第1271回 わかることと、わからないことの間

 わかることと、わからないことの間の在り方について、色々と思うことがある。

 先週、スタンフォード大学の学生に対する講義を行った。スタンフォード大学の学生は、自分が選ぶ海外の国において、一定期間、授業を受けるプログラムに参加できる。

 私が関わった講義の内容は、「編集」に関するものだが、半年ほど前に私が制作した「The Creation」という本と、写真史の中でも名著とされるエルンスト・ハースの「The Creation 」を題材にしたものだった。

 この2冊の「The Creation」の違いは何なのかを掘り下げながら、東洋と西洋の文化の違いや人類普遍の共通性を確認し、考察し、その考察を形あるものとしてアウトプットする(編集する)うえでの原理や方法論を考えていくという授業である。

 編集というのは、本の編集に限らず、全ての創造行為に通じている。全ての存在物は、何一つ単独で存在しておらず、様々なものの編集物として存在している。生命体にしても、細胞や器官などの総合的集合体であり、それらの部位の連携が全体を機能させているわけで、これもまた編集のうちにはいる。

 「The Creation 」は、「天地創造」という意味で、世界各国の神話の冒頭に必ずといって出てくる物語だが、これは、昔々に実際にあった出来事というより、どのように世界が成り立っているかというビジョンが示されている。このビジョンは、人間特有のイリュージョンという言葉に置き換えた方が適切だ。

 動物行動学者の日高敏隆さんは、様々な動物の行動観察から、「全生物の上に君臨する客観的環境など存在しない。我々は認識できたものを積み上げて、それぞれに世界を構築しているだけだ。」という言葉を残したが、つまり現代科学が作り出した宇宙イメージもまた、現代人特有の認識によって構築されたイリュージョンだということになる。

 近代以降、火薬の利用や蒸気機関など爆発力によって人間世界が大きく変貌することになったが、爆発力こそが最高のエネルギーを生み出す力だという認識の延長上にあるイリュージョンが、ビッグバン宇宙論なのだろう。宇宙の始まりが、限りなく凝縮した一点から究極の爆発によって始まるという説は、20世紀初頭までの近代人の認識が反映されている。

 しかし、ここ数十年で、レーザー放電や放射線など、爆発力ではない力が人間社会に影響を与えるようになってきた。その経験と認識が人類に蓄積されていくと、宇宙構造に対するイリュージョンも変化し、ビッグバン宇宙論は過去のものとなるのではないか。

 近代の宇宙論は、近代人が作り出した神話にすぎない。おそらく1000年後の人たちからは、そのように判断されることになる。 

 いずれにしろ、古代に創り出された天地創造の物語も、客観的事実や史実の記録ではなく、その神話を作り出した人々の時空観と思考特性が反映されている。

 エルンスト・ハースの「The Creation 」は、明確に、「聖書」が元になっており、ゆえに、近代文明を作り上げた西欧の時空観や思考特性が現れている。

 それは、ダーウィンの進化論に通じる考え方で、我々が生きている宇宙の時空は、直線的に、階段を登っていくように変化していくというものだ。

 それに対して私が作った「The Creation 」は、「天地開闢」、「流転」、「陰陽調和」、「縁起」、「無常」、「転生」という言葉を軸に、6つのパートで構成し、最後が最初につながっていく循環的な時空観を表そうとしたのだが、これは、一般的には「東洋思想」の特性とされる。

 西洋思想の表現においては、学問もそうだが、モーゼの十戒のように、明確で厳密であることが課せられるのに対して、東洋思想というのは、その明確さを意識の囚われとして否定するところがあり、ゆえに、空海であれ道元であれ、彼らの言葉の真意は捉え難い。

 「わかる」と断定したり決めつけたりするレベルは、物事を本当にわかっていないということであり、だからといって沈黙していても、「言葉で表現できない」という認識の上にあぐらをかいているだけということになり、禅問答が展開される。

