんの考え方じたいに、私は戦後教育においてインテリが養成しようとしてきた型を感じてしまう。

 「行動」よりも、「条件」とか「目的」が先に必要だという考え。これは彼に限らず、採用面接などでも似たような質問をよく受ける。「営業スタッフ」を募集している時、「最初は営業からやるにしても、後で編集に携われる可能性はありますか? あるのだったら応募したいのですけど」という類のものだ。

 旅行業でも、「最初は営業でも構わないのですが、あとで企画とかできるのでしょうか?」と質問する人も多い。

 彼らは、「営業」はあまり好きでなく、「編集」とか「企画」はしたい。でも、それらの仕事はあまり採用がない。だから、まずは仕方なしに「営業」で入社させてもらいましょ。でも後で、自分の望む仕事に携われる可能性がないのはと厭ですよというスタンスだ。

 こうした人たちは、「可能性」は、自分が引き寄せるものだとは思っておらず、環境にあらかじめセットされているものと思っている。

 たとえ「可能性」があったとしても、こうした思考特性と行動特性をもっているというだけで、可能性は薄いなあと私は思ってしまう。条件付きでないと行動できないという癖は、その後、仕事でいろいろな壁にぶつかった時に悪い方向に導く。やり方次第という気持ちでアタックして壁を突破するという姿勢につながらず、高い壁の前で途方に暮れて、諦めてしまうことが予想されるからだ。

 「風の旅人」の創刊時の白川静さんをはじめとする掲載者の名前を見て、「立派なコネがあるんですね」と言ってきた業界人がいるが、彼らはコネがないと仕事ができないと思っている。コネなど何もなくても、やり方次第で可能性があるということをわかっていない。

 自分のなかに自分が気付いていない力や可能性があるかもしれず、その可能性に賭けるというスタンスこそ、放浪に通じるものだと私は思う。自分が計算できる範疇のことだけでモノゴトに対応しようとすると、不可能は不可能なままで終わるし、本当は可能だったものも、みすみす逃すことになる。

 そうした負のスパイラルによって、自分の周りから可能性がどんどんなくなってしまうと、残された可能性は、全てが入れ替わるかもしれない「戦争」(実際は、それは妄想にすぎないけれど)という発想に至るしかないのかもしれない。

 このようにして、自分の周りから可能性の芽をどんどん自分で摘み取ってしまう思考特性と行動特性は、いったいどこからやってきているのか。

 私は、日本の戦後教育こそが、そのように人を養成したのだと思っている。養成にミスをした結果、「戦争」を口にする若者が出ているのではなく、養成そのものに問題があるのではないか。

 今日、教育問題が話し合われる場合も、「授業時間が多いか少ないか」とか、「落ちこぼれ対策」とか、「道徳や倫理の教育」とかがテーマになるが、「覚えさせられていること(授業内容)」や、身につけさせられている「思考特性」そのものに問題があるということまでは議論されない。教育は、社会適応できる人づくりが前提になるから、現状の社会が予め肯定されたところから始まっている。教育の根本的な修正は不要で、それに適応できない者をどうするか、という観点でのみ話し合われるのだ。

 今日の学校教育の現場において、「答え」のない「問い」は存在しない。わからなくても、幾つかある「答え」のなかからどれかを選んだ方が、もしかしたら当たるかもしれないので得だと教えられる。試験問題はそういうものばかりだ。答えは自らつくり出すものではなく、あらかじめ誰かが用意したものを選ぶものになっているのだ。

 社会運動にしても、正しい答えがあるということが前提になっており、間違った答えを持つ人を正すことが使命のようになっている。そのように自分の方に正しい答えがあると信じこんで、間違っている者を正すというスタイルを徹底させているのが、アメリカだろう。そういう意味で、戦後教育は、今日の反体制のインテリが嫌っているアメリカにどっぷり浸かっているように思う。 

 「正しい答えなんかありません。答えは、その都度、自分で考えてつくり出すものです。人生の可能性もまた同じです」などという考えに基づいた教育は、現状では、なかなかできない。やろうとしている人もほとんどいない。たとえ口先で言ったとしても、それを身をもって実践している人もいない。

 そのような育成環境のなかで長年育っていると、正しい答えや条件が前提にならなければ行動できないという人が増えるのは必然のことかもしれない。

 話は変わるが、「砂漠」に生きていると、分かれ道で右に行くか左に行くか、正しい答えは必ずあり、遊牧民のリーダーは、それを判断する知識と経験が求められたという。なぜなら、その判断によって、泉に到達して水を得られるかどうか、グループの生死が決定されるからだ。

 しかし、「森」の場合、右に泉があり、泉に行くつもりで左に行ってしまっても、川があったり、果実がある可能性もある。そこに欲するものが必ずあるとは限らないが、それ以上の喜びをもたらすものに出会うこともある。

 世界や社会が、砂漠のようにできているのか、森のようにできているのか。

 戦後教育は、世界や社会が砂漠のようであるという前提に行われているように思う。

 苛烈で容赦のない生き地獄だから、それに対応するための知識をストイックなまでに獲得し、判断を間違わないようにしなければならないということだ。

 そうした生き方を押しつけられている者は、泉があることを信じられる間は我慢できた。しかし、本当は、泉なんてどこにもないのではないかと思うようになると、どう生きていけばよいのか。

 戦後、正しい答えを持つ側にいることを前提に、”至らない者”を養成することを使命としてこれまで行動してきた者の責任は、「こういう人間を養成した」ことではなく、泉の場所を示せないことではないか。もしくは、社会や世界を、砂漠だと言い続けることで、森のような迷路を彷徨う楽しみを奪ってしまったところにあるのではないか。

 「とりあえず放浪そのものを楽しんでみる」とか、「とりあえずやってみる」とは思えず、帰ってきた時の受け皿を用意しなければ出かけられないというのは、徹底的な砂漠教育の結果ではないか。

 「成せば成る」ではなく、「本当にできるかどうかみんなで考えて話し合ってやりましょう」という態度は、教育現場に限らず、NHKをはじめとする討論番組でも盛んだ。

 行動する前に自分が考えつくことなど、たかがしれているのに。


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