第1225回 思考特性と、時代との関係

 日本は、この20年か30年、経済的に止まっているとよく言われる。経済だけでなく、学問においてもそう感じる。その原因は色々あるだろうが、根っこの部分に思考方法の問題が横たわっているのではないだろうか。

 学問の場でも、ビジネスの場でも、かなり前から、正しい一つの答を争う議論ではなく、ブレーンストーミングの意義が語られていたように思うけれど、実際に、大学やビジネスの現場ではどうなんだろう。

 誰かが述べた意見に対して、「あなたはまるでわかっていない」と否定するか、「共感します」と賛同するかではなく、そういう考え方もあるのかと留めておいて、こういう考えた方はどうだろうかと、考え方の角度や切り口を変えて、問題に向き合っていく態度。一つの正しい答えがあると決めつけるために議論するのではなく、考え方の幅を作っていくことの重要性。

 もちろん、この時点で何かしらの結論を導かないと前には進まない。しかし、導き出した結論が、必ずしも正解だという保証はない。もし、しっかりとブレーンストーミングがなされていたら、一度導いた答えが違っていたかもしれないと少しでも不吉な予感があれば、慌てることなく冷静にすぐに次の手を打てる。

 大事なことは、一つの正しい答えではなく、少しでも良い答えに近づくための姿勢。そもそも、一つの正しい答えなんか存在せず、やり方次第でどのようにでも変わる可能性があるのが現実世界。

 今の学校教育や、試験制度など、そうしたブレーンストーミングに対応できるものだろうか?

 訓練もできていないのに、大学に入ったり就職した途端、ブレーンストーミングをやれと言われてもできるはずがない。

 そして、ブレーンストーミングの訓練ができていないと、人生に対する心の備えだって違ってくる。選択を間違っていたり、一つのテストに失敗した瞬間、自分の人生は終わりだと思い込んでしまう。

 やり方次第でどうにでもなると思える心の余裕こそ、現在のように先行きの読めない時代には必要なのではないか。

 戦後の高度経済成長期のように、一つの答えをできるだけ多くの人と共有し、疑うことなく突き進むことが良い結果をもたらした時代もあったが、今は、そういう時代ではない。にもかかわらず、学校教育は、当時とさほど変わっていないのではないか。

 生き辛い時代だとよく言われるが、それは、時代に原因があるのではなく、教育や社会環境によって作られてきた自分の思考特性と、時代がミスマッチしているからかもしれない。

 人間は、なかなか考え方を変えることができないというのも、また前時代的な発想であり、そうではないケースを色々と想定したり、検証したりしながら、思考の幅を広げていった方がいいのだろう。

 こういう時代、人の意見に対して、「あなたは間違っている、なにもわかっていない」と噛み付く人は要注意だ。自分の考えを示すこともせず、「お前はバカだ」と唾棄するだけの人もいる。

 しかし、その人から発せられているどんな言葉も、その人の思考と、その人自身を表す。薄っぺらい言葉を使えば使うほど、自分の薄っぺらさを撒き散らしている。

 もちろん、世の中には間違っている考えはいくらでもあるので、これは正さなくてはならないと思う場合は、中途半端な否定の仕方をせず、自分の考えと、そう考える根拠をしっかりと示せばよく、あとは、自分の考えの深さや説得力を増す努力をするしかない。

 問われるべきは、正しいか間違っているかではなく、思考の幅や深さと、その根拠の厚みではないかと思う。

 

 

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