THA BLUE HERB

 12月29日、雪がちらつく東京・新宿・ロフト。「THA BLUE HERB」のラスト・ライブに行ってきた。地下一階の薄暗い会場は人で埋め尽くされていた。行く前は、ディオニソス的な興奮と熱狂をイメージしていた。しかし、数百人という若者が、ほとんど棒立ちになったまま、顔を正面に向いて目を見開き、なかには腕を組み、ごく少数の人だけが前後に身体を動かし、BOSSの吐く言葉と音に聞きふけっていた。

 韻の力というのだろうか、言葉が頭ではなく、脳の後ろから脊髄をとおって身体に響いてくる。

 おそらく、本来の「詩」というのはこういうものだったのだろう。「詩」を気取った言葉遊びやセンチメンタルな独り言ではない、朗読会という気取ったセレモニーでもない。
 音と言葉によって、「時代」を、「世界」を、「いのち」を引き寄せ、そこに入り、息をして、出て、また入り、そうしているうちに、どんどんどんどん魂に負荷がかかってくる。じんじんと奮い立つような気持になってくる。それでいて頭はどんどん冴え渡ってくる。

「時代を変えろ、時代は変わる」
「ただ犀の角のようにひとりで歩め、ただ犀の角のようにひとりで歩め」
「茎を太く、葉をひろげる、雪、暑さ、雨にもまけず」
「全て肉体は死に、逆に精神は不老不死に、ともに深い闇の淵に」
「この素晴らしき人生が全て夢だとか無限だとかという理論は役に立たない。オレもオマエも誰も死ぬために生きる、もうずっとオレは終わらせるためにここにいる」
                
 ライブが終わった後、誰かと語ろうという気分にならなかった。余韻を独りのものにしたかった。そして掌を握りしめて思った。もう少し頑張ってみれるのではないか、腹の底に力を入れて、オレの中のオレと向き合っていくしかないのではないか、心が圧しつぶれそうに、しんどいことだけど、うさんくさいゲームに、おろおろと、付き合う必要はない。