第1224回 ウクライナとユーゴスラビアの類似

 個人的な見解にすぎないけれど、ウクライナというのは、かつてバルカンに存在していたユーゴスラビアという国の状況に、非常に似ているのではないかと思う。

 広大な領土の中に、宗教も言語も民族も異なる人々が暮らし、さらに、東側と西側の価値観の違う世界に挟まれた国。しかも、地中海に面する海岸線が長く地政学的に重要な場所に位置していたため、何度も周辺諸国に蹂躙されてきた歴史があった。そして、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件のように、諸民族の独立要求、パン−スラヴ主義とパン−ゲルマン主義の対立など帝国主義の矛盾が集中するこの場所は、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、東西の大国は、隙を見つけては入り込もうとしていた。

 大学を中退して諸国を放浪していた時、ユーゴスラビアの端から端まで旅したことがあり、その時の独特の印象が忘れられない。一つは、どこまでも続く小麦畑。もう一つは、時が止まったかのような、まるで中世のような都市。

 西側ヨーロッパの中世都市が資本主義に毒されていくなか、独自の社会主義路線を進めていたユーゴには、その毒がまわっていなかった。慌ただしいだけの日本の時間感覚とまったく違う、平和で美しく、のんびりとしたところだった。

 ヨーロッパの火薬庫とされた地域で、複雑な民族構成、宗教も言語も異なる人々を、まとめあげていたチトー大統領のしたたかな手腕こそ、優れた政治家の力だろうと思う。

 チトー亡き後、凡人の政治家がのさばるようになると、ユーゴはあっという間に解体して、泥沼の殺し合いが始まってしまった。

 政治家の手腕一つで、その国の運命が劇的に変わってしまうということを、ユーゴスラビアの歴史が示している。

 ハリウッド映画を見て育ったようなゼレンスキー大統領に、チトー大統領のような懐の深さや、本当の意味でのしたたかさがあるだろうか。

 現在、ロシアのプーチン大統領が悪の帝王として印象付けられているけれど、かつてのソ連には、スターリンという史上最悪の暴君がいた。

 チトー大統領は、このスターリンを相手に、堂々と渡り合った。しかしチトー大統領は、NATOの軍事力をあてにするゼレンスキー大統領のように、 虎の威を借るような方法はとらなかった。

 社会主義国家を目指しながらソ連と距離を置くチトー大統領に対して、スターリンの暗殺団が送り込まれていたが、チトーは怯まなかった。

 かといって欧米に頼るわけでもなく、第三世界に接近し、東側でも西側でもない非同盟陣営を確立した。

 そして、複雑な民族構成の国内においては、過激な民族主義を抑え込み、少数民族に配慮した。

 ユーゴスラビアは、社会主義国であったが、野党の存在も認め、体制批判のメディアに対しても寛容な政策をとった。

 当時の東側の社会主義国は、労働意欲の減退から経済を悪化させていたが、チトー大統領は、労働者自主管理という方法で、働くモチーベーションを維持する仕組みを作り、経済成長率6.1%を達成し、識字率は91%まで向上させた。

 この政策は、ユーゴ独自の自主管理社会主義と呼ばれた。

 チトー大統領は、ユーゴスラビアにおいて圧倒的な力を持っていた政治家だが、独裁者ではなく、仲裁者の道を選んだ。

 もちろん、これほどの政治家が生まれた歴史背景もあった。

 チトー大統領は、若い頃から労働者運動に参加する理想主義者だった。

 第一次世界大戦では、徴兵されていたが、反戦運動をして逮捕されて収監された。その後、ロシアとの戦いの前線に送られ重傷を負い、捕虜となり、収容所に送られた。しかし、そこでも戦争捕虜たちのデモを組織化し、また逮捕されたが脱走した。フィンランドまで逃げたが、捕まり、要塞に閉じ込められ、収容所に入れられ、また脱走している。

 第一世界大戦後は、ユーゴスラビア共産主義活動を行なって逮捕されて5年間の投獄。第二次世界大戦中は、ドイツに占領され、抵抗運動の指導者となったチトーは、民主的な臨時政府の設立を宣言してパルチザン活動を行う。

 チトーのすごさは、ここからさらに発揮される。普通ならば、こうしたパルチザン活動においては、現在のゼレンスキー大統領のように、力のある国を安易に頼り、けっきょくその国たちに操られてしまう。

 しかしチトーは、ドイツに抵抗するために支援をしてきたイギリスやアメリカとも距離をおいた。

 これまでの経験で、そうした大国を信用してはいけないことを理解していたのだろう。チトー大統領は、スターリンソ連と、欧米の強国を手玉にとった。その結果、第二次世界大戦が終了した時、ユーゴスラビアに他国の軍隊はいない状態となり、パルチザンたちはユーゴスラビア全域の支配権を確立し、そこから独自路線で、国を整えることができた。

 その後も、西側とも東側とも距離を置き続ける中立的立場を貫いたのに、両側と交流し、両側から支援を受けた手腕は、相当なものだ。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、テレビ界出身ということもあってか、ポピュリズムにのった演出には長けているようだ。しかし、政治的には、ユーゴのチトー大統領のような経験がないから、おそらく誰かが書いたシナリオにそって動いているのだろう。

 展開と演出、敵と味方を分断して、正義のヒーローを演じる姿が、ハリウッド映画を見ているような気持ちにさせる。

 こうした姿を見て、単純に感銘したり感動したりする人たちは、ハリウッド映画を見てすっきりする感性に、知らず知らず染まってしまっている可能性がある。

 政治家たちが、そうなっていることが、あまりにも恐ろしい。

 彼らに国の運命を委ねると、チトー大統領の亡き後のユーゴスラビアのような状況に、たちまち陥ってしまうだろう。自分の正しさを声高に主張することが世界を分裂に導いてきたことは、歴史が証明している。

 チトー大統領の人生は、長編映画のような底深さがある。20世紀のパルチザンのヒーローは、チェ・ゲバラだが、彼は、長生きしなかったからヒーローになれた。矛盾だらけの政治の中で、老年まで生きていたら、どういう評価になったかは、わからない。

 チトー大統領は、87歳まで生きたから、センチメンタルな層に受けるヒーローにはならないが、彼がしたたかに整えていたユーゴスラビアという国は、とても不思議な時空で、一種のメルヘンのような魅力を備えていた。彼は、ゲバラのような憧憬のアイドルではなく、そのすごさを誰もが認識する敬愛の対象だった。1980年、チトー大統領が亡くなった時、東西陣営や非同盟陣営の世界各国の政府代表団が集まり、かつてないほどの葬儀となった。

 英雄的に潔く死ぬことを選択するのではなく、最後の最後まで調整し続けていく力こそ、政治家に求められると思う。

 ゼレンスキー大統領のNATOへの極端な擦り寄り姿勢が、ウクライナという国の難しいポジションにおいてどうなのかを、ユーゴスラビアを見本に、冷静に判断すべきではないかと思う。

 かりに、ウクライナNATOの支援を受けて形成を逆転させて、世界は平和な状態になるのだろうか。追い詰められたロシアが、どういう行動をとるか、想像するだけでも恐ろしい。

 戦争を終結させる交渉のカードは、ここまできてしまったら複雑でよくわからないけれど、ウクライナは、EUに接近しても、NATOには接近しない、ということをロシアに明確に伝えることなのではないだろうか。

 

 

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