格差社会(続)

 昨日の続きだけど、NHKのデータで、正社員とフリーターの生涯賃金のことで、その金額的な面で幸福指数をはかるようなやり方に矛盾を感じたけれど、それ以前の問題として、その数値の出し方にも納得いかないところがある。
 というのは、フリーターの生涯賃金の算出には、たとえば自分の夢を実現するためにフリーターをやっている人が、フリーターの後に例えば事業を興すなどして自分の夢を実現した場合が含まれていない。フリーターの場合も社員の場合も、死ぬまでダラダラと同じことを続けることを前提とした計算方法だ。
 正社員もフリーターも、不確定要素がある。正社員の場合は、計算されている数字よりも上になる要素はあまりなく、リストラなどでそれが下がる可能性が多分にある。しかし、フリーターの場合、自分が立ち上げたビジネスがうまくいった場合など、桁違いの生涯賃金を得る可能性もある。そういう部分を無視して、ダラダラとフリーターをやった場合の生涯賃金と、リストラに合うことなく定年まで勤め上げた場合の正社員の生涯賃金を比較するというのは、フェアではないような気がする。
 しかも、その考えには、人間はある日突然死ぬかもしれないということすら考慮されていない。全ての人が定年を迎え、平均寿命まで生きるとは限らない。
  人間誰でも限られた人生を生きるわけで、その人生をどう生ききるかの選択であって、生涯賃金を算出して損得を考えながら生きてもしかたないのだ。
 
 ただ一つ思うのは、フリーターであれ正社員であれ、自分の不遇を環境のせいにし始めた時から、何か大切なものを失っていくような気がする。
 環境の中に自分の意に添ったものがたくさんあると思っていたら大間違いで、10のうち1つでもそれがあれば幸せだ。その1つを、自分の力で2とか3に増やしていくことが、生き甲斐ではないかと私は思う。
環境に期待することより、自分に期待した方が、人間は確実に幸せへの階段をのぼっていけるのではないか。
 環境にばかり期待する歳月が長くなり、その間、もし自分が何も変化していなかったら、一番ショックを受けるのは自分だろう。環境がどんな状況になっても最後に自分が拠り所にしなげればならないのは、自分自身なのだから。