第947回 消費社会のマインドコントロール


 日本の首相は、演説をする時、いつも原稿から目を離さない。そして、借り物の言葉で語る。自分の頭で考えていないからだ。ウルグアイのムヒカ前大統領は、ほとんど原稿を見ることなく、自分の言葉で力強く語り続ける。信念を持ち、それを実践しているからこそできるのだろう。一国の指導者というのは、最低限、それができる人であってほしい。自分の言葉で国民に語れない最高指導者なんて、もしも国民投票で決めるのならば、決して選ばれないだろう。

 ムヒカ前大統領は、いったい何が問題なのか、本質を把握して、その本質に向かって、問いかけている。
 ムヒカ前大統領は、以下の内容を自分の言葉で語り続ける。
 その内容は、アベノミクスと、まったく正反対のものだ。
 
「私たちは、グローバリゼーションをコントロールしていません。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのです。
 マーケット経済が、マーケット社会を作っているのです。人類が消費社会をコントロールしているのではなく、消費社会が人類をコントロールしている。ハイパー消費が世界を壊しているにもかかわらず、高価な消費やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
 消費が社会のモーターの世界では、私たちは消費をひたすら速く多くしなければなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
 このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは10万時間もつ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるということです。人がもっと働くために、もっと売るために、「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
 貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人。
 根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルです。改めて見直さなければならないのは私たちのライフスタイルです。
 毎月2倍働き、ローンを払っていたらいつの間にか老人になっているのです。幸福な人生が、目の前を一瞬にして過ぎてしまいます。
 環境のために戦うのであれば、幸福こそ環境の一番大事な要素であることを覚えておかなければなりません。」

 私は、最近、いっさいの農薬や肥料を使わずに育てた天然の綿や麻などを草木初めで着色し、丁寧に手織りで作り上げた「うさと」の服(これだけの手間をかけて、よくもまあこの値段で販売できるなあと不思議でならない)を着ている。 
 冬の乾燥で身体が痒くなったりしないし、空気に包まれているようで居心地がいいというのが一番だが、着続けていて不思議なのは、汚れないこと。化学製品のような静電気がないから埃などを吸着しにくいのか、汗をかいても化学製品のような変な匂いがしないからなのか、多少、皺になってもそれが風合いになるからなのか、10日間以上同じ物を着続けていても、まったく気にならない。着た後はハンガーにかけたまま、また気が向いたら着てということを繰り返し、買ってから一度も洗濯をしていない。
 本来はそれでよかったのではないかな。消費社会というのは、とにかく新しくピカピカの物がいいというイメージを押しつけてきて、そのため、綺麗とか清潔の概念も変えてしまった。ちょっとした体臭も、気にしすぎたり。
 消費社会の中で、私たちは、マーケットに騙され、洗脳され、価値感を歪められている。現在、世界中で猛威をふるっている消費を軸にした価値感だが、人類史の中ではごく短期間にすぎない。人類が長く続けてきたものの中にこそ、時間の中で育まれた大切な智恵が宿っていることは間違いないだろう。長く続けられるというのは、人間の快適さや幸福にとって、それが利にかなっているということなのだから。
 過去から現在そして未来に向かって時間が前に進めば人類が進歩し、快適と幸福が増すというイメージが、消費社会が作り出した最強のマインドコントロールなのだと思う。アベノミクスは、そのマインドコントロールで日本を管理しようとしているのではなく、消費社会にマインドコントロールされていることに無自覚な政治家や官僚の、ムヒカ前大統領のような深い洞察や信念も覚悟もない、現状打開のように見せかけた現状追随の膨大な官僚文書にすぎないのではないか。
 ムヒカ前大統領は、専用機も使わず、世界会議にはエコノミークラスで移動。
もしくは、他の大統領機に相乗りするという倹約家で、その分のお金で、学校を作ったりしていた。
 そして、およそ100万円の月給のうち、そのほとんどを、貧困者用公共住宅建設プログラムなどに寄付し、自身は10万円ほどで、いつも同じ服で、畑を耕したりしていた。
「大統領になったからと言って生活水準を上げる暮らしはしません。他の人にとっては足りないと感じる私の収入、私にとっては必要以上の額です。犠牲ではなく、義務なのです。」
 大統領官邸に住まない理由も、自分が大統領官邸に住むことで42人の職員を雇うぐらいなら、学校のためにお金を使った 方がいいと考えていたからだ。
 それに比べて、日本は、都知事ですら、オリンピックの為という口実で、サッカーのワールドカップを観戦するために往復266万円のファーストクラスで移動し、一泊19万円のスィートルームに宿泊。それだけならまだしも、金魚の糞のようにくっついていく都職員ですらビジネスクラスを使い、その観戦費が、トータルで5041万円にもなる。その理由として、都は、要人との急な面談やセキュリティー面などで「格式と設備がある施設が必要」と説明した。実際には、宿泊した部屋で舛添氏が要人と面会することはなかったにもかかわらず。
 ムヒカ大統領が、自分で運転する車にヒッチハイカーを乗せたことはよく知られている。そこまで腹がすわっていなくてもいいが、セキュリティのために格式と設備が必要で、1泊19万円になるという発想じたいが、ものすごく歪んでいるとわからないのだろうか。
 (腐敗する権力に戦いを挑み、6発の銃弾を浴び、4度の投獄、2年以上井戸の底に閉じ込められ、2度の脱獄を経て、13年間の牢獄生活を送ったムヒか前大統領と、減点主義の評価制度に縛られて自分の保身のことで頭がいっぱいの公務員が考えることを比較することじたいが空しいが、いくら公務員がそういう案を提出してきても、知事に信念があれば変更できただろうし、その方が尊敬もされただろうに、そのあたりのバランス感覚が麻痺しているのだろう)
 いずれにしろ、視察と称しながら何にも役に立たない知事と都職員のサッカー観戦で消費された5041万円があれば、どれだけのことができるか。
 太平洋戦争末期も、極悪非道人のリーダーシップによって国民が奈落の底に落ちていったのではなく、現状の問題に対して表面的に蓋をしたり先送りしたり、自らの保身ばかり気にする小心ものの官僚的対応の積み重ねが一番問題であったことを、忘れてはならないと思う。
 





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