バブル崩壊後派??

 今年は、野町さんの紫綬褒章だけでなく、水越武さんが芸術選奨今森光彦さんが土門拳賞を受賞した。水越さんも今森さんも、「風の旅人」の創刊号で写真を紹介している。 彼らは、賞をもらったからといって別にどうでもいいという感じではあるが、世間の反応は大きく、恵比寿でやっている野町さんの写真展は、昨日すごい反響だったらしい。
 まあ、どういう形であれ、野町さんや水越さんの活動に注目が集まるのは嬉しい。
 最近は、ファッションアートブームで目先を変えたようなものが流行り、野町さんや水越さんのように対象に丁寧に取り組み、鋭く深く迫るような写真は、誰でも簡単に撮れないということもあって、さほど人気がないからだ。
 野町さんと水越さんの写真は、これまで「風の旅人」で7回ずつ、今森さんは5回紹介した。これまで作ってきた「風の旅人」の核に彼らの写真があると言っていいだろう。
 彼らは、自分で新しく困難な道を切り開いてきた。それゆえ、その作品世界は、彼らならではの固有のものになっている。
 戦後写真の流れを俯瞰すると、東松照明さん、細江英公さん、川田喜久治さん、奈良原一高さん等が20代の頃、当時の写真界の大御所達の表現に反旗を翻すように新しい潮流を作り出そうとした。その時、彼らは、年齢的には一世代上で、アメリカ帰りで日本の写真界では異物のように見られていた孤高の石元泰博さんとは接点を持とうとした。
 野町さんも石元さんを同郷(高知)の先輩として尊敬しているが、時の権威や大物に擦り寄るのではなく、石元さん、東松さん、野町さん等、自分たちで新しい潮流を作り出そうとする志とか意気込みを持った若い人たちが、その後の写真界の歴史を作った。
 それに比べて現在はどうだろう。
 たとえば木村伊兵衛賞の審査員は、2000年に三人の女性が受賞した時から 篠山紀信都築響一藤原新也氏の三人はずっと一緒で、2001年に土田ヒロミ氏がくわわって、この4人+アサヒカメラの編集長でずっと続けている。揃い踏みではなければ、藤原さんは94年から15年、篠山さんは、95年から99年の間のブランクがあるものの、88年から審査員をやっている。これだけ長い間、同一の人物が関わり続けるというのは、異様と言うしかない。同じ顔ぶれの審査員が続きすぎると、受賞の傾向も読めてしまい、木村伊兵衛賞を取れそうな写真集作りという流れも生じてくる。実際に、若くていい写真を撮っていても、現在の選考メンバーであるかぎり木村伊兵衛には選ばれないだろうとわかってしまうものもある。ヤングポートフォリオで選ばれるような力のあるドキュメント写真は、近年、まったくといっていいほど選ばれていない。
 選考員の好き嫌いの反映であっても、それが長く続くと一種の権威構造になる。これに対して、若い人のなかで、木村伊兵衛賞なんてその程度のものと最初から無視している人も大勢いるが、審査員が選びそうな傾向に擦り寄っている人もいる。また、年輩の有名写真家に誉められて喜んだり、気に入られる写真を撮ろうとしたり、仕事とか学校とかでその人たちと関わりがあるということだけが自慢になってしまう人もいる、権威も一種のタレントなのだ。自分のやっていることに信念を持っている人は、そうはならないのだろうが。
 もちろん、年配の成功者がやってきたことは尊敬すべきものだ。しかし、前の世代がいろいろ行ってきた結果として、現在の写真表現が、社会の現実に対して力を持つ存在になっているのであればいいのだが、もしそうでないなら、前の世代で実現できていないことがあるということだ。
 写真そのものの力で見る人間の視点を変えてしまうようなものではなく、好きだ嫌いだ、綺麗、恰好いいなどと気楽に言い合えるようなものなら、別に写真表現である必要はない。
 別に写真表現である必要がない写真を氾濫させてしまうから、写真は社会的に”趣味”として消費財の範疇を超えることはできない。そして、多くの人は、写真に”そこまでの力”があるなどと思ってはいない。
 そうした状況のなかで、古い世代に誉められることが社会的に出世する近道だと考えているような場所から、かつての東松さん達のように、その後の歴史を作るような表現が生まれてくる筈がない。
 東松さん達は、思春期の頃に戦争を迎え、戦前と戦後の価値観ががらりと変わり、大人の言うことを素直に信じられないという時代背景があった。
 戦後しばらくの間、高度経済成長という同じ価値観の時代が長く続いた。その時代を生きた人たちが、写真界に限らないけれど、現在、各界の重鎮となり権威構造を作っている。
 しかし、バブル崩壊によって、それまでの価値観は壊れた筈だ。まだ残っているにしても、盲目的に信じにくくなった筈だ。しかし、戦争ほど大きな痛手を受けていないから、古い世代が既得権を持つ価値世界にお気楽に追随する人も多い。
 「前の世代の言っていることなんか信用できない、自分達は自分たちの視点と行動で、もっとマシな世界を新たに作りあげていくんだ」という意気込みを持った「戦後派」のような「バブル崩壊後派」の人間が、そろそろたくさん出てきてもおかしくないのだけど・・・。