第1196回 熱のない時代を生きる自分の寄る辺

 作家の梨木香歩さんが、新著のエッセイ集「ここに物語が」を送ってくださった。

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 ガルシア・マルケスをはじめ、梨木さんのこれまでの読書体験をもとに、どんな本をどんなふうに読んできたかが綴られている。

 この本のなかに、15年くらい前、風の旅人の13号が出た時に新聞に書いてくださったショートエッセイが掲載されている。

 「風の旅人の創刊号を見た時の衝撃は忘れられない」と。

 熱いものを秘めながらも冷静沈着に磨き抜かれた文学空間を作り出す梨木さんが、「この雑誌の創刊号ときたら、もう明日地球が滅んだって悔いはないというぐらいの真っ向からの全力投球、全編に漲る緊張感とストイシズムには、他に類を見ない求心力があった(この雑誌はグラフィックマガジンということになっている。が、そう一言で言い切れるほど単純な雑誌ではない。)」と、かなり、ストレートな表現をされているので、正直、驚いた。

 いつ死んでもいいくらいの気持ちを持っていたかもしれないが、明日地球が滅んだって悔いはないとまで言ってくれるか、と。

 この風の旅人の13号で、セバスチャンサルガドが続行中だったプロジェクト「GENESIS」を、世界で初めて大々的に紹介したのだが、梨木さんは、このサルガドのプロジェクトについて、「深刻な現実を見据えつつも、気負いのない行動の起こし方が何ともいい。」と書き、「そして本質を見失わず柔軟に時代を生き抜いて行くこの雑誌の在り方もまた。」と書き添えてくれた。

 梨木さんが書いてくれたような風の旅人の編集スタンスは、50号までぶれることなく自分ではやったつもりだが、昨日、アメリカ人の写真家というより湿板光画家のエバレット・ブラウンがうちに来た時、「風の旅人の続編、やらないの?」と聞かれたが、速攻で、「無理!」と答えた。今振り返っても、よくやっていられたなと思うくらい、当時は気狂いじみた状況でやっていたのだ。

 無理だというのは、精神面の問題だけでなく、販売の収入と出費のギリギリのバランスのなかで、広告収入もなしにやっていたので、読者数が少しでも減るとアウトだった。つまり、それまで買ってくれていた人を裏切るような内容を作るとダメだし、それまで買ってくれた人が、忙しさなど色々な理由で読者をやめてしまったら、もう無理。そして、インターネットやSNSの普及で、雑誌を作るための支出に見合った新規の読者数を獲得することも難しくなった。

 出版不況だから云々ではなく、風の旅人を始めた時から、収支のバランスを厳密に検討したうえで、どうすれば最高の質のものができて、どのくらい読者を獲得すればそれが実現可能か、考えに考え抜いたやり始めたことだったから、そのバランスが少しでも崩れたら同じことはもうできない。私は、作家や写真家への原稿料の支払いも、本ができてすぐに完了することをモットーにしていたので、出版不況を言い訳に作家や写真家にしわ寄せをするくらいなら、やらない方がマシという考えだった。

 短い期間のあいだに次々と作らなければならない定期刊行物で、かつ大勢の写真家や作家たちへの原稿料を支払わなければいけない状況で、妥協なきものを作り続けることは50号までで限界だった。しかし、それ以外の方法なら、なんとか自分の描くビジョンにそってやっていくことはできる。これだけは後世に伝え残したいという写真集や、自分が死ぬまで続けようと思っているSacred worldの探索なら、自分に可能なペースで、コツコツと続けることはできる。風の旅人を節目の50号まで作った時、これからはその方法でいいと思った。

 風の旅人に掲載した作家たちに原稿料を支払い続けて、そのようにしてできた原稿を、他の出版社が持っていって単行本にし続けた。そのようにしてできた本で大きな賞を受賞した作家も何人かいた。すでにある原稿をまとめて単行本にすることは、何もないところから作家とともに原稿を育てていくことに比べてはるかに楽だ。お金も時間も、エネルギーもさほどかからない。だから、私は、風の旅人の原稿を使った単行本化の仕事には興味がなかった。やはり、無から何かを立ち上げる方が面白いというか、そうでないと、やる気が起きない。

 梨木香歩さんという人は、風の旅人に対してくださった評価の言葉が、自分自身にもそのまま当てはまるような人で、表現に対する真摯さとストイックさは、他に類を見ないものがある。

 たとえば、これだけ長年にわたって人気作家として膨大な本を生み出してきているけれど、ご本人の顔は、インターネットで検索しても出てこない。とても美しい方なのだけれど、作品を独立した生物のように捉えているので、作家のイメージが作品に及ぶことを望んでいないからだろう。

 また、風の旅人の5号と6号で、梨木さんに素晴らしい長編作品を書いていただき、それを見た他の出版社から、すぐに電話があり、単行本化の権利を欲しいと言ってきた。私は、作品の権利は作家の権利だとその出版社に返事をしたから、きっと単行本になるのだろうと思っていた。しかし、いまだに、あの原稿は単行本に入っていない。それはたぶん、私の思い過ごしかもしれないが、梨木さんが、あの原稿は風の旅人という場のために生まれた、と思ってくれているからかもしれない。それだけ、あの梨木さんの作品は、風の旅人の場の中で、掲載されている写真などとも共振していた。

