微妙な綾の違い

 表層だけをコピーしたものが出回る。ブランド品のコピーが有名だが、雑誌などにおいて、以前、「サライ」が成功すると、その模倣雑誌が次々に出たし、最近では、「レオン」が成功したと知ると、それとまったく同じコンセプトとテイストで、雑誌が創刊される。しかし、サライの場合などを見ても、その二番煎じは読者からまったく相手にされず、廃刊になったものが多い。

 サライは、黒字になるまで5年か8年か忘れたが、時間がかかったと人から聞いた。サライは新しい市場を自分たちで育ててきた。二番煎じ組の勘違いは、サライの成功によって、そこに美味しい市場があるみたいだから、自分たちもその方法を真似れば、その何割かを獲れるだろうと考えたことだ。

 広告会社やPR会社などが市場分析というものをよくやるが、私はその分析を疑問に思っている。たとえば生活必要品などにおいては、分析などするまでもなく、市場というものがあることはわかる。しかし、その分析方法を他のいろいろな余暇サービスにまで当てはめたものの多くは失敗している。なぜなら、余暇サービスというのは、もともと実態のないものであり、実態のないものの市場があらかじめ存在するということはなく、提供されるサービスの周りに人が集まることで初めて、そのサービス固有の市場が形成されていくからなのだ。

 たとえば、ディズニーランドの成功は、アミューズメント市場があってそこにうまく参入したからではなく、ディスニーランド固有のファンを増やしたからにすぎない。

 外から見ればそこに潜在的市場があったかのように見えてしまうが、そうではなく、ディズニーランドが放つオーラの及ぶ範囲が市場といえるものなのだ。だから、他がディズニーランドの模倣をしても、同じように成功することは難しいだろう。サライもレオンも同じことだ。

 しかし、雑誌の場合、その二つの雑誌に追随した雑誌で、まったく売れていないのにかかわらず残っているものもある。その理由は簡単で、広告収入があるからだ。そして、広告を取る手法が、上に述べた偽りのマーケティングなのだ。「サライやレオンが成功したように、そこに大きな市場がある。その市場を攻略する雑誌を作った。だから、その市場をターゲットにした商品の広告を掲載しましょう。同時に、そのターゲットに向けて、この雑誌の宣伝広告もバンバンやりますから 」という論法は、広告代理店が考えるのだが、それに乗せられる企業の広告担当者は腐るほどいる。そして、広告代理店は、それらの企業に雑誌広告費を請求し、雑誌社にも、雑誌を告知するためのコマーシャル代を請求する。

一番儲かるのは広告代理店だ。だから、二番煎じの新雑誌の立ち上げも、広告代理店が仕組んだものなのかもしれない。

 これと同じことは、旅行業界でも起こっている。

 最近、大手旅行会社が分社化した。表向きは細分化された市場ニーズに応えるためという理由だが、本当はリストラ対策だと思う。この会社は、大会社全体では利益が出ない構造になってしまい、収入と支出のバランスから判断すると、大量解雇が必要なのだが、それをいっせいに行うと反発を受ける。だから、会社をバラバラにして、それぞれを100%子会社にし、子会社単位で赤字にならないように収支のバランスを考えて運営を行えと厳命を出している。バランスを考えるというのは、採算に合う範疇で人を雇いなさいということだ。

 その中の一つが、ユーラシア旅行社とまったく同じ内容の事業をはじめ、コンセプトもサービスも、旅行イベントの運営なども、模倣としか思えないようなことを始めた。

 ユーラシア旅行社は、この分野でそれなりに成果を出し、4年前に、旅行会社として5社目のジャスダックへの上場を果たした。

 それで、先日、テレビのニュース番組を見ていると、「団塊世代の定年にともない旅行市場が変わる」みたいなキャッチフレーズで、「今までにない感動体験の旅」をこの大手旅行会社が始めたかのような取り上げ方をしていた。

 その裏事情は、この会社にはそういうノウハウがないので、旅行会社の交流の場や研修旅行で、秘境や文化などの専門旅行会社で働いている人に声をかけて誘い、誘われた人の何人かは大手旅行会社(の孫会社だが)で働けるからと喜んで転職し、そのように組織の体裁を整え、始められた事業であるということだ。

