白川静先生の思い?

 白川静先生が、このたびの文字講話の最後の20分ほどで話されたこと・・・・。

 紀元前1050年頃、周によって滅ぼされた殷は、神霊との巫的交感を重視する神権政治を行っていた。そして、周は、周王(天子)が、天命を受けて天下を治め、その天子から各諸侯が国を授かって治める封建制を行った。

 この二つは、単に政権が代わったということでなく、思想的基盤としてまったく異なるものであった。この後、殷的なものは、老荘思想のなかに流れ、周的なものは儒教のなかに流れ、中国思想の二つの大きな流れを作っていった。
 すなわち、中国は、国のはじまりの時点から、思想的な側面で、予定調和ではなく、矛盾した絶対的対立をくぐり抜ける必要があった。
 神話的思考と現実的(俗的)思考、神霊との巫的交感に基づく政治と現実政治、自然と一体化しようとする南方的文化と、自然を操作する北方的文化。まさに人間の生き方の基本、文化の質を賭けた根元的な戦いがそこにあった。

 白川静先生の話とは違うが、大地母神的な女神アプロディーテが支援するトロイアと、知勇で思慮深く現実的で、貞節・純潔を迫る女神アテネ神が支援するギリシャの戦いを語ったトロイア戦争も、その物語の基底に、人間の根元的な価値観の戦いが流れていると説く人もいる。<農耕民族的な世界観vs.遊牧民族的な世界観!?>
(これを書いていて気付いたが、なぜか、トロイア戦争と、殷と周の戦いは、ほぼ同じ時期だ・・・。)

 それに比べて、我が日本は、神々の系譜が整えられた頃に律令制度ができ、最初から、相矛盾する二つのものが素直に同居するような形で歴史がはじまった。
 日本人が、思想を徹底的に極めていく姿勢が弱く、曖昧なところが多いのは、この時点から始まっているのではないかと白川先生は仰る。
 日本人は、他からあてがわれたもので、それでよしとしてしまうところがあって、相矛盾する状況のなかで懸命にもがきながら、何かを掴み取ろうとする気力の面で弱いところがあると白川先生は仰る。

 この戦後60年という時代は、白川先生から見て、見るに耐えぬ時代だという。これだけの繁栄を誇りながら、物にしろ思想にしろ国の方針にしろ教育にしろ文化にしろ、あてがわれたものの上に軽く浮いているだけのようで、その曖昧模糊さが良いとか悪いとか議論をする以前に、日本人の顔から溌剌としたものが消えていっていることに深く嘆いておられる。
 確かに、理屈のうえでは、どのような形でも議論ができる。しかし、議論だけで達成感を得ても何もならない。
 学者でも評論家でも小説家でも何でもよいのだけれど、そろそろ理屈以前のところで、その人の生き様、顔つき、眼力、生気なようなものを拠り所に、その人の言うことが信じられるかどうか、察していくことが大事になってきているのではないか。
 人間の世は、単調なものではない。といって、「複雑である」と言って現状をなぞって解説するだけでは仕方がない。また、アメリカの学者の誰それがどう言ったとか、ヨーロッパにおいてはこうだとか、自分のなかから必死に絞り出したものではなく、外からあてがわれたものを、それなりにアレンジして伝えるだけというのも、どこか胡散臭い。

 もしかしたら、今こそ日本は、東洋と西洋という根本的に矛盾する世界観のなかから、必死の思いで新たな展望を掴みだし、その新しい思想を極めていく強靭な意志によって、新たな道を切り拓いていかなければならないのかもしれない。
 その為には、まず何よりも、自分のなかに宿る”東洋”と”西洋”の違いに厳しく自覚的でなければならないだろう。
 もしかしたら、根本的に矛盾する世界観というのは、今日の時代においては、東洋と西洋だけでなく、アメリカとイスラムの対立や、その問題も包含される南北問題もそうかもしれないし、革新と保守、右か左、文系と理系、精神世界と世俗世界、表層と根元、現実と理想、といったことも含まれるかもしれない。
 相反するものの見事な両立。
 相反するものの境界を超えたところに、新たな価値とロジックを打ち立てていく意志と気迫。
 
 学園紛争が厳しかった頃、白川先生の立命館大学は、闘争が特に激しかった。そんな最中、白川先生の研究室だけ、夜遅くまで煌々と灯りがついていた。その白川先生の研究室だけは、学生も攻撃しなかったという。それは誰しも白川先生の学問のあり方に並々ならぬ意志を気迫を感じ取るからだろう。
 今日の日本の学問、思想、政治、評論、芸術その他に、果たしてそのような意志と気迫が残っているだろうか。