内山英明さんが亡くなった。内山さんの地下世界の仕事は、地上で永遠に生き続ける。

Tumblr_m95uakwj3s1r7gfuyo1_500_2 (この写真は、風の旅人 第25号で紹介した内山ワールドのごく一部)

 昨日、写真家の内山英明さんが、脳出血で亡くなった。ショックだ。内山さんの不在という事実を突きつけられ、大きな喪失感を感じる。昨年末に、荻窪トークショーをした時は元気だった。それまで内山さんは何度も癌になり、それでも奇跡的に治ってしまうということがあって、その特異な体質を面白おかしく語り合ったりもした。でも、今回は、癌細胞との闘いの果てではなく、あまりにも突然の、脳出血による死。

 内山さんは、ぱっと見た感じ恐そうで、また真・善・美に対してとてもストイックなところがあり、納得いかないことに関しては遠慮なく物を言う人だったので、敬遠する編集者も多くいる、と内山さんは言っていた。だけど、私は、内山さんのことが大好きだった。心も通じ合っていると思っていた。なによりも、内山さんと語り合っていると、この世のものならぬ世界や時間が、とても身近なものに感じられた。なんというか、二人で話していると、時空が歪むような感じがした。その目眩感覚が楽しかった。
 内山さんのアンダーグラウンドの写真について、私は、何度も論じてきた。1990年頃から多くの写真家が地上の光景を撮ったもので、時代が写っている写真なんてほとんどない。地上の風景は、1990年頃からほとんど同じになった。でもそのあいだ、時代は大きく変容した。その変容は、地下世界に鋭く現われていた。それを、20年以上、内山さんは追い続けた。内山さんに取って代われる人は他にいなかった。
 風の旅人のなかでは、25号で30ページにわたって内山さんの写真を紹介したのをはじめ、26号、27号、32号、39号、43号、そして休刊後の45号で特集を組んだ。内山ワールドは、風の旅人で欠かせないものだった。精神的支柱だった。一緒に仕事をする時は、お互いに熱くなり、変性意識に陥っていた。2012年の復刊前、夏の暑い盛り、下北沢の汚いカフェの、冷房がきいていない室内で、二人とも上気した赤い顔になって、震災の直前まで内山さんが潜り続けて撮っていた原発関連施設の写真を見て語りながら、復刊第一号で掲載する準備を整えていた。
 何度見返しても、風の旅人の中の内山ワールドは、写真も文章もスパークしていた。内山さん自身が、そのことに喜々としていた。私が組んだ自分の写真を見て、興奮して何度か電話をかけてきたことがあった。
 あの嗄れた、聞きづらい、闇の底から轟いてくるような声をもう聞くことができない。あの濃密で、あちらの世界に眼が行っちゃっているような、狂的な、だからこそ作品世界の重力がすさまじい内山さんがいない。もう内山さんと仕事ができないということを思うと、呆然とする。人は誰でもいずれ死ぬことは知っているけれど、あまりにも唐突で、悲しい。
 内山さん。内山さんが地上でやり遂げた仕事は、ずっとずっと生き続けるし、今後さらに重要なものになっていくことは確か。だから、決して終わりではないよ。
 これからの地上世界と地下世界がどうなっていくか、天から見守りながら、時々、私には感じとれるメッセージを送ってくださいね。


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