3.11以降の世界と、田口ランディと小池博史の「正直」

 一昨日、荻窪の六次元でパパタラフマラの小池博史と田口ランディトークに少し参加させていただき、話を振られる直前、今の自分にとっても、とても大事な鍵が二人のトークの中に秘められていると思っていた。
 あの時、小池博史が一生懸命に語っていた、自分を取り巻く世界に対する挑戦的なスタンスは、私も含めて、3.11に至るまでの問題意識の強い人間のスタンスではないかと思った。それに対して、かつて自分もそこにいた筈の田口ランディは、今、人前で演じる自分を削ぎ落して、自分の中心の正直さと向き合う生き方に努めることを話した。「自分に正直である」という使い古された言葉は世の中に溢れているけれど、そう言いながら人の目を気にして演じている人は多い。そのように演じる自分があるかぎり、どこかに嘘がある。嘘があるのだから、それは本当の意味で正直ではない。
 そんな中途半端な正直さなら、表現という手段で自分を演じ、様々な敵をつくりながら言葉やアクションの刀を振り回している小池博史の方が、はるかに正直だ。敵を倒すために演じざるを得ない(フィクション)という心を突き詰め、かつ実践しているという意味において、まことに正直であり、見ていて気持ちがいい。その頑な面から時折こぼれ落ちる戸惑いの表情、「いろいろやっているのだけど、なんともしがたいものがある」という気持ちが素直に現れる時など、小池博史は本当に正直だなあと思う。
 それに対して、田口ランディは、生来の気質として演じすぎる自分というものを自覚したうえで、それを究極まで削ぎ落していく正直さの果てに表現の本質があるのではないかと、自分でそのような話をしながらどこかに演じる自分がいないか、言葉に嘘がないか確かめながら、不確かさな感覚に揺らぎながら言葉を発していた。信念を押し付けるのではなく、また聞き手を喜ばせようと思えば、それなりの演出テクニックはもっているけれど、できるだけそのテクニックに頼らないように、またサービスしすぎないように。
 そういう二人の話を聞きながら、私は、最近、長谷川等伯の絵を見た時に考えた宮本武蔵と新陰流の祖である上泉伊勢守信綱の違いのことをイメージしていた。
 等伯は、上泉伊勢守が生きた戦国真っ盛りの時代から、武蔵が生きた天下統一後の間を生きた画家であり、前半の作風と、傑作と言われている後半の松林図屏風で、がらりと作風が異なっている。
 時代としては前半の方が問題が山積みであった。国は乱れていたし、等伯は石川から京都にのぼり、狩野派が君臨する絵画業界に挑戦状を叩き付けるように戦っていた。その頃の等伯の絵は、なんとも潔く、力強い。その力強さは、物事を詰め込んで武装することによって得られているのではなく、その逆に現象を削ぎ落して宇宙の摂理に元づいた骨格だけが示されているにもかかわらず、それを見る者も、なんだか合点がいく潔さなのだ。
 同時代に生きた新陰流の伊勢守の剣術も、そういうところがある。戦国の世で死と背中合わせの状況において、100%負けない剣は、実は、他者と戦ったり上手にかわすためのトレーニングを積み重ねることで得られるものではなく、ひたすら自分の中心に向き合って自分の軸を定め、環境がどうであろうが、相手がどうであろうが、軸がいっさいぶれないようにするための一人稽古によって培われる。自分が未熟なうちに他者と組み合ったりして、かわすことや、隙を見て打ち込むことを覚えようとすると、手先ばかりに神経がいき、バランスを崩し、軸がぶれてしまう。そういう練習の積み重ねで100%負けない域に至る筈がなく、真の戦いがなくなった平和な江戸時代に生まれた剣道は、その類だ。真剣勝負の戦国時代においては、たった1%が命取りだと強く自覚したうえで、それを乗り越えるための術を自分のなかに作り出す必要がある。自分の軸を完全なものにしたうえで、垂直に、斜め45度に、剣をふりおろすこと。完全なるまっすぐに。言葉で書くと簡単に思えるが、どんな状況でも”まっすぐに”というのは、簡単にできるものではない。人というものは、意識しようがしまいが、外界の刺激を受けて、その影響で、自分のアウトプットが歪められるものだから。思いもかけない方向から突然声をかけられたら、ビクッとして、構えたり、引いたりして、身体の軸がぶれるのが普通だろう。アーティストと呼ばれる人たちも、自分を表現すると言いながら、世間の評判に一喜一憂する自分がいることを知っているし、それによって、”まっすぐさ”が歪められてることも多い。