 でも、予言をするようで申し訳ないが、おそらく、そうしたやり方の将来は心もとないと思う。

 その理由の一つは、他社が育てた人材をつまみ食いをすることばかり考えて、自分たちで人を育てる発想がないことだ。人を育てられない企業は、組織的ダイナミズムが弱い。

 二つ目は、その会社に誘われて転職していった人の心も含めて、何から何まで表層的なことに軸足を置いてしまっているからだ。まさに、仏つくって魂を入れず。

 ユーラシア旅行社は、最初にターゲットを決めて、それに向かって仕事を整えてきたのではない。ターゲットは常に移ろうものであって、その表層を追いかけていたら、こちらの足元がおぼつかなくなる。

 最初は規模が小さくても、その瞬間ごとに自分たちの最善を目指して行った活動を、幸いにも評価してくれる人がいて、その人たちの信頼を失わないように努力し、また、その人たちと価値観を共有する人たちを日本中に探し、試行錯誤をしながら手を伸ばし、失敗から多くのことを学び、そのように時間をかけて人を育て、システムを整えることで、私たちの<かたち>が自然とできあがっていった。どちらかというと、業界経験者ではなく、先入観のない素人を、自分たちの方法で鍛えることに重点を置いてきたのだ。

 それがユーラシア旅行社の特色であり、その特色は、企業文化となって深く根を張っている。そのように生き物のように強かになっている私たちの特色から、コンセプトやツアーの日程やサービスなどの表層だけを持っていっても、”何かが違う”という感覚が残るものなのだ。その微妙な綾こそが、ユニークであり、オリジナリティであって、表面だけ真似をしたものはマネキンみたいなもので、皮膚の末端まで血が流れていない。

 もちろん、世の中には、その”何かが違う”という感覚のわからない人は多い。実際に、それまで育んでもらった会社からアイデアを持ち出して、他社でまったく同じことを平気でできてしまう人たちも、心の微妙な綾や、”何かが違う”という感覚のわからない人たちなのだろう。

 実際にそういう人はいる。大手旅行社の名声と安心だけで、その購入に走る人がいることは間違いない。でも、そうしたことは、企業にとって瞬間的な出来事にすぎない。

 健全な企業活動というのは、ターゲットやコンセプトありきではない。変化に対して、自らを生まれ変わらせながら持続し続けるダイナミズムを自らの内側に孕んでいることが必須だ。

 自分たちの生きる必然を自分たちでつくり出しながら、自分たちの<かたち>をつくり出してきたものは、微妙な環境変化に際して、それに対応するために自らを変容させていくメカニズムを持っている。

 コンセプトやターゲット云々というのは、その企業体にとって、たとえば今という瞬間を切り取った時に、たまたまそうなっているにすぎず、3年後は、また別の次元の取り組みが必要になる。そうした変容のメカニズムを自分のなかにもっていなければ、その企業は持続できない。

 しかし、コンセプトやターゲットから入ってしまう企業は、それらの言葉が形骸化した時、自らの内に新たなるダイナミズムの芽を育むことが難しいだろう。

 市場というのは、前もって頑としてそこにあるものではなく、こちらの活動の添って、その周辺に自然と整っていくものだ。だから当然、変容していくことが前提になる。

 大事なことは、あるようでないような市場を探すことではなく、必然に応じて自分を変容させていく嗅覚と行動力を備えているかどうかなのだ、企業も個人も。

 そして、悲しいかな、その”必然呼応力”=”勝負勘”の弱い人にかぎって、恩義という微妙な綾がわからず、自分だけの都合で目先の利に走ってしまうことが多い。それでうまくいって幸福になればいいのだけれど、モノゴトは自分の性質を中心に呼応していくものだから、自己都合だけの行動は、自分の周辺から豊かなものを遠ざけ、殺伐としたものを引き寄せてしまう。そして殺伐としたものが集まると、必ず、負のスパイラルになる。

 誰しも自分が大事なのだけど、本当の意味で自分を大事にするというのは、自分の周辺に心豊かなものを引き寄せることであり、心豊かなモノとモノとが響き合ってこそ、良いスパイラルが生まれるのだと思う。