第1312回 一つのことを知るためには、その背後の複雑なつながりのことも知らなければならない。

梅宮大社酒解神の聖域。


一つのことを知るためには、その背後の複雑なつながりのことも知らなければならない。

 他者を知ることも、歴史を知ることも同じであり、だから、どうしても説明が長くなってしまう。簡潔な答を求めることが癖になっている人は、その長さに耐えられない。しかし、断片的で簡潔な答をかき集めたところで、世界の真相に至ることはできない。世界の真相は、様々なつながりを通して浮かび上がってくる。そのリアリティを自分に引き寄せることの方が、一つの正解を頭にインプットすること(どうせ忘れる)より、生きていくうえで大事なこととなる。

 私が行なっている古代の探求もワークショップセミナーも、正解をウンチクのように覚えるためではなく、歴史のリアリティを自分に引き寄せることを目指している。

 現在の京都の観光用の五社めぐりは、上賀茂神社松尾大社、八坂神社、平安神宮、城南宮とされるが、これは、方角を司る四神の東西南北を、それぞれの神社あてはめ、真ん中?あたりに平安神宮を置いただけのこと。平安神宮明治維新政府によって作られたものであるし、この五社めぐりは歴史的には何の意味もなく、京都の歴史のリアリティからは程遠い。

 今から一千年以上前、国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた22社で、さらに延喜式の式内名神社という特に重視された神社は、京都に7社あり、上賀茂神社下鴨神社松尾大社伏見稲荷貴船神社平野神社、そして梅宮大社である。

 この7社は、京都の古層に通じる門戸であり、その水脈をたどっていくと、日本の歴史の深層(真相)へと近づいていく。

 京都の私の拠点の近くに、この7社のうち、松尾大社梅宮大社がある。

 3月25日(土)と26日(日)、午後12時半から、この二つの神社のフィールドワークを行なったうえで、私の事務所で、たっぷりと時間をかけて、ワークショップセミナーを行います。(それぞれ1日で完結)

https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/

 単なる歴史のお勉強をやるのではなく、テーマは、「現代と古代のコスモロジー」です。

 歴史を知ることの大切さは、私たちが生きる現代を、歴史の流れの中で相対的に見る視点を持つところにあると思う。

 現代の中に埋没してしまうと、現代の情報に踊らされ、流されてしまう。現代の情報は、人の心を誘導し、コントロールし、管理し、欺こうとする紛い物だらけであり、それらを鵜呑みにしていると、流され、踊らされ、翻弄され、自分の拠り所がわからなくなってしまう。

 詐欺や広告といったわかりやすい紛い物だけではなく、「権威」の顔をした紛い物が厄介だ。肩書きとか名声とか賞とか勲章とか、表面的な威光に目を曇らされてはいけないし、健康問題にも食い込んでくる「科学的」とか「最新式」といった言葉も胡散臭いし、「成長性」とか「イノベーション」といった言葉が、未来的であると人を錯覚させている。

 現代という人間のエゴ中心の時代に作為される過剰な偽の情報に翻弄されないためには、現代を客観的に分析するだけでは足らない。なぜなら、その分析的な思考の癖自体が、現代的だからだ。現代的な思考の癖は、0か1、白か黒、善か悪の二元論に流れやすい。

 そうではなく、相対的な視点というのは、大きな流れのなかの一つの段階的位相として、現代も含めて、それぞれの時代を捉えること。

 現代もまた、次の時代のための準備段階にすぎない。そういう認識のもとに、次の時代を”預かり知る”ことが大事ではないかと思う。

 情報を表面的に捉えると、たとえば松尾大社は、ネット検索では、「お酒の神様」と出ているので、お酒の神様なんだと思うだけで終わってしまうこと。おそらく人工知能を駆使したChat GPTでもその程度だろう。

 しかし、松尾大社の祭神は、実際にはお酒の神様ではない。歴史的にお酒の神として位置付けられているのは、松尾大社の近くの梅宮大社の祭神の大山津見神酒解神)である。

 松尾大社というのは、この地域の神々の総合デパートのような性質を帯びているので、いつしか「お酒の神」という性質を持つにいたった。

 現在、日本の三大酒神神社は、奈良県三輪山大神神社、そして、京都の桂川両岸の松尾大社梅宮大社だ。

 この2社は、私の拠点から徒歩圏内だ。

 松尾大社と「酒」に関しては、こじつけのような話として、出雲の佐香神社の祭神が久斯神(くすのかみ)で、この神が、全国から集まった180の神々の宴会に酒を準備したという物語があり、これを日本酒発祥とする人もいて、この佐香神社の別名が松尾神社なので、松尾神社の総本社である京都の松尾大社が、日本第一酒造神などとされてしまっている。しかし、佐香神社に松尾大社の祭神が勧請されたのは室町時代のことだ。その時点で京都の松尾大社が酒神とされるようになっていたがゆえに、出雲の佐香神社に融合されたのであって、話の順番としては逆である。