 ”まっすぐ”というのは、外界の刺激がどうであれ、まったく動じない自分ができていないと、なかなかできないものなのだ。つまり相手がどこからどのようなタイミングで切ってこようが、その気配を察した瞬間、相手の動きに応じる必要はなく、ただまっすぐに垂直か斜め45度に剣をふりおろすことができれば、確実に、相手の手首を切り落とすことができる。相手の身体を切ろうと力んで踏み込むと、当然ながら先に手を出した方が優位。しかし、手首を切ると徹すれば、相手に先に手を出させた方がいい。じっと動かないと、次の動きが見えない。しかし、こちらを切ろうとして前方に動き出してくる手首は、その後、どういう動線を描くか、手を出した時に定まってしまう。その動線を読める者は、相手の剣が自分の胴体に届く前に、その手首を確実に切落とすことができる。手首を切られれば剣を持つことはできないから、死しかない。相手も一流なら、手首を切られる直前に察して身体を引く。そして、どう切り込んでも手首を切られると悟る。手を出さなければ手首は切られない。そうすると戦うことじたいを諦めざるを得ない。戦わずして制することができる。
 こんなに単純化して書くと叱られることはわかっている。生と死の究極の狭間で生きることは、もっと底深いものだ。ただ、剣術に限らず、本当に極限のなかで生きざるを得ない状況に陥ると、その状況に対して、どのように対応するか、あれこれ中途半端な手を打っても、一つの解決が別の問題と矛盾を生み出す堂々めぐりとなることは多い。現代社会の複雑な問題は、そのようにして生み出されている。原発推進と反対の対立もまた、そこに含まれる。一つの解決は、異なる問題を生むのだ。
 その事実を考えに考えたうえで、二者択一の軋轢から自由となり、自分の軸を定めて、まっすぐに剣を振り下ろせる自分であるためには、どうすればいいのか。
 小池博史を相手に田口ランディが「正直さ」について語っている時、私はそのようなことを思い、トークの途中で、突然、話をふられた時も、そのように答えざるを得なかった。もちろん、ことことに関しては急に思いついたわけではなく、これまで田口ランディや小池博史と接するたびに、そのあたりのことが気になっていて、今回のトークの場でも組み合わせは違うけれど、姿を変えてそれが現れているなあと感じていたことや、3.11以降、私自身、何度も宮城県に足を運びながら、うすうす感じていたことが伏線だった。
 そして、今回、田口ランディとの対比で、小池博史の話が、なんだか宮本武蔵だなあと思うようになった。
 武蔵は、関ヶ原の合戦の焼け野原から人生を始めた。最初に、荒涼たる無があった。しかし、その後は、多少の駆け引きはあったものの、本当の意味での真正面からの戦いが消えた。生と死の極限の狭間で生きざるを得ない時代ではなくなっていた。
 つまり武藏にとっての戦いや敵は、必然的に存在していたものではなく、自分で作り出していったものだったのだ。それは仮想敵だ。
 実は、戦後日本社会も、似たようなところがある。社会の中に、政府をはじめ、いろいろと戦う相手が存在しているかのように行動している人は大勢いるのだけど、戦っても戦っても、似たような敵が出てくる。なぜそうなるかというと、その戦っている相手は、実は自分自身の中から作り出されているものだからだ。特定の政治家や官僚が悪いのではなく、その政治家や官僚を作り上げているものは、この時代を生きる大勢の無意識と意識の集合体なのだ、きっと。
 そのことはこの場では脇において、武藏がそうであったように、仮想敵を作り出す人間にとって一番乗り越えなければいけない本当の敵は、自分自身。その意味で、武藏は正直であった。自分を振り返ることなく、自分もその一員として作り出している体制だけを攻撃する不正直者は、現代社会には多い。
 それはともかく、武藏は、自分の正直を確認していくかのように、人を切っていった。そして、切りながら考え続けた。その思考は、100%負けない剣という具体的事実に向かっていった伊勢守の思考とは違う。死とか肉体とかの具体的事実があり、それらの事実や事物との関係性を通じて、自分とは何か、世界とは何かという抽象的な概念へと陥っていく。長谷川等伯が、京都で狩野派との戦いを経てそれなりのポジションを獲得したものの、秀吉による天下統一の後の朝鮮出兵や息子の死に直面しながら描いた「松林屏風図」の、とめどない思考の積み重ねの広がりが一つの奥行きのある宇宙になっている画に通じるものを私は感じる。