 今回のスタンフォードの学生への授業も、なんとなく、その禅問答のようなものになった。

 この授業に対して、学生からレポートが提出されたが、一人の聡明な学生から、

  I'm really enjoying the space these assignments are creating for reflection. という言葉があった。

 「reflection」は、反響という意味だが、熟考するという意味でもある。反響という熟考は、create (創造)されるものであり、その創造の場は、単なる場所というより、space、つまり「間」であり、宇宙である。

 この聡明な学生の、この一文が、まさに今回の授業でCreateしたかったことを表しており、これだけでも、わりとうまくいった授業だったと感じられるが、こちらもまた、そこからreflectionが始まる。何かを教えているというのはおこがましく、同時に、こちらが学んでいると言った方が相応しい。

 「The Creation 」の制作において、私が苦心したのが、6つのパートの冒頭に掲げた言葉の捉え方であり、それを英語化することだ。

 「天地開闢」や「陰陽調和」を、英語でどのように表現するか?

 この際の英訳は、語学力の問題ではなく、もとの日本語に対する理解と認識の問題となる。

 これらの日本語の一文を、近年、高性能になった自動翻訳機に入れれば、beginning of heaven and earthとか、Harmony of yin and yang という英語が出てくるだろう。

 しかし、この英訳は、状況をわかりやすく整理しているにすぎず、本質には至っていない。

 天地開闢というのは、世界に向き合う際の人間意識の開闢である。つまり、混沌にしか思えなかったものが、意識の開闢によって、どのように捉えられるかということだ。

 カール・ユングは、フロイトとともに歴史的に名を残す心理学者で、人間の無意識の探求者だった。彼は、無意識を、認識言語の形として残しているが、それもまた混沌の秩序化と言えるだろう。

 ユングフロイトには、決定的な違いがあった。

 フロイトは、無意識を性に還元する傾向が強く、無意識を個人の意識に抑圧されたものとして捉えたのだが、ユングは、個人の無意識の奥底に人類共通の集合的無意識が存在していると考えていた。

 しかし、こうしたユングの探求は、個別現象の徹底的分析というやり方が正当となっている20世紀型の科学と逆行していると批判されることもあり、「オカルティズム」と扱われることもあった。

 ユングは、世界各地の神話・伝承ともつながる集合的無意識を、全ての人間が共有していると考えていたが、だからといって、人間がその集合的無意識に固定的に永久に縛られてしまうわけではなく、無意識と意識の調停作業を通した変化の可能性を秘めていると考え、だからこそ、心の治療も可能であるという信念があった。 

 私は、「天地開闢」の英語化として、このカール・ユングの、In all chaos there is a cosmos,in all disorder a secret order.という一文を当てた。

 認識言語の獲得は、意識の開闢であり、それが、(自分にとっての)世界の始まりだと考えたからだ。

 そして、「陰陽調和」の訳に関しては、Harmony of yin and yangとせずに、Take things as a whole,though they manifest in variety of forms.とした。

 これもまた、かなり飛躍した意訳であり、ステレオタイプの解答を当てはめることを正解とする日本の教育システムでは通用しないことは十分に承知している。

 しかし、認識の幅を狭めて正しいか間違っているかを議論することよりも、認識の幅を広げて、自分の存在や世界それ自体を見直すことが、時には必要なことがある。

 現代の世界を支配する価値観や、物事の認識の仕方に、何の問題もなければ敢えてそういう試みは必要ないだろうが、そうとも言えない状況が、政治だけでなく、学問や産業など至るところで見られるのだから。

 陰陽調和に話を戻すと、そもそも世界の様相を二つに分けて整理することが、近代人には理解しやすい思考となる。しかし、陰陽というのは、陰陽太極図を見ても感じられるように別々の二つではなく、一つの様相の光と影であり、一つながりのものだ。陰の極点が、陽への転換点となり、逆もしかりだ。

 

 近代の分析的思考というのは、この一つながりのものを分け隔てていく傾向があり、それが結果的に、今日の学問の分断的状況をもたらしている。

 この分析的思考は、人類がもともと備えていた思考特性ではなく、17世紀前半、最後の宗教戦争とされるドイツ30年戦争に志願しながら、その実態に失望したデカルトが、『方法序説』の中で始めた思考方法だ。

