白川静先生の熱い思い?

 1月16日(日)、京都まで白川静先生の文字講話を聞きにいった。
 前回の10月の時は、けっこうお疲れのように見えたが、今回は、以前のようにとてもお元気で、魂の力に満ちあふれていた。
 今回は、「金文」の話だった。いつもながら、白川先生の博大な知識、洞察力、張りのある大きな声のなかに漲る気力、真摯な思い、信念に圧倒されるとともに、深く感じ入るところがあった。
 今から3300年前の殷の時代に生まれた漢字、骨や亀の甲羅に刻み込まれた甲骨文字や、青銅器に刻まれた金文を、すらすらと音読して意味を理解してしまう白川静先生は、日本にかぎらず、数千年の歴史を誇る中国を含めた東洋全体の歴史史上でも、傑出した大人物だろう。
 実際に、後漢時代(AD25〜220)に漢字の字源を示す『説文解字』が許愼によって書かれ、白川静先生が世に現れるまでは、漢字に関する不滅の聖典とされてきた。しかし、その許愼は、漢字の起源にあたる甲骨文字を目にすることはなかったわけで、当然、その説は、不十分になる。
 許愼は、当時、自分が知り得た資料のなかで最善の考察をしたのだろうが、白川静先生は、甲骨文や金文を含め、3000年を超える歳月の間に生まれたありとあらゆる資料を、自由自在に操って考察することができる。頭のなかは、常に、3000年の間を行ったり来たりしている。こういう方は、人類全ての歴史を眺め渡しても、白川先生をおいて他に存在しないのではないか。
 私たちは、そんな偉大な人と同時代を生きている。そして、今日も講演後の懇親会で立命館大学の名誉教授が挨拶していたように、白川静先生の精神に深く私淑する自分たちにとって、先生から直に話しを聞くことができるだけでも驚くべき幸運なことで、これは奇跡に近いことなのだ。
 白川静先生は、金文に関する講演の後、いつものように、今日の世界や日本の状況などについて深い話しをしてくださった。
 殷とか周についての学問的知識を伝授するだけでなく、そこから、今日の世界を深く広々と照射するところが、白川先生のさらに特別なところだ。
 そして、最後に、日本人に対して、深い憂いと、熱い思いを語られた。
 白川先生の魂は、もうまもなく95歳になるとは信じられないくらい、今もとてつもなく熱く燃えさかっている。