 梨木さんは、原稿があるなら本にすればいい、という単純なことではなく、もっと真摯に、作品の魂ということを考えているのだろうと思う。

 というのは、私は、梨木さんの作品の掲載号である風の旅人の5号と6号の販売の際、梨木さんの心を裏切る大きな失敗をしてしまい、作品の魂に真摯に向き合うことの大切さを改めて思い知らされたからだ。

 当時、風の旅人を作るだけでなく売ることにおいても必死だった私は、六本木のTSUTAYAからの提案に、大喜びで乗ってしまった。

 TSUTAYAが、一階のフロア壁面を風の旅人一色の世界にしてくれるというのだった。当時、六本木のTSUTAYAの影響力はとても大きかった。

 TSUTAYAの提案は、ただ本を陳列するだけだとつまらないので、壁面に写真家たちのオリジナル写真を飾ったり、編集の途中段階の朱書きの入った校正紙などを陳列しようということだった。いわゆる、”メイキング”というやつだ。

 私はそんなに深刻に考えずに、作家にその提案を伝えたのだが、梨木さんにとって、中途半端な作品の姿を晒すことは、絶対に許せないことだった。

 作品というのは、生まれた瞬間から、作家の手を離れて一人歩きしていく。そして、生まれる前は、作家や編集者が責任を持って守り続けなければならない。浮かれた気分で、その責任を放棄してはいけない。

 もう15年以上前のことになるが、あの時に思い知ったことは、今でも忘れられない。

 今回、梨木さんの新著「ここに物語が」のなかに、「伝えたい一冊」というコーナーがあり、そこに、高野悦子の『二十歳の原点』があることに、ちょっと驚いて、新鮮な気分になった。

 この本は、プロの作家が書いたものではなく、立命館大学の学生の日記だ。

 しかし、実は私も10代の時にこの本を読んで、かなり影響を受けた。あと数年で20歳になる自分は、20歳になった時、この日記の作者のような熱い問題意識や知識などを持ち得ているのかと、激しい自己嫌悪に陥った。

 20歳の女性が書いたものだから、その文章が洗練されているはずがなく(洗練という名の小さくまとまっただけのものが多いが)、性急で短絡な思考も多い。しかし、『二十歳の原点』は、心が純粋で熱い。自身の生の有り様を必死に模索して、傷つき、自分を叱咤激励し、また落ち込んではを繰り返している。

「独りであること」「未熟であること」これが私の原点である。と高野悦子は書いた。しかし、自分自身にそう宣言してから半年ほどで彼女は鉄道自殺を遂げる。たしか、後書きでそれを知った時、私は途方にくれた。

 梨木さんは、この『二十歳の原点』を、本当に伝えていかなければならない本だと断言している。

 熱のない今の時代、戻らない時代へのオマージュとしてだけではなく、今日の自分を考えるよすがとしても、残しておきたい本であると梨木さんは述べる。

 インテリを気取った人なら、伝えていかなければならない本として『二十歳の原点』をあげることはないだろう。自分がもっと高尚に見られる本を選ぶだろうと思う。

 あえて『二十歳の原点』を出してくるなんて、知的教養の類よりも精神こそを重視している梨木香歩という作家の心構えが、明確に現れている。

 私は、潜在的にこの本の影響があったのだろうと思う。二十歳の時、高野悦子は自殺したが、当時、死にたい気分になっていた私は、自殺と同じような感覚で、大学を辞めて海外に放浪の旅に出た。一年間必死でアルバイトをしてお金を貯めたがパキスタン航空の格安航空券を買ったら50万円ほどしか手元に残らなかったので、できるだけヒッチハイクと野宿をして、どこかでのたれ死んでもいいや、という気持ちだった。だから、危ないところに行く時も、そんなに恐怖はなかった。自殺するのなら、砂漠で焦がれて死ぬのも同じだと。

 なんか、あの時から、いつ死んでもいいや、という感覚が、心のどこかにつきまとっている。

 おしなべて天の配剤。どんなことも、時がくればあるべき場所に還り、なるようになる。

 まあ確かに、それは、梨木さんが書いてくれたように、「明日地球が滅んだって悔いはない」という気持ちに似ているかもしれない。

 そのように開き直っていれば、高野悦子が書いたように、「私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることのできる人間になりたい」ということに、一歩、近づけるのかもしれない。

 人生の熱を完全に失いきった人なんていないと思う。

 それを封印してまで生きていく価値があるのかわからないのに、いろいろな理由をつけて封印しているだけ。

 そうは言いながら、私は、『二十歳の原点』を、今もう一度読みかえすことはできない。なぜだろう?

 あの頃の自分が眩しいという感覚ではなく、あの純粋が、あまりにも不憫に感じられて、読むと切なくなるからかもしれない

 

ピンホールカメラで撮った日本の聖域と、日本の歴史の考察。

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