 『方法序説』は、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」ということだが、デカルトは、この本の中で、世の中に広まっている色々な考えに盲目的に追従することを否定したうえで、自分の理性の力で、真理を見極める方法を提示しようとした。

 そのために、思考の対象をよりよく理解するために、「多数の小部分に分割すること」が必要だとし、最初は単純な認識であってもそれを複雑な認識へと発展させ、最後に完全な列挙と、広範な再検討をすることが必要であるとした。

 こうした理性の使い方が、その後の学問の方法論となる。その結果どうなっていったかというと、学問の細分化が起こり、それぞれの分野の専門家は増えたが、最後に行うべき広範な再検討のための統合的で巨視的な視点が、どの学問分野でも育まれにくいという問題に直面することになってしまった。

 この流れは、近代にだけ特有の現象ではなく、2500年前の古代ギリシャにおいても同じ流れがあった。

 ギリシャ哲学は、「ミュトス」という空想に対して、「ロゴス」という理性を重視し、神話のように「物語る言葉」ではなく、「論証する言葉」を追求した。その結果、

ソフィストが跋扈するようになり、そこから、ソクラテスの「無知の知」の問答へとつながっていった。

 2500年前というのは、古代中国においても、孔子老子孟子荘子などが出た時代だが、ソフィストと同じく、言葉の論理で正誤のイニシアチブを牛耳ろうとする詭弁家という存在が跋扈していた。

 つまり、理性による客観的分析の思考は、2500年くらい前に著しく発展したが、その矛盾も露呈し、いったんは終焉し、理性を超えた力に重きを置く宗教の時代となった。しかし、理性が重視されないようになると、しだいに盲信や偏見に支配された状況がはびこるようになり、宗教戦争が激しくなった。デカルトが生きた時代は、そうした時代の終末期であり、彼は、再び、理性の力を取り戻そうとした。その試みの延長上に、産業革命があり、近代化がある。

 産業革命は、聖書の中ではバビロンの塔の建設に該当し、その結果、聖書の中で「言葉が乱れた」とあるのは、多言語になったということではなく、産業化で、例えばコンピュータ言語のように言葉がややこしくなり、各分野の専門家と称する詭弁家が増えることも必然であり、それが、言葉が乱れるということだ。

 人類の思考の変化は、階段を上るように過去から現在に向かって整えられていったのではなく、何度も同じようなことが反復され、どうやら循環的に変化してきている。

 ミュトス(空想)は、ロゴス(理性)の立場からはイリュージョンだが、ロゴス(理性)もまた、人間のイリュージョンである。そして、それらのイリュージョンは、環境によって変化する。

 ミュトスの時代、立場の異なる者のあいだで、それぞれの盲信によって戦争が起きたが、ロゴスの時代でも、イデオロギーの違いや、自己都合的な論理的正当化で戦争が起こる。そして厄介なことに、ロゴスの時代の戦争の方が徹底的になってしまうのは、自分の正しさを正当化するために論理武装による強化が起きるからだ。そのため、政府や財界、権力者に迎合し都合のいい説を唱える学者が、重用される。

 このことは、デカルトが、『方法序説』のなかで、「私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと」と考えたとおりになっている。つまり、理性は、対立を防ぐ道具になるように思われているが、実際は、激しい対立を生み出す原理主義につながっていく可能性を秘めていることを歴史が実証している。

 フランス革命共産主義革命の際、掲げられた正義によって、その正義にそぐわないものが疑われ、殺され、破壊されていったことは、人間本能の動物的野蛮さゆえではなく、デカルト方法序説にある「私が明証的に真理であると認めないものは、一切認めない」という頑なな理性を起源として、それが過激化していった結果だ。

 さて、「陰陽調和」の訳語として、Take things as a whole,though they manifest in variety of forms.としたのが正しいか間違っているかはともかく、その意識に基づいて、私は、「The Creation」を作った。