 また、三輪山大神神社は、大和朝廷の神事で用いられる酒を醸すという役割を担っていた歴史があり、そのため、ここも、日本三大酒神神社となったが、祭神の大物主命が、酒の神ということではない。

 となると、三大酒神神社の中で、梅宮大社の祭神、大山津見神酒解神)だけが、酒神である。

 神話の中では、天孫降臨木花咲耶姫命が子を出産した際に、父親の大山津見神が酒を造ってお祝いをし、これが酒造りの祖という位置付けとされた。

 梅宮大社の祭神の一神は、その大山津見神酒解神)だが、真相は単純ではない。

 酒というのは、「避け」である

 厄災を悪霊を防ぐ「避け」。神事において清めに酒が用いられるのも同じ理由からだが、日本の歴史の真相を解く鍵として、この「避け」の理解が欠かせない。

 京都の梅宮大社を築いたのは誰なのか? そして、もともとは、京田辺の木津川の河岸近くに鎮座していたのだが、その場所は、どういう場所なのか?

 そして、そこに元梅宮大社を築いた県犬養三千代藤原不比等の後妻)は、何ものなのか? といった律令制開始期における重大な真相が、そこに隠れている。

 平安時代の栄華を築いた藤原氏の祖としての藤原不比等は有名である。

 そして、歴史学者なども含めて、古事記日本書紀は、藤原不比等の陰謀であるなどと主張する輩も多いが、それは反権力から生じる屈折した思い込みだ。古事記日本書紀において、それほど藤原氏に光が当てられているわけではないのに。

 藤原不比等は、高い位の貴族ではなかったのだが、妻の県犬養三千代が、平城京に遷都した元明天皇に重んじられていたために、出世することができた。

 藤原京の時代から奈良の平城京の時代まで、持統天皇元明天皇元正天皇と、女性天皇が続いている。(短命だった男の天皇文武天皇をはさんで)。

 元明天皇元正天皇は、日本の歴史上、唯一、女性から女性への譲位だ。皇位継承を男系に限定するべし云々と揉めている現在とは女性の役割に対する認識が違いすぎており、そのため、藤原不比等の陰謀云々という輩の頭からは、県犬養三千代の存在が、すっかり抜け落ちている。

 古事記日本書紀を記述したのは渡来系のフミヒトとされる人たちだが、フミヒトが居住していた地域は、県犬養氏の拠点だった奈良の羽曳野周辺である。

 藤原不比等県犬養三千代のあいだに生まれた娘の光明子が、聖武天皇の皇后になった。この血統は、聖武天皇の次の孝謙天皇が女帝で独身だったので途切れた。

 そして、県犬養氏橘氏という名に変わり、平安時代橘嘉智子が、嵯峨天皇の皇后となり、後の天皇は、その血統である。

 橘嘉智子は、現在の天龍寺(嵯峨野)の元になった檀林寺という日本最初の禅寺を作った。この女性は、絶世の美女だったようだが、自分が死んだ後に遺体を路上に放置して朽ちていく姿を絵に描かせよと遺言した伝承の残る人物だが、彼女は、県犬養三千代の死後、光明皇后平城京に遷していた梅宮大社を、平安京遷都後、京都の現在の地に遷した。

 さらに、教科書で習う平安時代藤原氏の栄華とは、藤原四家のうちの北家のことだが(京家は、有望な人物が出ていない。南家は奈良時代に衰退、式家は桓武天皇の擁立に関わるが、その後に衰退、北家だけが繁栄を続ける。)、藤原北家の祖の藤原房前の妻が、牟漏女王(むろじょおう)で、彼女は、県犬養三千代が、藤原不比等の後妻になる前に産んだ子である。(藤原不比等の前妻の子が、藤原四兄弟)。

 つまり、藤原北家というのは、実は、県犬養三千代の後衛でもある。

 さらに県犬養三千代の血を受け継ぐ橘嘉智子が、嵯峨天皇の皇后となって仁明天皇を産んでいるので、後の天皇の血統にも県犬養三千代が関わっている。

 つまり、歴史的なポジションで、県犬養というのは、神話世界でニニギと結ばれたコノハナサクヤヒメである。

 だから、梅宮大社では、大山津見神酒解神)とともに、コノハナサクヤヒメも祀られている。

 そして、コノハナサクヤヒメというのは、別名が、神阿多都比売、つまり阿多の隼人の女神である。

 隼人という名は、奈良時代以降、南九州出身の海人で、畿内において朝廷の守り人に位置付けられた人々のことだ。

 古代中国において、四神の南方を守る朱雀の古称は「鳥隼」であり、この南方の地から邪霊などが侵入することを防ぐために、この海人を居住させていた。また、隼人は、犬の鳴き声のような吠声(はいせい)で、皇宮衛門の守護や行幸の護衛を行った。その声に悪霊退散の呪力があると信じられたためである。

