第1223回 ウクライナのことと、政治家の白痴化に対する不安。

 ウクライナとロシアの戦争について、歴史文化も国の置かれている状況も異なる日本に安住している自分が、何かの考えを持ったところで、それは浅いものにしかならないという自覚があった。

 今もその感覚は変わらないが、昨日、ウクライナのゼレンスキー大統領のオンラインによる演説が終わった時の、政治家たちのスタンディングオベーションや、山東昭子参院議長や岸田首相の発言の浅はかさに、黙っておられないという気持ちが強まった。

 「大統領が先頭に立ち、人々が命をもかえりみず祖国のために戦っている姿を拝見し、その勇気に感動している。一日も早く貴国の平和と安定を取り戻すため、私たち国会議員も全力を尽くす」(山東昭子氏)とか、「困難な状況の中で、祖国と国民を強い決意と勇気で守り抜いていこうとする姿に感銘を受けました。」(岸田文雄首相)など、あまりにも浅い思考と感性しか持たないレベルの低い政治家たちに自分たちの未来を預けなくてはならないということに、若い人たちは、もっと危機意識を持った方がいい。

 現在、ロシアの攻撃に対して必死に闘っている人たちについて、私は何も言える立場ではないけれど、ゼレンスキー大統領の政治家としての判断ミス(確信犯かもしれないが)のことが、人々の頭からすっかり抜け落ちていて、日本の政治家がそのことについて無自覚であるということは、彼らが同じ過ちを犯す可能性があるということで、そのことをはっきりと言っておきたい。

 そもそも、ゼレンスキー大統領が、NATOの一員になることに頑迷なまでにこだわり続けたことの責任はどこにいった?

 EUという経済協力関係によって、国の経済を立て直すということなら、まだ理解できる。

 しかし、NATOは、明確な軍事同盟であり、NATO加盟国の軍事費の合計は、世界全体の70%以上を占めている。そして、加盟国は、2024年までにGDPの2%以上の国防費を目標とすることに合意している。

 軍事同盟であるのだから、仮想敵があるということで、その仮想敵は、世界全体の軍事費30%以下に入る国々ということになる。

 国際的治安維持のためという大義名分で、この軍事力を使って、イスラム圏内の国々など、価値観が違ったり体制が違う国々が、これまで色々な理由をつけて攻撃の対象となってきた。

 ウクライナという国は、ロシアとNATO諸国のあいだに位置する巨大な国であり、資源にも恵まれているし、ロシアと欧州をつなぐ天然ガスのパイプラインが通っている。

 政治判断として、このポジショニングを生かして、あえてグレーの立場で駆け引きすることで国を発展させる戦略を練ることが、真の意味で国民のためになることだったのではないか。

 ゼレンスキー大統領の政治家としての未熟さ(政治経験の浅い彼を操る存在がいても不思議ではない)が、そうした賢明な判断を遠ざけたのではないか?

 もちろん、専門家でない私が、簡単に理解できない複雑な事情があるかもしれない。しかし、NATO加盟を強引に進める理由がどこにあったか、他の方法はあり得なかったのかと冷静に考えることを、せめて日本の政治家には求めたいが、「命をもかえりみず祖国のために戦っている姿を拝見し、その勇気に感動している」という発言からわかるように、この国の政治家の頭は、相当に悪い。

 もしも、日本が、ウクライナのように非常に微妙な判断と戦略が求められる状況になった時、彼らを頼りにすると大変なことになる、ということが、ひしひしと感じられる。

 考えが浅いくせに、ずる賢い彼らは、自分の判断ミスや思慮の浅さを隠し、祖国のために戦う勇気を強いて、思考停止に陥った群衆の大歓声で、命をかえりみない行動を促すのだろう。

