野町和嘉さんの眼力

 現在、書店で発売されている「風の旅人」4月号で、アンデスの写真を紹介している野町和嘉さんのホームページが充実したものになりました。 
 みなさんも見てください。

人間は、世界を征服しきったように錯覚しているのだが、実のところ、人間の棲息地は、非常に狭く限られている。人間は広大な海に住めないし、陸地の上でも、砂漠や密林で人間が住んでいない場所はたくさんある。人間は、ごく限られた場所に集中して住んでいる。言い換えれば、人間は世界の狭間にかろうじて生きているのだ。
 写真家の野町和嘉さんにそのような現実認識があったかどうか私は知らない。しかし、野町さんが目を光らせて歩いてきた場所は、いわゆる秘境、辺境と呼ばれる場所ばかりであり、その被写体となったものは、広大無辺の自然世界と、その狭間で超然と生きる人間ばかりであった。そららの地域には、 あまりにも荒々しく厳しい自然世界と、その圧倒的な力の中で生きる人間の美しいまでの威厳が今も存在している。
 話は変わるが、人間の子供は抵抗力が弱く、敏感で正直である。上野の美術館でベラスケスやカラヴァジョの絵を見た時、当時4歳だった私の息子は怖がって逃げた。そして、野町さんの写真集を見せても同じく「怖い」と言って目を背けてしまった。たぶん本当に美しいものは、経験が浅く抵抗力の弱い者にとっては怖いものなのだろう。
 カラヴァッジョやベラスケスの絵と比較するのもなんだが、私は、野町さんの”怖い”写真を家族が憩うリビングルームにインテリアとして飾りたいと思わないが、自分の部屋には置きたい。不可解で過酷な現実世界と向き合って乗り越えざるを得ない時、夜中にこっそり野町さんの写真を見ると、なぜか魂の手応えを感じ、力が湧く。人間の営みの怪しさや可笑しさが胸にしみて、感動したり、ひとりでに笑みが漏れることがある。
 そう、野町さんが撮影した人間には底深い色気がある。どんな環境であっても人間が人間の尊厳を示す際に放たれる美しさが強烈に映し出されているのである。
 だからだろうか、野町さんの写真は、媒体を選ばない。アイドルの水着写真の横に掲載されても、ゴシップ記事の横であっても、彼の作品世界はいっさい影響を受けず、損なわれることもなく、そこだけまったく別の次元へと扉が開かれているように感じられる。
 優れた芸術作品は、人間が強く生きていく上で必要な畏るべき霊力があり、私達に生きることの魂の手応えを与えてくれる。その手応えは、今日まで不気味な世界を力強く耐えて生き続けてきて、これからもそう生きていくしかない人間の潜在意識に強く働きかける。人間の魂に負荷を与えて、魂を強くするような作用がある。だからこそ、一度見たら、脳裏に焼き付いて離れないし、何度見ても、胸が圧迫される。
 野町さんの恐るべき眼力で切り取ってきた世界は、そのように霊力を秘めている。
 絵を違って写真は、虚像を創り出すものではなく、世界をありのままに写し取るものだから、野町さんの目を通して私達は、現実が秘める霊的な力に圧倒されることになる。
 野町さんが撮影した人間の営みがあまりにもリアルすぎて、たとえ不快感を露わに目を背ける人であっても、この地上にこのように生きる人間の現実があることを愕然と知らされ、人間の生存の不可思議な手応えとして一生魂に刻むことになるに違いない。