日本の美と醜(もてなし)

 昨日、野町和嘉さんと、石元泰博さん→http://www.pgi.ac/gallery/artists/jp/ishimoto.html のご自宅にお伺いする。

 「風の旅人」の6月号で紹介する石元さんの写真を受け取るための訪問だったのだが、奥様が急遽亡くなられたこともあり、野町さんをお誘いして伺った。

 ちょうど一ヶ月ほど前に、奥様の元気な姿を拝見していたので、遺影を前にしても、狐につままれたような感じになる。脳梗塞ということだった。石元泰博さんも一昨年の年の暮れ、アメリカの路上で脳溢血(か脳梗塞)で倒れ、その後、懸命のリハビリの結果、再び写真を撮れるまでに快復していた。

 奥様は、倒れた時から意識不明のまま、1週間も経たずに、先立たれてしまった。

 石元さんは、ずっと作品づくりに没頭してこられ、奥様が、そのマネジメントをなさっていた。

 石元さんは、現在、撮影中の作品についても、「発表すること」など念頭にない。発表を前提に作品づくりをするのではなく、思うような写真が撮れるかどうかだけを考えている人なのだ。

 そうした石元さんを支えたのが奥様だった。奥様は、電話でも、お会いする時も、いつも「風の旅人」のことを誉めてくれた。私のブログも時々、目を通してくれ、その内容について、わざわざ電話をくださったことがあった。「昨日、石元と話していたことと、まったく同じことを書いていたわねえ」などと。

 一ヶ月前にお伺いした時、奥様は、日本の現状について、とても明晰な意見を述べられていた。様々な領域でこの国が傷んでいくことを、本当に憂い、悲しんでおられた。

 いつも私がご自宅にお伺いすると、茶の湯でもてなしてくれた。私は茶道の心得などまったくないが、いつも両手で茶碗を包み込むようにして飲む時の、陶器の肌触りと、抹茶の泡だった感じの柔らかさが心地よかった。

 茶と上品なお菓子を召し上がりながら、心からくつろげ、石元さんが文化功労賞の受賞者であるという畏れ多さも忘れて、思うままにいろいろとお話をすることができた。

 一ヶ月前、お話したことの一つが、道具に関することだった。「風の旅人」の6月号で、石元さんが撮った道具の写真を紹介したいと思っていて、いろいろ話しをしたのだ。

 石元さんの奥様は、食器なども、決して気取ることない趣味の良さで客人をもてなしてくれる。その時も、私は、それらの陶器の食器に触れる気持ちよさや目の喜びを、そのまま奥様に伝えた。どの産地のどういう器であるといったことはどうでもよく、何か上質な感覚が身体に伝わってくることがとても心地よく、この言うに言われぬ感覚が、生きていくうえでの喜びの質として、自分のなかに少しずつ沈殿していくことが自然と感じられたのだ。

 プラスチック性の器は便利だろうけど、上質な陶器から得られる微妙な味わいはない。そうした無味乾燥さが積み重なっていくことが、心のなかの大切な何かを少しずつ蝕んでいくのではないかというようなことも、その時、付け加えた。

 今こうして奥様が亡くなられた後も、奥様にもてなしていただいた茶の湯の感覚が、両手から私の身体のなかに、安らぎと少し背筋が伸びるような厳かさと有り難さとともに残っている。人から人に伝えられて、濃密に記憶されて生き続けていくものは、明確に形をともなった物そのものではなく、においとか手触りとか温もりなど、不確かであるけれど精妙で、それなのにいっそう生々しく、心にしみ通るような感触なのだ。

 そういうものによって自分は生かされている。この感覚は頭で納得できることではないが、自分の身体を構成する細胞の一つ一つが、あらかじめその感覚となじみがあったかのように自然と照応する。だから、身体が疼く。

 生きることは、そうした連動の連続なのだ。その連動を断ち切るようなことが増えれば増えるほど、私たちの身体は単なる物体と化す。生きている実感がしなくなるのは、そうした状況を言うのだろう。

 人は死んで終わりなのではなく、微妙な陰影となって他の誰かの中に残り続ける。生きていくうえでとても大切なものをバトンタッチしながら・・・。

 表面的な見栄を目的とした醜悪さや下劣さが増長すればするほど、石元さんの奥様のような凛とした美しさと清々しさの陰影は、よりいっそう増すように感じられる。