未来から見る現在?

 (前の続き・・)
 アメリカは、資本主義と民主主義が全世界に浸透することによって、テロが無くなると考えている(というのは表向きで、無くなる必要がないと実際には考えているかもしれない)。
 個人の「好きだから。気持ちがいいから。」という感情を尊重し、その暴走に対して「法」の力で縛り、縛りすぎて経済が悪化したら、その部分の規制の緩和を行うという民主主義=資本主義の根本にある<利己主義>が、全世界に行き渡るということが果たしてあるのだろうか。
 世界には、利己主義や快楽主義に対して意欲の強い人もいれば、そうでない人もいる。それを実践していくのが上手な人とそうでない人がいる。同じ風土や宗教や共同体の価値観のなかで育った人同士なら、その差はそんなに大きくないかもしれないが、生きてきた背景がまったく異なれば、その差はとても大きくなる。さらに、利己主義に長けた人は、ディファクトスタンダード(事実上の標準)を作り、その王になる才能もある。王が生まれれば、僕も生まれる。全員が王になることは、あり得ない。優位に立っている国や人が、そうでない国や人を自国や自分に優位なようにシステムのなかに位置づけるディファクトスタンダードを構築し、経済的に活用するからこそ、資本主義は成り立っている。暴力的に搾取することが反発を食うので不合理であると認識すれば、紳士的な態度で狡猾に考慮してシステムを作り、合理的に利用する。悪人でなくても、資本主義社会で生き抜くことは、そういう頭の働かせ方をしなければならず、それに慣れていることが優位につながる。
 「貧しさのために多くの人が死んでいる」ということを知るだけでは、この構造は変わらない。400円のホワイトバンドを買って、仮にごく僅かの寄付金が貧しい国に届けられても、経済の構造が変わらないかぎり、状況は改善されないだろう。
 有名アーチストが、全財産の半分以上を投げ出して、コンサートに集まる人々に、現在の浪費生活をやめて便利な生活を放棄して資源を使わないように本気で呼びかければ、少しは改善されるかもしれないけれど、そこまでのことはやらない。
 「俺たちの自由は守ろうぜ、満喫しようぜ、そのうえで、少しはアフリカのことも考えようぜ」と、聴衆に都合のよい掛け声になるからこそ、全員が共感し、高揚して拳を振り上げて歓声をあげる。
 アフリカのことを知ってもらうために、コンサートをやる必要があるのだろうか。知ってもらうためだけなら、他の方法があるのではないか。コンサートで歌っている歌のほとんどが、アフリカと関係ない資本主義社会のものではないか。アフリカの文化や実情を知る機会にもなっておらず、ただ「800万の飢える人」と数字記号だけになっていないか。だいいち、アフリカのどの国でどういうことが起こっているかということに対し、その国がどこにあるのか、イベントの参加者は、まったく想像が働いていないのではないか。
 中途半端さゆえに、妙な満足感を得て、問題の本質をうやむやにしてしまうくらいなら、やらないほうがましだと私は思う。
 皮肉にも、「アフリカ貧困救済コンサート=ライブ8(エイト)」が開催されたロンドンで、アフリカ問題を話し合うG8の期間中にテロが起きた。
 「歌声よ、アフリカに届け」とばかりに熱狂しても、いったいアフリカの現状に何が届いたのだろう。そして、「問題はアフリカだけじゃないんだぞ」と思うテロリストは、潜在的にどれだけ生まれたのだろう。
 テロも音楽コンサートも、自分達の主張を派手にアピールする手段ということにおいて、それぞれの言い分では共通してしまっている。
 本当はそのように大雑把で強引な手段ではなく、モノゴトの機微を大切にして丁寧に形にしていこうとする根気なくして「他者」に近づくことは不可能なのだけど、そのプロセスを簡単に飛ばす思考や実践が顕著になっている。
 「風の旅人」に対する写真の売り込みも、そういうものが多い。下手な鉄砲も数多く打てば当たるだろうという発想で、いろいろな雑誌社を回ろうとするため、雑多な写真のコピーをファイリングしてそれを見せようとする。そうすることによって、写真の一枚一枚が死んでしまう。自分の写真は、他の雑誌ではなく「風の旅人」でこそ真価が発揮できると本気で考えて、真摯に向き合ってくる写真家なら、新人で無名でも会って話したいと思うし、実際に、これまでも多数、掲載してきた。
 就職においても同じで、下手な鉄砲も数打てば当たるという発想では、一発も当たらない。しかし、機会が無限にあるような資本主義の錯覚が、そのような雑な気持ちを育んでしまう。今日、反戦コンサートで熱狂した人は、翌日には、また別のシチュエーションの機会をエンジョイすることを望む。充実した人生とは、資本主義社会においては、いろいろな商品や機会にトライし、可能性を試し、経験することだから・・・。
  
 そして、この文の最初にかかげた、「美」に関する問題だけど、今この瞬間だけに限定すれば、「美」の解釈は様々だ。しかし、歳月が経った後に振り返れば、表層の様々な夾雑物が殺ぎ落とされ、誰もが共有できる「美」が自然と立ち上がってくるような気がする。
そしてそれは一人の人生においても同じだろう。死ぬ前に過去を振り返った時、自分の人生において美しい時期だと思えるのは、いったいどの時期であったか。

 白川先生が発した、「未来になって振り返る時に、”美”として耐えうる現在であるかどうか。」という根元的な問い。そこに唯一の正しい答えはないかもしれないが、そのことを自問自答できる余地を自分のなかに残しておくことが大事なのではないか。
 白川先生は、講演の最後にポツリと言った。
 「私は研究室でずっと過ごしてきた人間です。研究に勤しむあまり、世の中との接点が少なかったかもしれない。もっと世の中のことを見る必要もあったのではないかと、このところ思うこともあります。」と。
 その言葉を聞いて、白川静という人は、地の果てまで歩いていっても、自分のやっていることのうえに胡座をかかず、常に背筋を伸ばしながら、常に前を見て、そして常に自分を振り返りながら生きていく人なんだと、思い知らされたのだった。