 日本の歴史のなかで、アラハバキ神もそうだし、怨霊を転じて守り神とする御霊会もそうだが、新しいコスモロジーを築き上げた人たちは、それ以前のコスモロジーや、従えさせた人たちのコスモロジーを壊してしまうのではなく、邪を防ぐために生かすという方法が用いられてきた。

 この重層的な積み重なりが、日本の歴史をわかりにくくする。なぜなら、この新旧のコスモロジーが、時代の変遷の中で逆転現象を起こすからだ。

 いったんは陰にまわったものが、再び担ぎ出されて、陽に転じることが起こる。

 県犬養三千代県犬養氏の祖神を祀るために梅宮大社を築いた京田辺の綴喜は、筒木でもあり、筒の木とは竹のことである。

 百年に一度しか開花しない竹は、根株で広がっていくことで増えていくが、離れた場所は、人為的に植えることでしか広がりようがない。

 竹は、もともとは南シナ海の植物で、海人の隼人が植樹していったと考えられており、事実、記紀において、隼人は、竹細工などを行なっていたと記されている。

 そして、京田辺の筒木は、竹取物語の発祥の地の有力候補である。つまり、竹取物語は、南方系の海人の伝承が重ねられて創造された物語であろうと思われる。

 古事記の中に、京田辺の豪族と思われる大筒木垂根王の娘に、迦具夜比売命かぐやひめのみこと)という女性が登場する。

 京田辺には、月読神社が鎮座し、ここは隼人舞発祥の地で、隼人の居住地だった。

 第26代継体天皇は、天皇になる予定のなかった天皇で、現在の天皇から血統的に遡れる最古の天皇だが、この京田辺の地に宮を築いた。彼は、即位してまもなく新羅に6万人の派兵を行なった。つまり、勢力を増す新羅に対抗するための国づくりにおいて必要とされた人物であると想像できるが、朝鮮半島に大規模の兵を送るためには、水軍の力が絶対に必要である。

 継体天皇が、即位した後、19年間、奈良の地に宮を築かなかったことが古代史の謎をされ、学者からは、奈良の豪族を警戒したためなどと説明されるが、最初に宮を築いた石清水八幡宮の南麓の樟葉も、京田辺の綴喜も、水上交通の拠点であり、当時の状況を考えれば必然のことだ。

 そして、継体天皇が綴喜宮を築いた周辺が、県犬養氏の拠点であり、そこに梅宮大社が築かれた。

 その場所が具体的にどこであったか、現在ではわからなくなっているのだが、この地に、現在も、佐牙神社が鎮座している。

 社伝によれば、敏達天皇二年(573年)の創建で、造酒司の奉幣があったとも伝えられ、酒造と関係の深い神社である。現在の祭神も酒造りを守護する神で、すぐ近くに酒屋神社もあり、古代は、このあたりが酒神信仰のメッカだったようだが、中世になって京都の松尾大社梅宮大社が崇敬を集めるようになったために衰退した。

 古代、この場所は、奈良盆地から北方へ通じる山陽道が整備され、水上交通の大動脈である木津川のそばということもあり、交通の要衝だった。

 それゆえ、佐牙神社は、「酒(さけ)」の神というよりも、災厄や悪霊などを防ぐ「避け(さけ)」の神を祀る場所だったのだろう。

 後にこの場所を拠点とする県犬養(橘)氏の「犬養」は、隼人の呪術の一つ、吠声にもつながる名だが、大和朝廷の直轄領である屯倉などの守衛に当たる品部であった。

 壬申の乱の時も、最初から天武天皇の側について、勝利に貢献した。

 この氏族もまた、門や境界(地理的な意味においても霊的な意味においても)を守る役割を担う人たちで、もともとは南方系の海人だったが、コノハナサクヤヒメがニニギと結ばれるという神話が作られたように、コノハナサクヤヒメを祖神に位置付ける県犬養氏の血が、歴代の天皇を通して受け継がれてきた。

 古事記は、そうした史実を象徴的に描いたものであり、元明天皇の時代に完成した「古事記」の背後には、藤原不比等というよりは、元明天皇の絶大な支持を受けていた県犬養三千代の影が強く感じられる。もともとは、避けの神を祖神とし、朝廷の守衛を担う陰の側の末裔が、いつの間にか陽の立場となり、いずれまた陰となる。

北から沢の池(石器時代からの祭祀場)、梅宮大社、向日山(縄文の石棒、弥生時代の銅鐸製造の跡、巨大な前方後方墳があり、継体天皇が弟国宮を築き、桓武天皇長岡京を築いた場所。向日神社は、明治神宮のモデルでもある。)、三つの大河の合流点、現在は石清水八幡が鎮座する男山の南麓に継体天皇が樟葉の宮を築いた。そして、南西が、三島鴨神社。古代の軍港で、日本三大三島で、祭神は、酒解神大山津見神)。南東が、かつて梅宮大社が鎮座していた京田辺の綴喜。

 

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