 そして、今回の講義の前、二つの「The Creation」を見て、何の説明も受けずに、どう感じるか、どう考えるかを綴ったレポートが学生から提出された。その中に、ずばり、Take things as a whole,though they manifest in variety of forms.という一文が、二つの本の違いを解く鍵だと指摘している聡明な学生がいた。

 その学生は、私が作った「The Creation」は、本の中の引用文や写真のつながりの在り方じたいが、一つのものが他のものを支配するような世界観ではなく、自然界の生態系のようになっていると述べていた。そして、エルンスト・ハースのように被写体の正面からダイレクトに撮るという方法は、彼個人がどのように対象を見ているのかということを明確に伝えて観るものを誘導するが、私が作った本の大山行男さんの写真構成からは、世界に対する窓が次々と増えていくようで、まるでドラッグをやったかのように世界の見え方そのものが揺らぎ、変化するというようなことを書き添えていた。

 こうした感想を持ってもらえた時点で、私が作った本の本質を直感的に掴んでもらえているという喜びがあった。

 しかし、この感性と思考に優れた学生たちに対する講義は、この二つの「The creation」の違いが、何に由来しているかということと、その違いを形にしていくための方法論を言葉で説明することが主題であった。しかも、日本語のわからない人たちに対して、英語という西欧言語を使って。

 この二つの違いを説明するためには、二つの世界の文化、思想、宗教、風土、そして歴史など全てを包含して説明しなければならず、それこそ、「全体的視点」が必要になる。

 二つの「The Creation」の制作における方法論の違いは、簡単に言うと、エルンスト・ハースの本の場合は、最初に厳密な設計図があり、その設計図に基づいて細部を構成して作り込んでいくというエンジニアリングの手法であり、私の本は、厳密な設計図を用意せず、宮大工や石工が、樹や石を見て、それらがどこに行きたいか、どこに組み合わさってペアになりたいかという声に耳を傾けて全体を統合していくのと同じく、一つひとつの写真に耳を傾けて、全体を整えていくブリコラージュの手法ということになる。

 文化や風土や宗教は、言語による説明が可能だが、このブリコラージュに関しては、日本語で説明するのも難しい。ウィキペディアなどで説明されているような内容では不十分であり、これは一つの奥義みたいなものだ。

 しかし、20世紀において最も信頼できる知の巨人である人類学者のレヴィーストロースは、このブリコラージュが、生態系の本質であり、生物の存在は、神の創造や進化論というエンジニアリング的な展開によるものではないということを指摘した。

 今回のスタンフォードの学生への講義において、私には、強力な助っ人がいた。それは中山慶であり、彼は、おそらく日本国内で最も優秀な通訳者の一人であると私は思う。優れた通訳者というのは語学の達人というだけではダメで、言語力が重要になる。単語を置き換えればいいわけではなく、言葉を組み立てる力が必要なのだ。

 それにくわえて、私が風の旅人を作っていた時、社会に出たばかりだった彼は私のアシスタントであり、私の考え方やビジョン、そして仕事のやり方を、誰よりも詳しく知っている。

 そして、この講義の責任者であり進行役が、写真表現家の荻野Nao之君で、彼は日本生まれメキシコ育ちで、日本語と英語とスペイン語バイリンガルだが、言語的な多様性だけではなく、脳内の思考特性にも多重性が感じられ、彼の作品を風の旅人に掲載する時、彼の思考特性の多重性を引き出そうと思って文章を書いてもらい、何度も何度も推敲を続けたことがあった。多重性の整合性を具現化するための試みでもあり、それは荻野君の中に潜在している欲求でもあった。だから彼は、その延長上で、その後も表現活動を続けている。

 ゆえに、今回の講義のテーマである二つの「The Creation」についての考察は、彼にとっても大変興味深いものであり、だから、講義の内容への没入も強くなって、自分ごとの問題として、ファシリテーターとして積極的に関与することになる。だから、時おり彼が参入することで、講義の内容にドライブがかかる。

