第1270回 日本の神話と火山の関係

浅間山の「鬼押出し」 。1783(天明3)年の噴火の際に、浅間山の山頂から流れ出た溶岩流。


 全国に約1,300社の浅間信仰の神社があるとされるが、浅間神社は、現在、富士山への信仰の神社とされる。さらに、浅間神というのは、ニニギと結ばれて山幸彦と海幸彦を産んだコノハナサクヤヒメとされる。

 浅間神とコノハナサクヤヒメが同一視されているのは、コノハナサクヤヒメが、火の中で出産したからだとか、コノハナサクヤヒメは、桜の美しさを体現している神様とされるので、火山灰と桜の散る様を重ねたなどという説もあるが、それらは推測の域を出ない。

 「浅間神社」は、現在、「せんげんじんじゃ」と発音するが、それは中世からで、もともとは、「あさま」だった。

 ならば、ふつうに考えて、軽井沢に聳える活火山の浅間山が、なにかしらの鍵を握っているのではないかと想像できる。

 浅間山は、現在でも活発な活動を続ける火山だが、記録に残るものでは、684年、南海トラフ巨大地震と推定される地震としては最古のものである白凰大地震の翌年に、信濃で灰が降り草木が枯れたとする記述があり、これが軽井沢の浅間山の噴火の可能性があるという意見もある。

浅間大滝

浅間大滝のそばの魚止めの滝


 この時代は、天武天皇の時代であり、古事記日本書紀の編纂が進められていった時期だ。

 古事記の中では、ニニギの妻となるコノハナサクヤヒメが、富士山や、火山活動と重ねられて記述されているわけではないので、おそらく、これよりも後の時代に、その重ね合わせが行われたのだろうと思う。

 正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』(781年)で、それ以前は穏やかな山で噴火は起こっていなかったと考えられている。

 富士山の噴火が凄まじかったのは、864年の貞観の大噴火であり、これが、記録に残る最大の噴火だったとされる。

 『日本三代実録』によれば、この大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、865年に甲斐国八代郡浅間神社を建てて官社としたとある

 864年の貞観の大噴火以降は富士山が活動を活発させ、それに対して浅間山は、685年以降は1108年の噴火まで記録されていない。

 927年に成立した『延喜式神名帳』では駿河国甲斐国浅間神社名神大社となっているが、平安時代においては、富士山こそが火山の象徴となり、この時代に、古事記編纂の頃までは活発な噴火活動を行っていた軽井沢の浅間山と、置き換えられたのではないだろうか。

 そして、コノハナサクヤヒメが浅間神とみなされるようになった理由については、全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である富士山本宮浅間大社静岡県富士宮市)の神職世襲してきた富士氏が、その系図によると和邇氏の後裔であることが関係しているのではないかと思う。

 和邇氏は、奈良県天理市に拠点があったが、この地に鎮座する和邇坐赤坂比古神社の祭神は、和邇氏の祖神である阿多賀田須命(あだかたすのみこと)である。

 阿多というのは、鹿児島の大隅半島周辺地域のことであり、この地の女神が神吾田津姫で、神吾田津姫は、コノハナサクヤヒメの別名なのである。

 富士山本宮浅間大社神職世襲してきた和邇氏は、鹿児島の阿多の地をルーツとし、阿多の地の女神が、コノハナサクヤヒメだった。ゆえに、和邇氏が、富士山とコノハナサクヤヒメを結びつけた可能性が高い。

 和邇氏というのは、記紀において、天皇以外では最も多く登場する氏族であり、天皇の妃に和邇氏出身が多い。そのあたりの背景も、コノハナサクヤヒメが、天孫のニニギと結ばれて、その子孫が皇統となるという記紀の記録に反映されているのだろう。

 ちなみに、記紀の編纂を命じた天武天皇の皇后となったのは後の持統天皇であるが、持統天皇天武天皇に嫁いだのは657年であり、天武天皇の長男の高市皇子は、それ以前に生まれている。その母は、北九州の宗像氏の娘の尼子娘(あまこのいらつめ)であるが、日本書紀において、宗像氏の祖神もまた、阿多賀田須命とされており、和邇氏と同じである。

 そして、阿多の地(鹿児島)には、日本を代表する火山の桜島がある。

 記録によれば、桜島の噴火は、奈良時代の700年代前半にとても多かったが、766年から1468年までは、比較的穏やかだった。

 つまり、古事記日本書紀が書かれた頃は、火山といえば、コノハナサクヤヒメ(神吾田津姫)のルーツである鹿児島の桜島や、軽井沢の浅間山だった。

 だから、おそらくその当時の浅間神というのは、桜島浅間山を象徴とする火山の神であった。しかしながら、その後は、桜島浅間山が比較的穏やかになり、富士山の方が活発化し、火山の神である浅間神が、富士山の神になっていったのではないだろうか。

 そのように洞察していくと、富士山信仰なのに「浅間神」という名称で、コノハナサクヤヒメが浅間神である理由説明が可能になる。

 そして、まことに不思議なことなのだが、富士山と桜島を結ぶライン上に、伊勢神宮(外宮)が築かれており、伊勢神宮の禊場である二見浦もまた、このライン上にある。

 さらに、このラインは、冬至夏至)のラインであり、夏至の日にラインの東から太陽が上り、冬至の日に、ラインの西に太陽が沈む。

 二見浦には有名な夫婦岩があるが、夏至の日、二つの岩のあいだに富士山から上る太陽が見られることが、よく知られている。

 桜島と富士山が、冬至夏至)のライン上に位置しているのは、自然界の出来事であるが、そのライン上に、伊勢の聖域が位置しているのは、人為的な行為である。

 この人為的行為は、たまたまそうなっただけなのか、それとも意図的なものなのだろうか?

 

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