生と死の遊び

 「風の旅人」で連載中の酒井健さんが、「生と死の遊び」という単行本を出した。オールカラーで、「風の旅人」に掲載された絵も全てカラーで紹介されている。出版社は、魁星出版。

 この本は、「風の旅人」の創刊号〜21号までと、新たに縄文時代についての文章を書き下ろして、それを付け加えたものだ。

 酒井さんが言う「遊び」とは、自分の殻を壊そうとする衝動を伴った人間的行為のことであり、その延長に芸術がある。

 今日のように、自己都合的な慰みや自己顕示欲としての表現などは、娯楽であっても「遊び」ではないし、ましてや「芸術」ではないと酒井さんは考えていると思う。

 おそらく酒井さんの考え方や感じ方は、今日の「アート業界」や「学界」では全く支持されていないと思う。はっきり言って、酒井さんは異端だ。

 しかし、その異端の酒井さんは、実を言うと、「風の旅人」の創刊時に、一番最初に決まった執筆者だったのだ。

 「生と死の遊び」のあとがきにも言及されているが、酒井さんが私の手紙と企画書を受け取ったのは、2002年12月25日。その翌日、パリに向かう前に、成田空港から電話で執筆を承諾する旨を伝えてくれた。

 その時の手紙の内容や企画書のことを私はすっかり忘れているが、「生と死の遊び」のあとがきに、私が酒井さんに書き送った「風の旅人」制作の理念の一部が記載されている。

 

「どんなに素晴らしい作品や研究成果も、そのメッセージを受信する人が自分ごととして受け止めないかぎり虚飾の一部として消費されてしまいます。だからそうならないために、客観的な情報提供ではなく、生身の人間としての体験と親交を言葉とビジョンに統合して伝えていくことに注力します」

 

 その後、「風の旅人」を21冊出してきて、ここに書いたことは殆ど意識したことはなかった。意識してはいないが、この文章を読むと、その当時と今と気持ちがまったく変わっていないことがわかる。

 そして、酒井さんも、以下のように書く。

 「一般に芸術作品は、その作者がどれほど強烈な個性の持ち主であっても、作者の生に収まりきらない息吹を発している。ゴッホが描いた絵、ガウディが制作した公園や建物は、作者を超えた広大な生、今なお勢いづいている生を発散させている。だからこそ、ゴッホやガウディと縁もゆかりもない我々現代の日本人の心をも深く捉えて、揺さぶってくるのである。

 客観的な情報や学術的な研究データは、このような生の体験を語るための道具にすぎない。この道具の収集にのみ満足している人間は、財テクで金を得ることに終始している事業家と同じである。知識欲と金銭欲は同じ次元にある。博識家と金満家は、手段、道具の次元に留まって、生への感受性を失った者のことである。

 とりわけ、人文系の学問に携わる若い人たちに私は言いたい。実証研究の彼方をめざせ。生の体験に発する思い(イデー)を語れ。イデーのシュートを放て、と。」

 ふだん酒井さんと話しをする時にも感じていることだが、こうして文章になったものを読んでも、芸術や学問に関する酒井さんの考えと私の考えは、とても近い。近いという言い方をすると、大変おこがましく、私は酒井さんのように極めていないけれど、酒井さんの言うことはとてもよくわかる。

 そもそも、酒井さんとの御縁も運命的なところがある。何年前か忘れたが、私は、酒井さんの「ゴシックとは何か」という本を、タイトルから判断して単なる教養物かなあと思いながら読み進めているうちに、いたく感動したことがあった。ちょうどその本を読んでいた頃、日野啓三さんの家のリビングルームにも同じものがあった。中をパラパラとめくると、あちこちに線が引いてあって、「これはとてもいい本だよ」と日野さんは仰った。実際に、日野さんは、その後、作家がその年に発行された書籍のベストスリーをあげるという雑誌の特集で、「ゴシックとは何か」を紹介したのだ。

 日野さんの家にたびたび遊びにお伺いしていた頃(日野さんの家に遊びに行くという“遊び”は、私にとって、酒井さんが意味するところの遊びであり、自分の殻を壊す衝動に基づく行為であった)、日野さんが読んでいたり薦める本は、片っ端から読んでいた。実を言うと、現在、「風の旅人」に連載していただいている保坂和志さんも、デビューの時から日野さんは高く評価していて、ある日、「面白いヤツがいるぞお」と私に教えてくれ、それ以来、私は、保坂さんの新作をずっと読み続けてきたのだ。

 「風の旅人」は、4年前の10月に日野さんが亡くなった時から創刊準備をはじめたのだが、その時、私は、「風の旅人」の創刊と日野さんの死の関係は、まるで意識していなかった。しかし、後から思えば、大いに関係があったのだろうと思う。

 それはともかく、日野さんを通して深いところで縁があった酒井さんは、毎号、「風の旅人」に生命を吹き込んでくれている。

 酒井さんは、一回一回を渾身の力で書いているので、それが一冊の単行本にまとまった「生と死の遊び」を読むためには、魂に相当な負荷がかかるだろう。でも敢えてその負荷を求める行為こそが、自分の殻を壊し、新たな生の力を得るための「遊び」なのではないかと思う。



風の旅人 (Vol.21(2006))

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