 ゼレンスキー大統領には、一つ大きな誤算があった。彼は、NATO諸国が、ウクライナに加勢してくれると読んでいたのではないか。

 NATO軍が加勢してくれてロシア軍を追い出すと、彼は、国民的大熱狂のなか、ヒーローになっただろう。

 まさに、彼の本職のテレビドラマの、ポピュリズムに寄りかかったシナリオの主人公のように。

 しかし、彼の読みは外れ、NATOは、武器を提供するものの、慎重な姿勢を保ち続けている。

 イラクを敵にまわすのと違い、核保有国であるだけでなく、自国のエネルギーを依存しているロシアを、完全に敵にすることはできない。

 経済制裁などで揺さぶりをかけるのが精一杯なのだ。

 そうしているうちに、ウクライナ国内で人々が次々と亡くなっていく。

 しかし、ゼレンスキー大統領は、ここで負けを認めるわけにはいかない。NATO加盟を急いだ自分の判断ミスと、NATOの支援が得られなかった政治力の無さと読みの浅さが明らかになるからだ。

 ロシアのプーチン大統領の問題は、今さらここで述べるまでもなく、ありとあらゆるメディアが、そのことを伝えているので、多くの人が承知している。

 しかし、アクション映画のように、悪の帝王を設定して、ゼレンスキー大統領をヒーロー扱いするのは間違っている。

 彼の演説を聞いて、スタンディングオベーションをするなどという政治家の白痴化は、見ていて耐えられない思いがする。いったいなぜ、あんな演出が必要なのか。

 この時代、これだけ激しい戦闘中であっても、世界にメッセージが発信でき、敵国とも交渉ができる環境は残されている。

 ゼレンスキー大統領が、NATOという虎の威を借り続けているかぎり、国民の犠牲が大きくなるばかりだ。

 敗戦を認めたらロシアに国を乗っ取られるというイメージが浸透してしまっているが、そもそも、そうではなかったはず。

 ドイツとイタリアとフランスに挟まれた小国のスイスは、したたかな戦略で生き延びて、かつ豊かさを獲得してきた。

 ウクライナという国のポジションは、それに似ているが、ウクライナは、スイスなどよりはるかに広大で豊かな国土を持っている。

 パフォーマンスの得意な政治家ではなく、したたかな政治手腕を持つ政治家であれば、NATOなどという巨大軍事同盟の一員になどならずに、たとえば永世中立国という斬新な戦略を打ち立て、豊かな未来を築くことは、決して不可能ではないだろう。

 真の意味で優れた政治家というのは、ハリウッド映画のヒーローのような演説やパフォーマンスの上手な存在ではなく、何を考えているかわからないしたたかさで、難しい状況のなか最善のバランスを作り出す存在だ。ユーゴスラビアのチトー大統領のように。

 ウクライナと同様に、複雑な民族構成とソ連と西側諸国の挟まれて、チトー大統領は、ソ連の暴君であるスターリンと対等に渡り合い、見事な揺さぶりをかけてスターリンを諦めさせ、独自の社会主義路線でソ連社会主義に染まらず、西側からも協力を得るという絶妙なポジションを獲得した。そして、第三世界に接近し、東側でも西側でもない非同盟陣営を確立した。さらに国内においては、異なる宗教、異なる民族、異なる言語の国内において過激な民族主義を抑え込み、少数民族に配慮し、体制批判のメディアに対しても寛容な政策をとり、年率6.1%の経済成長を達成し、識字率は91%まで向上させた。残念ながら、チトー大統領が亡くなったユーゴスラビアは、あっという間に崩壊し、酷い内戦状態に陥ってしまったように、政治家の手腕一つで、国の運命が大きく変わってしまうということがある。

 どの国とも国境を接していない日本の政治家は、これまでも、そしてこれからも、誰がなっても同じという能天気な状況ですむのだろうか。彼らを選ぶ私たち自身が、危機感が弱く、思慮も浅く、感度も鈍いことが一番の原因だ。

 そして、ある日突然、今まで何も考えてこなかった政治家や大勢の群衆に、「命をもかえりみず祖国のために戦うこと」が、勇ましく感動的なことだとプレッシャーをかけられるなんてことが起こり得るのだろうか。

 若い人たちが、思考停止状態の老いた者たちの安住のために、そうならないことを切に願う。

 

 

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