はじまりの荒野

 昨日のイベントにお越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
 今回は、急遽、ポレポレ座のこけら落としにイベントをやることを決め、実験的にブログとかミクシィだけで集客したので集客数の見当がつかず、不安でしたが、奇跡的にちょうど満席くらいという感じになって、ほっとしました。

 ビールでも飲みながら、くつろいだ雰囲気で、とも考えていたのですが、紹介する写真作品が、気合いが滲み出るもので、かつスクリーンに大きく写すものですから、気持ちとして緩んだ感じにはなれませんでした。

 いずれにしろ、自分ならではの体験と言葉を持ち、語ることができる写真家や作家の説得力をあらためて認識しました。
 最後に飛び入りで、10月号から連載していただく田口ランディさんに登場していただきました。
 10月号からの新執筆陣は、田口さん以外に、港千尋さん、前田英樹さん、管啓次郎さん、早坂類さんなど、私と世代的に近い方がぐっと増えます。現在、掲載中の保坂和志さん、茂木健一郎さん、姜信子さんなどもそうです。先日、港さんと会った時に聞いたのだが、港さんも、20代、30代の頃は、外の世界を旅することに一生懸命だったけど、少しずつ、NOW HEREに視点が移っていった。NOW HEREといっても、極めて私的なことというのではない。内も外も見てきているので、私が「風の旅人」の10月号以降でより意識化しようとしている「NOWHERE」という視点は、とてもよくわかるのだと。
 そして、現在、世の中に溢れている表現物のように、内を主観的に語ることや、外を客観的に語ることは大して難しくないが、「NOWHERE」を主観とか客観の縛りから解放された視点で、かつ説得力を持った表現スタイルに昇華させるためには、やはり、それなりの時間と経験が必要なのだと。

 先に挙げた同世代の人たちは、従来の枠組みを自分に当てはめて思考するのではなく、どこにいてもNOWHEREというはじまりの荒野で、自分自身のなかに拠り所を探し、その試行錯誤のプロセスを重ねてきた必然として、自分流のスタイルを作りあげている。
 自分を安住させようと、何か既存の価値体系や組織体系のなかに身を置こうとも、ここ何年かの社会を見ればわかるように、安全確実なものは、何もない。
 数年単位でも難しい時代なのだから、若い時に自分の将来を、「今現在、確かとされていること」に縛り付ける方が、リスクは遙かに大きい。
 けっきょくのところ、常にどこにいてもNOWHEREで、「はじまりの荒野」を勇気をもって歩いていける感性と思考と体力を自分のものにしていくことのほか、術はないのだ。
 自分を安住させない立ち位置と、展望を見出そうとする意思というか志向性が、これからの時代に大切であり、これまでそういうスタンスで歩いてきて、それなりの智慧を獲得しながら現在もそのスタンスを維持している人に、「風の旅人」の誌面を飾っていただきたいと思う。
 これまで連載していただいた白川静先生や河合雅雄先生や川田順造先生などその道の大家は、圧倒的な器のなかに蓄えた膨大な智慧の一部を、「風の旅人」のテーマに即して、自由自在にアウトプットしていただいた、という感じだった。
 これからは、偉大な先人の知恵を頂戴すること以上に、自分達の時代の新しい文脈を自分達で滲み出させることが、もっと必要だろう。 
 「風の旅人」も、16号目に入るが、いまだ「はじまりの荒野」であることに違いはないし、その為には、自分自身が固定した枠組みになってしまってはいけないのだ。