生き甲斐探しの社会

 欲しい物が何でも手に入るような今日の社会で、生き甲斐探しという言葉をよく耳にする。昔より生活は楽になった。職業選択の自由も広がった。それとひきかえに、生きているという実感が失われていると嘆く。

 もともと世界は人間の思うようにならないもので、人間は、思うようにならないことを何度も経験しながら、生きる力を身につけていった。たとえば、収穫直前の作物が台風によって台無しになってしまう時でも、絶望のなかで塞ぎ込んでしまうのではなく、苦渋に満ちた顔で、「しかたがない、また頑張るしかないな」と自分に言い聞かせ、なんとか自分を立て直してきた。それが生きるということであった。特に、地震や台風など自然災害が極めて多い日本では、そうした精神が自然と育まれてきた。無宗教などと言われる日本だが、思うようにならない世界のなかで、「また頑張るしかないな」と自然に思える境地というのは、素晴らしく宗教的と言えるのではないかと思う。

 今日、日本に限らず、世界中で様々な混迷と歪みが生じているが、その多くは、思うようにならないことに対する人間の耐性の低下に原因があるようにも感じられる。

 自分の思うようにならないから、暴力を振るう。学校や商店のガラスを割る。簡単に仕事を辞めてしまう。他国に爆弾を落とす。無差別なテロを繰り返すetc・・・・・。そうしておいて、自分の言い分だけを声高に主張する。

 いつしか人間は、自分の生きる世界を単純で管理可能なものでなければならないと考えるようになってしまっている。国や学校や企業の管理責任が声高に糾弾されるが、管理を求めれば求めるほど、彼らに管理しやすい体制づくり(つまり自由を制限する)の言い分を与えることを知っておかなければならないだろう。

 現代社会は不安が多いなどと評論家が分析することがあるが、私はそうは思わない。予測不可能なことや少しの危険に過敏になって、不安神経症になっているといった方が正確なのではないか。

 予めわかっていることしかやらなかったり、気の合う人としか付き合わない。そのようにして人生は、ますます無難に、そして、おそろしく退屈なものになる。結果として、思うようにならない事態に対して耐性がなくなり、キレやすく、パニックに陥りやすくなる。

 今日の都市化社会では、そこに持ち込まれる自然さえ、観葉植物など管理しやすいものとなっている。そうした環境のなかで、唯一、人間の思うようにならないことは、実は、人間自身なのだ。人間の感情は、自然そのものであり、簡単に操れるものではない。だから今日の人間は、自分自身の感情の揺れ動きや、人間関係のなかで生じる複雑な心理模様に、強いストレスを感じてしまう。

 現代社会の特徴を一言で言うなら、退屈とストレスではないかと思う。ストレスをつくり出す原因が社会に数多くあるというより、一人一人の人間がストレスを感じやすい体質になっている。

 話は変わるが、日本人の平均寿命が八〇歳を超え、高齢者の介護の問題が大きな社会問題になっている。

 これまでセントケアという会社の介護の仕事の現場を数多く取材してきて、高齢社会のニーズに応えるためにだけ介護の仕事があるのではなく、現代社会の人間の心の救済に深く関わる智恵が、ここに宿っていることを実感する。

 都市化され人間の管理下に置かれていく世界のなかで、介護現場は、人間の思うようになりにくい世界だ。そこで働く人は、日々、様々な軋轢や葛藤と闘っている。その困難に耐えきれず、残念ながら辞めていく人もいる。しかし、その現場で数々の逆境を乗りこえて頑張っている人達からは、不思議なオーラが漂っている。

 彼らと接していると「いろいろあるけれど、頑張るしかないね」という前向きの明るさに満ちていて、胸をグサリと突かれることが多い。

 介護の現場では、頭であれこれ作りあげることよりも、実際の肌感覚が大事であり、計算通りにいかないことが多いから、人間としての勘とバランス感覚と忍耐力が磨かれる。そして、人生の無常や、身内と言えども発生する人間関係の軋みなどにも直面するし、絶望的な状況から人間が良い方向に変化していくことを目の辺りにしたり、心を閉ざしていた人が、介護者の心づくしによって少しずつ心を開いていくという感動もある。それら数々の悲喜こもごもの体験を踏まえて、ありのままの人生を受け入れていくような包容力が養われていく。生き甲斐という言葉を敢えて口に出さなくても、全身全霊で生きているという手応えのようなものが身体から滲み出ている。

 計算高い人たちに囲まれて、知らず知らず自分も計算高くなっていくのが現代社会の一つの特徴でもあるが、その卑小さを圧倒する大らかな領域が同じ社会のなかに同時的に存在していることを知って、感動させられることが多い。下手な小説や映画よりも、心を強く揺さぶられる。

 「自分の思うようにならないこと」に晒されている人が、必死に足掻きながら生きている姿のなかに、生き甲斐の真意が垣間見える。介護現場というのは、そうした人生の真理を、肌で教えてくれる。