白川静先生の文字講話を聴講するため、京都まで行く。
講義の内容は、周の時代の金文だったが、現在の中国国内の反日デモについて、白川先生がどういうことを仰るか興味があった。
でも意外と、このことについて、あまり言及されなかった。
日本にも中国にも原因がある。一番問題なのは、この戦後、起承転結の”起”が無いということだということを仰っていた。
東洋の歴史は、古代から、中国も日本も、ほぼ300年を単位にしたサイクルがあるという。そのなかで、起承転結をきちんと踏んでいくのだという。
しかし、現在は、それがない。”起”すら無い。
”起”すら無いということが、現代の悲しみのような気がした。
すなわち、いろいろなものに囲まれ、激しく移ろいながら、まだ何も始まっていないということ。