 私一人では不可能なことだが、中山慶や荻野Nao之が重なることで、他に取り替えの効かない時間が生まれる。

 もちろん、そうした得難い時間であることが、学生に伝わらなければ意味がない。

 そのため、英語においては中山慶という強力なバックアップ体制のある状況に関わらず、私は、講義の前半の1時間半においては、敢えて自分の拙い英語を中心に話を進めていくという匹夫の蛮勇の選択をした。

 もちろん、ダメだったら途中から中山慶に頼ればよく、行けるところまで行くという気楽な判断である。

 なぜそういう判断をしたのかというと、この難しいテーマの授業において、明確な答えを伝えることが目的ではなく、二つのコスモロジーのあいだに言葉の橋を架ける苦心を見せることも大事ではないかと思ったからだ。英語がうまいか下手かは二の次であり、そもそも言語の起源や幼少期は、言うに言われぬことを、たどたどしく伝えることから始まったはず。言語の本質は、正しい答えを示すことではなく、手探りしながら世界と自分の関係を輪郭づけていくことだと思う。私個人としても、一つの正しい答えよりも、人によって異なる答えに至る思考の流れの方が、興味深い。

 正しい答えを固定的なものだと捉えることが大きな間違いで、答えは常に流動的で、状況によって変わってくる。

 デカルトを起源にする近代思考は、宗教戦争の真っ只中を生きたデカルトが、当時の多くの人々が陥っていた宗教をベースにした旧パラダイムへの盲信から抜け出すための方法論として編み出したもので、その当時ならではの事情が背景にある。

 このことを踏まえず、昨今の日本の教育的状況には、とても不吉なことが多い。生徒一人ひとりの学習状況をデジタル化によって共有化、保存化して、それを生涯教育にも役立てようという教育の管理化などもそうで、教師の事務的作業が増えて本来やるべき教育の時間が奪われるという問題以外に、こうした一元化こそが、「学習」の本来の意義を遠ざけることになる。

 学習は、決まり切ったルール(知識情報)を身につけるために行うのではなく、多元的宇宙に柔軟に対応する知恵を身につけるために行う。鋭い牙や爪や身を守る厚い毛皮を持たないホモ・サピエンスの生存の鍵は、それしかない。ホモ・サピエンスが、環境変化に対応できない硬直した思考しか持たなければ、とっくの昔に滅んでいたことだろう。

 日本の教育界は、学習とは、決まった答えをできるだけ正確に、速く、たくさん身につけることだと思ってしまっており、正しい答えの流動性に対する認識が欠けている。

 社会で必要とされる能力が、今後どうなっていくかもわからない状況で、画一的な思考しかできない人を増やす教育が行われる社会の行く末がとても心配だ。

 スタンフォード大学の聡明な学生たちに対して、エンジニアリングおよびブリコラージュの思考の違いと、その起源を、風土や、歴史や、宗教に遡らせるという日本語でも明晰なる説明が難しい内容のことを、私は、敢えて、稚拙な英語で伝えた。

 正直に言うと、自分でも自分が考えていることが正しいかどうかわからないので、私の発信している言葉の全てを、そのままに受け止めてもらわない方がいいという気持ちもあり、それゆえ、稚拙な英語の方がかなっている。

 そして、15分間の休憩中、案の定、学生たち同士が、「けっきょくブリコラージュって何だ?」みたいな話をしている。

 曖昧で複雑で、そこに歴史や文化の違いや様々なものが関わってくるということはわかるが、明晰なる解答には至っていないという状況だ。

 私の側からは、とりあえず畑を耕したという段階で、そこに種を撒いて苗を育てるのは彼らだ。 

 そして、休憩の後の後半は、学生たちからの質問の時間とした。その質問が難問になることは十分に予測できた。日本語でも答えることが難しい、「今、私たちが生きている現実世界に落とし込んだ時に、どうすればいいのか?」という具体性の質問になることは、前半の講義の展開から読むことができた。

