１００歳で１人暮らしのお婆さんがいる。このお婆さんは、足が不自由だから、外出する時は、車椅子を使う。家の中にいる時は、床を這って進む。そして、自分で料理をつくり、洗い物もする。介護ヘルパーが週に二度ほど入るが、自分でできることは自分でやるということをモットーにしている。
このお婆さんの特徴が現れているのは、買い物だ。ヘルパーに車椅子を押してもらって買い物に行く。雨が降っている時、ヘルパーが「変わりに買い物をしてきましょうか？」と尋ねても、首を横に振って、雨合羽を着て自分も必ず行く。品物を選ぶ時も、必ず、自分の手で確認する。特に野菜などを買う時は、手に取って、手触りとか重さとか確認しながら、じっと見ている。
食べ物などの買い物をするという行為は、とても脳を活性化するのではないかと思う。自分の体調などに合わせて何を食べたいか決める。献立も考える。そして材料を選ぶ。その時、自分の目で見て、手で触って、品質や値段などが適切であるかどうか判断する。買い物をするという行為のなかで、自分の眼差しや肌感覚を総動員して、近未来をイメージしたり、モノゴトを判断したり決断したりするわけで、脳のいろいろなところを使っているという感じがする。
年をとっても、自分で自分の食べるものを買って料理するという習慣をつけると、惚けることがないのではないかと思ったりする。また、このお婆ちゃんは、足が不自由なのに家のなかで誰の手も借りずに生活しているので、必然的に、床を這わなければならない。床を這うという行為は、腕の筋肉とか背筋とか腹筋を使うだろう。そうすると、そうした筋肉が鍛えられる。もし誰かが手助けしていたら、このお婆ちゃんは、床を這うこともできず、きっと寝たきりになってしまうのではないかと思う。
今日、弱い人を助ける行為が美徳になっているが、安易にそれをやってしまうと、その人の生命力を殺いでしまうことにもなる。
簡単に手を差しのばしてしまうことよりも、ハラハラしながら、その人のことを念じるように見守り続けることの方が大変だ。もちろん、その見極めが難しいのだが、基本的に、人間の潜在的可能性を信じることが大切だろう。
人間は困難な状況に陥ると、自分の頭と身体をフルに使って自力で何とかしようとする。その力こそが、人間の生命力だ。
できるかできないかを頭でっかちに決めつけてしまうのではなく、自分の心と身体を頼ってやってみる。そうすると、自分が思っていた以上にできることがあるだろう。「自分が思っている以上にできる」という経験をたくさん積めば、理屈では説明しきれない人生や世界の機微もいろいろわかるようになるだろう。そして、自分の言葉でモノゴトを語れるようになるだろう。
この１００歳のおばあちゃんは、人生のモットーをはっきりと口にした。それは、「苦しい時ほど、自分を信じなくてはいけない」という言葉だった。
自分の身体や心をあてにせず、間接的情報ばかりを頼っていたら、モノゴトの機微を読んで自分で判断する必要もなくなる。また、答えを得ることだけが大事になって、そこに至るまでの「対話」はたんなる手段になってしまう。つまり、まわりくどい道筋を辿るくらいなら、どこかに記録されている「正しい答え」を引き出せばいいというスタンスになるのだ。
そういう人は、どんな出来事でも、その出来事ならではの固有性があることがわかっていない。他の答えをステレオタイプ的に当てはめると、矛盾が生じることがわかっていない。モノゴトの「答え」が常に流動的で、その都度、自分の力で掴み取らなければならないものであることがわかっていない。掴み取るために、自分の様々な感覚を敏感にすることができない。だから、必然的に機微を見落とす。仕事上の打ち合わせなどにおいても、大事なことを掴み損ねる。対話の流れや、その場の空気を読んで手を打つということができない。
間接的情報に目を曇らされないためには、歩けない場合は自分の両腕を使ってでも床を這い、自分の手でキュウリや大根を触って確かめ、鮮度やコストパフォーマンスを判断し、それを使ったメニューを思い描き、そのようにシミュレーションして作ったものを自分の舌で味わってみたり、人に食べてもらって意見を聞いたりすることの繰り返しが必要なのだろう。
食べ物以外のものでも、そうしたスタンスが大事なのだろう。
自分が食べるものや、それ以外のことを、「何でもいいや」などと思ったり、手で触れたり自分の眼差しで確認することがなくなったり、人の意見ばかり当てにして自分の身体や心で判断しなくなったりすることが、総合的な生命力の減退の第一歩なのかもしれない。
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