「風の旅人」Vol.11の写真家たち

 「風の旅人」に掲載される写真家のプロフィールは、誌面に載せないようにしています。
 写真は、何の先入観も持たず、写真の力だけで訴求したいからです。
 また、プロフィールを入れて写真家ごとに区切ってしまうのではなく、それぞれ異なる写真同士の相乗効果によるハーモニーを大事にしたいのです。
 執筆陣は、どの分野の専門家かわからないと、文脈が読めないこともありますので、簡単なバックグラウンドだけ紹介しています。
 12月1日に発売される「風の旅人」vol.11 <文明と荒野>に掲載される写真家たちのなかで、石元泰博さんは、国際的にも評価が高く、日本写真界の重鎮です。83歳になった今でも、創作活動にいそしんでおり、今号で紹介する渋谷の写真は、最近、せっせと渋谷に通って撮影したものです。
 年齢をまったく感じさせない新しさと、熟練の技が融合した写真は、日常の渋谷を写しながら、誰にも真似のできない世界を作りだしています。
 次に、下北沢に住んでいる浅井慎平さんに、今年の夏、下北沢を撮ってもらいました。浅井さんは下北沢に15年?ほど住んでいて、とても愛着を感じています。愛着を感じすぎて、客観的に見られなくなっています。客観的に面白半分に撮ることは誰にでもできるのですが、自分の身体的記憶になってしまっている下北沢を、もう一度自分の外に突き放して、ドキュメントをしてくださいと、お願いしました。
 浅井さんは、私の面倒な依頼に真剣にこたえてくれ、今までの自分の方法論を全て捨て、カメラ選びもフィルム選びも全て無の状態からやり、四苦八苦して、下北沢を撮影しました。それらの写真は10月号でも掲載しましたが、あの時はまだ実験途中段階で、浅井さん自身、全然納得できないものだったのですが、今回の12月号は、ようやく、自分で何をすべきか見えてきて、納得できるようなものになってきたと語っていました。

 難民キャンプの写真の鈴木邦弘さん、ラスベガスの田中克佳さん、ミケランジェロの増浦さん、東京の中野正貴さんは、私とほぼ同世代の硬派の写真家たちで、「風の旅人」の常連です。中野さんは、「TOKYO NOBODY」誰も写っていない東京の写真集で、以前、とても話題になりましたが、最近、「東京窓景」という写真集が出ました。これもとても斬新で、近いうちに、この写真集について私の意見を述べたいと思います。
 中野さんと、「風の旅人」の表紙画を描いている虎尾隆さんは、大学時代の先輩後輩で、親しい友人だそうですが、そのことを、私は知りませんでした。
 田中克佳さんは、「風の旅人」の10月号でメコンの写真を紹介したマイケル山下さんのアシスタントカメラマンを経て独立し、今はニューヨークで頑張っています。今から14年ほど前、私が広告会社で働いている時、彼も別の広告会社で働いていて、同じ化粧品会社を担当していたことを後で知り、びっくりしました。
 増浦さんとも奇縁があり、今から23年ほど前、私がパリで極貧生活を送っている頃に、彼もまたパリで極貧生活を送っていました。当時、改装される前のルーブル美術館の庭には、マイヨールのブロンズがあり、私はそれが好きで、よく撫でまわしていました。増浦さんにとってマイヨールの写真は出世作なのですが、彼は、撮影する前に、鳩の糞だらけのブロンズ像を、せっせときれいに磨いていたそうです。同じ頃に。
 鈴木邦弘さんの驚異的なことは、vol.7で紹介したピグミーが住む熱帯ジャングルでも、vol.2のバルカンの戦災地でも、vol.11で紹介する世界で一番暑いジプチでも、8×10インチフィルムの超大型カメラ(100年前の記念写真用みたいな)を持っていくことです。

 あと、都市写真の森田城士くんと、「聖と俗」というテーマで組んだヘンなアメリカっぽい写真の真田敬介くんは、まだ20代の新人で、今回がデビューです。数多い売り込みのなかで、印象深かったものです。
 売り込みの電話は数え切れないほどありますが、「風の旅人」をほとんど読んでいない人の売り込みも多く、そういう人とは会わないようにしています。真剣な話ができませんから。写真のうまい下手は、私にとってはどうでもいいですし、奇をてらった珍しい写真が欲しいわけでもありません。写真を撮る<姿勢>は、人に対する<姿勢>と同じだと思いますので、その<姿勢>がいまいちの人とは一緒に仕事をしたくないのです。
 というわけで、日本写真界の重鎮から新人まで、差別することなく紹介しています。
 これは、どの号でもそうなんです。実績よりも、写真に感応するものがあるかどうかが全てですから。