 このスタンフォードの学生に対する講義は、コロナ禍の前にも数年行っていて、その時は、その具体性においては数枚の写真を実際に編集して組んでいくという作業などを通して説明を行った。

 一般的には、「 言うは易く行うは難し」だが、ブリコラージュは、「言うよりも行って見せた方が易し」ということがある。これは、武術などにおいてもそうだろう。説明は難しいが、見せることの説得力はある。

 しかし、今年の講義では、既に二つの「 The Creation」という物が存在していて、それを見れば、違いはわかる。その違いはどこから来ているのかという説明を、長々と前半の授業で行った。後半は、それを、どういう方法で行っているのかという学生の素朴な疑問に、言葉で答えなければならない。

 ここからは、私と一緒に仕事をして、私の仕事を客観的に見ていた中山慶の言語力に大きく頼ることになった。

「ブリコラージュとエンジニアリングの方法論の違いはよくわかった。しかし、そのブリコラージュに基づいて制作するという時、やはり、エンジニアリングと同じようにゴール設定があるのではないか? ないと言えるのか?」という類の禅問答のような質問が続き、答えなければいけないのだが、それに対して、まずは、どう答えるべきか考えなければならない。でも私は、英語で思考ができず、日本語で思考する。そして、その思考を、沈黙した状態ではなく、日本語を外に発しながら行った。

 考えたことを喋るのではなく、考え中のプロセスを、そのまま喋る。

 その私の日本語を中山慶が受け取って、そこに風の旅人を制作していた時の私の方法論を、中山慶が客観的情報として認識したものを、当意即妙に織りこんで、すばやく英語で伝えていく。

 学生は、私が学生の質問に対して何か一生懸命に考えているというプロセスを、私が発する日本語で感じながら、その思考の中身を、中山慶の英語によって知るという展開となった。

 中山慶は、私が口にしている日本語だけを英語にするのではなく、私との経験で記憶しているものを、次々とexampleとして多投できる言語力と英語力を備えており、そのexampleの幅が説得力を持つ。

 しかし、それは唯一絶対の答えではない。そこが肝心なところである。唯一の解答は得られないけれども、「なんとなくわかった」と感じてもらえれば授業は成功であり、後の余白は、学生たちの領分となる。

 表現や情報の発信者が、いくら準備を整えて、頭を働かせ心を尽くして行ったアウトプットでも、その受け手側が、非常に偏狭で偏った視点を持っていたり、自分がわからないことや知らないことに対する心の耐性が強くなければ、一方通行になってしまう。しかし、その場にいたスタンフォード大学の学生たちは、コンピューターサイエンス専攻の学生も多かったのだが、歴史、文化、風土、宗教といった内容も、自分ごとの問題として受け止める真摯な姿勢を持っていることが感じられた。

 彼らの優秀さといってしまえばそれまでだが、アメリカでトップレベルと言われる大学の学生たちの顔ぶれは、アジア、中南米、アフリカなど、出身地が全世界的だし、なかには移民家族や貧困層出身もいた。

 数十年前までならアメリカは、白人とそれ以外の差別が当たり前だったが、もはやそんなことは言っておられない。

 トランプ大統領を強烈に支持する白人層も多いが、アメリカという国を一つに束ねていくミッションを自分ごとだと意識している人々は、差異を排除するのではなく、差異への理解を深めることが、大事だとわかっている。 

 そして、差異を自分に引き寄せることが、自分の仕事を、より豊かにするだろうと認識している。

 30年以上前、世界中に日本製品が溢れ、日本人自身が日本人を優秀だと思うようになってしまった。

 しかし、その当時の製品づくりは、まさにエンジニアリング的な方法で、正しいゴールを一つ決めて、その一つの価値観を皆で共有して、規則正しく、ミスが起こらないように、ゴールに向かって無我夢中で走り続けるというスタイルであり、日本の教育制度は、そうした人材つくりに特化している。

