魂のストレッチ

 この一週間、東京現代美術館のルオー展を見た。阿佐ヶ谷のラピュタで、ユーリー・ノルシュテインのアニメーションを見た。そして、土曜日、我が家で中野正貴さんの木村伊兵衛賞受賞の祝いを行い、写真家の野町和嘉さん、水越武さん、本橋成一さん、広川泰士さん、八木清さんなど、写真界のヘビー級の人達が集まった。そうしたことの連続で、ここしばらく魂に負荷がかかりっぱなしだった。そして日曜日、アルツハイマー病の独居老人の取材の為、中野正貴さんと千葉まで行った。この77歳の女性の家は、2年前まで、ゴミ屋敷になっており、10匹以上の犬と、10匹以上の猫が生息し、それ以外に何匹かの猫の死体が転がり、ガスも電気も水道も止められた状態だった。年金は毎月規則的に入金されており、その額300万円に達していたが、一銭も手がつけられていなかった。彼女は、ずっと無一文で生きていたのだ。
 この一週間ずっと魂に負荷がかかりっぱなしだったが、昨日の取材は特に強烈だった。
 この女性は、生きているものだけでなく、ありとあらゆるものに対して愛情の深い人だった。地面に落ちている虫の死骸を拾い上げて悲しそうにしたり、落ちた花びら一つに対しも慈しんで接する。壊れて捨てられた傘なども、大事そうに持ち帰って、傍に置こうとする。道ばたで猫が車に轢かれて死んでいるのを見ると、内蔵が飛び出している亡骸を丁寧に拾い上げ、持ち帰り、庭に埋めてやる。町を歩いている時も、壊れて捨てられた物を見ると、「可哀想でしょ」と言いながら、あちこちから拾い集めてくる。そして、不要になった犬や猫をここに持ってくれば引き取ってくれると知った大勢の人が、図々しく犬や猫を置いていく。そのようにして、彼女の家はゴミ屋敷、犬猫屋敷になっていった。
 そして2年前、民間の介護会社のサービスによって、ようやく人間らしい生活を取り戻すようになった。数年ぶり?に風呂にも入るようになった。今は健やかで元気だ。心は無垢のまま。でもアルツハイマーの進行は止まっている。
 取材の間、彼女はずっとニコニコしていたが、突然、真面目な顔をして、力強く言葉を発した。
 「当たり前のことですよ。私は、ずっと当たり前のことをして過ごしてきただけなんですよ」
 彼女にとって自然なことが、社会にとっては不自然なことになってしまう。しかし、その社会というのは、自分に都合の悪いことは見て見ぬ振りをしたり、自分の権利が少しでも侵されそうになると必死になってその原因を排除しようとしたり、ものごとに対する愛情も薄く、反自然なことを平気でやりながら良識ある人間を取り繕う集団でもある。
 そのような社会であるけれども、人間はそこで生きていかなければならない。病気が原因で限りなく自然に近い無垢状態で生きてきた彼女も、社会の中で自立してバランスの取れた生活を維持しなければ、人間として生き続けていくことは困難だ。でも、その「人間として」というのはいったいどういうことなんだろうと、考えれば考えるほど、魂に負荷がかかってくる。
そして本日、「風の旅人」の6月号の見本ができあがった。
 これもまた、見れば見るほど、胸が締め付けられる。内容の良し悪しも、販売のことも、考えれば考えるほど、魂に負荷がかかる。