 パパタラフマラの小池博史は、30年前にこのカンパニーを始めた時から、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を舞台化するという壮大な思いを描き続けていた。そのエネルギーと情熱と、保守的な演劇・舞踏業界を敵視しながら目標に向かって突き進んできたパワーは凄まじいものがある。小池博史は、人を動かすために相手以上のエネルギーが必要だと宣言し、マッチョな生き方を説くが、彼は単にエネルギッシュということだけでなく、それ以上に緻密さにおいて凄いのだ。彼の演出ノートを見た時、その精密さに驚くとともに、私は自分のアバウトさを恥じた。
 巨大な構築物全体を生きたものにするためには、部分に目を配り、それらを精密に組み上げ、かといって機械的に管理すればいいものではなく、有機的に、部分それじたいが自律的に動くようにしなければならない。その部分と全体の関係は、生物の細胞と器官とボディの関係だ。神の視点で、生物を作り上げるようにして舞台をつくっていく。その意味において、ガルシアマルケスの「百年の孤独」は、小説という手法で、それを実現している。部分と全体、今と過去と現在の関係、めくるめくつながりと急展開の連続それじたいが、生命の生きた脈動だ。
 宮本武藏が無数の戦いを経てつくりあげていった一つの巨大な抽象的世界は、「百年の孤独」の中の、幾つもの戦いによる混乱と静寂、滅亡と再生を繰り返しながら全体として表された巨大な抽象世界や、それらの有為転変が凝縮した戦国時代を生きながら長谷川等伯が辿り着いた松林図屏風、そして小池博史が30年を通して作り上げてきた100点を超える作品を総合した巨大な抽象世界と、どこかで通じ合っている。
 田口ランディが語り、伊勢守が目指した、どこまでも自分の中心におりていく「正直さ」とは異なり、自分を取り巻く世界を相手に、どこまでもあがき続けるという「正直さ」。
 一昨日の六次元でのトークは、その言葉の背後に、二人の人生と表現の過去と未来が重なりあい、その凝縮された今という一点であった。
 これは大げさな言い方なのではない。3.11以降の世界のことを真剣に考えている表現者にとって、当人が意識しようがしまいが、「正直さ」というテーマは、避けて通れない問題なのだ。
 トークの後、ふだん小池さんの傍にいるカンパニーの女性達が、”男性的”な視点の小池博史に対して、田口ランディの突っ込みが、”女性的”であり、二つの異質の混ざり合いがとても面白かったと語っていた。ふだん、固い鎧に隠れている小池博史のナイーブさが、田口ランディの異質によって垣間見えたということだろう。そして、それが小池博史の本当だと彼女達は言う。宮本武蔵の本当も、男性的な分析的視点だけでなく、女性的な読心術のような視点がないと見えてこないかもしれない。
 男と女という単純な形容だが、今という時代は、そのシンプルな捉え方がとても重要な局面であるかもしれない。今回の二人のトークが示していたものは、二人の間の問題ではなく、現在の世の中における、男性原理と女性原理の問題だとも言える。
 性的には女性でも、頭の中がすっかりと男性原理に支配されている人も多いし、その逆もある。自分のなかでバランスをとっている人もいる。小池博史も田口ランディも、その両方を持っていることは間違いなく、どの局面で、どちらが強く出るかということだけの違いだ。そのアウトプットの仕方は、状況によって変わる。戦国の時代と、関ヶ原の合戦後の時代。そして、3.11の震災前後でも違ってきて当然だろう。
 ただ、いずれにしろ、「正直さ」を徹底することは、並大抵のことではないということだけは確かだ。
 その並大抵ではないことを自分に課しているから者だからこそ、「正直さ」についてのトークに、重みと広がりが生じる。
 友人である田口ランディと小池博史の、それぞれ姿形は違うものの、正直なトークを傍で聞きながら、自分の宙ぶらりんさを、あらためて感じずにはおれない夜であった。
 とここまで書いて、昨年の年末から年始にかけて高野山にこもり、二者択一でない正直さについて悶々と考え続けたことを思い出した。
 http://twilog.org/kazesaeki/month-1101/5
 高野山からおりて空即是色というテーマで風の旅人の43号を制作している時に、3.11が起こり、44号の「まほろば」ができた時に、「風の旅人」を終えようと思った。いろいろな事情があるが、続けることと、自分の正直にズレが生じていたことが大きな理由だ。
 「正直」への問いは、めぐりめぐって、また自分のところにかえってくる。