 だが、この20年で、世界の状況は一変した。日本が得意としてきた規格品の大量生産は、他の国でも簡単にできるようになった。

 西暦2000年以降、多くの日本人が気づいていないところで、世界の何が変わってきているのか。

 日本人の賃金が上がらないことなど、この20年の日本の停滞の原因が色々な角度から語られているけれど、実際のところ、何が一番問題なのか。

 私は、差異に対するスタンスにおいて、日本は、大きく立ち遅れてしまったのではないかという気がする。

 欧米などと比較して、亡命者や移民などの外国人受け入れにおいて、日本国があまりにも少ないことは知られているが、日本は、同じベクトルに向かって歩調を合わせるという国民意識が浸透しすぎたためか、人と異なることに対して尻込みする人が多いし、自分の知らないことやわからないことに対して、心を閉じてしまう人も多い。

 戦後日本は、同質化の環境での共同作業に集中して世界一の物作り大国となったが、現在は、それだけだと強みにはならない。

 現代社会の電子化技術において半導体の存在が重要だということは誰でも知っている。

 そして、1980年代、日本の半導体生産は、世界一だった。

 その半導体生産において日本の優位性がなくなってからは随分と立つが、それでも、半導体製造装置においては、2000年くらいまでは日本のキャノンやニコンが世界の圧倒的シェアを占めていた。

 半導体装置さえあれば、人件費の安いところならどこでも大量の半導体を製造して輸出できたわけで、その意味で、日本はイニシアチブを握れていた。

 しかし、現在は、オランダのASMLという企業が、世界で圧倒的なシェアを持つ存在となり、日本企業は太刀打ちできなくなっている。

 半導体製造装置のなかでは、半導体露光装置というのが重要で、この技術は、レンズ性能によるところが大きいので、かつてはニコンやキャノンという日本の光学メーカーが世界最強だった。

 しかし、ニコンやキャノンは、その自社の強みをもとに、それ以外の部品も自社周辺で行おうとした。

 それに対してASMlは、レンズ技術においてはドイツのカールツァイスという写真好きなら誰でも知っている伝統企業と組んだ。そして、それ以外の部品もオランダの電気機器関連の多国籍企業であるフィリップスなどとの連携で、半導体製造装置を製造している。

 設立は1984年という若い会社だが、16カ国に60以上の拠点を有し、世界中の主な半導体メーカーの80%以上がASMLの顧客という急激な成長を遂げている。

 まさに、この会社の存在の仕方じたいが、ブリコラージュ的と言っていいだろう。

 20年以上前は、コアコンピタンス(企業の強み)をシーズ(種)として事業を展開して発展する会社モデルがエコノミストから賞賛されていたが、その方法でキャノンやニコンが、半導体製造装置部門で世界一であったのは2000年代初頭までなのだ。

 かつて日本は大量生産の規格品の輸出で貿易収支を黒字にしてきた。そして、その後、中国や韓国などが大量生産の規格品で優位に立つと、半導体製造装置など、電子・電気機器が、日本の輸出収入の柱となった。今は、この分野での落ち込みが激しく、それに取って変わるものが見当たらない。

 移民の流れをはじめ、世界の情勢が、急激に同質化を許さないベクトルに向かっており、北朝鮮など一部の国が、その流れから完全に取り残され、捨て鉢の生存方法を取る構えでいる。

 島国日本は、その変化に取り残されずに、やっていけるだろうか?

 古代から日本の神というのは、世界の設計者ではなく、個のものを他のものとつないでいく縁起の力に宿っていた。だからこそ、出会いは神の恩恵であった。

 デカルト方法序説で示した明晰で一元的な真理によって性急に問題解決をはかろうとするのではなく、多元的な道理によって成り立つ世界の実態を踏まえ、真摯に問題に向き合い続けるうちに巡り会う邂逅を自分の糧とすることで自ずから開かれていく道があると念じること。決して投げやりにならず、この世界の幅と奥行きをキャッチできるアンテナを準備して、直線的でなくスパイラルな行程を、少しずつ歩んでいくしかない。

 

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