教育基本法改正の前に必要な大人の改心

 このたびの教育基本法改正などを見ても、子供をどう教育するかということばかりが論じられる。しかし、それよりも肝心なことは、大人がどうなるべきかなのではないだろうか。

 大人は、子供に好かれる人間になることより、子供に尊敬される人間になることを目指すのが大事なんだろうと思う。

 子供は親の背中を見て育つわけで、大人が自分たちの無責任を放置して、子供を何とかしなければならないなどと神妙ぶるから、おかしなことになる。

 たとえば、昨今の苛めの問題などにしても、大人は、子供の環境を何とかしなければならないと議論し、有識者や教育の専門家と呼ばれる人たちが、学校や政府や家庭がしっかりとすべきなどと偉そうに発言する。

 しかし、子供の環境というのは、「すべての大人世界」が含まれる。

 子供の環境をどうすべきかなどという命題にしてしまうと、大人は、自分のことを抜きに考えてしまう。だからそうではなく、大人の世界をどうすべきか、という命題にして議論をすべきだろう。

 大人の世界をどうすべきかということにおいて、明確な方向が一つある。子供に尊敬される大人になることを目指すことだ。

 大人のことを尊敬できないから、子供は、人生を悲観し、心が屈折する。時には、生きていてもしかたがないと思い込む。

 そういう意味で、現在は、昔に比べて、大人にとって不利な状況であることは間違いない。なぜなら、大人の仕事が目に見えにくいからだ。欠点だらけの大人であっても、仕事をしっかりとやる姿を子供が見れば、尊敬される可能性が高くなる。しかし、現在は、大人の仕事を子供が見ることがない。そのうえ、父親のいないところで、母親が、「お父さんみたいになったらいけないよ。ああならないように、あなたは、しっかりと勉強しなさいよ」などと言うこともあると聞く。それを聞かされる子供は、父親を見下し、同時に、蔭で悪口を言う母親を軽蔑するだろう。そういう父母の子供であることを呪うだろう。

 そして、職場と家庭が切り離された今日においては、その悶々とした気持ちを払拭するような父親の立派な姿を見る機会も無いから、子供は、頭のなかで誇大妄想のように大人のくだらなさを膨らませる。

 さらにテレビをつければ、人気者のお笑いタレントが、他の人間の頭をどついたり、罰ゲームと称して、苛めに見えるようなことを平気で繰り返す。

 人を見下し、下品なことをすればするほど人気者になるというテレビの世界から、子供たちは、知らず知らず影響を受ける。父母もそのテレビを見て、同じように馬鹿笑いをする。

 街を歩いていても、賑々しい広告、チラシが溢れかえり、消費者金融の派手な看板が目に突き刺す。携帯を持って画面を覗き込みながら歩いている姿や、電車内で化粧する姿、テレビ番組の内容、テレビゲームに代表されるように各人の趣味嗜好に至るまで、何を基準に大人と子供の区別をすればいいのかわからなくなっているのが、昨今の日本社会だろう。

 子供と大人の境界が溶けている。そうした現象を欧米は面白いと感じ、おたく文化だなどと言って、もてはやす。そして、欧米に誉められると、日本人はそれが正しいことのように錯覚してしまう。

 様々な価値観が溢れた社会で、「それぞれの価値観を尊重せよ!」というのが、昨今のインテリの主張だ。しかし、彼らの多くは、自分のなかの明確なモラルとしてそう言っているわけではなく、角を立てたくないというのが、本当のところだろう。物わかりの良い顔をしている方が、敵をつくらず、攻撃もされず、何かにつけて得なのだ。

 結果として、世の中は何でもありの状況になる。大人はそれでかまわないかもしれない。しかし、子供の立場から見ればどうなんだろうか。

 「何でもあり」という大人の口実は、確信を持って何一つ言えない大人の詭弁にすぎないことを、子供たちは直観しているのではないか。

 子供たちからすれば、大人たちに対して、「何でもあり」ではなく、「子供が信頼できることや、尊敬できるものを態度と行動で示してくれよ!」という気持ちになるのではないか。

 大人たちが、口では多様な価値観と言いながら、実際には、画一的な規格のなかに人生を押し込めて縮こまっていることを子供たちは知っている。だから、そこに嘘があることを見抜かれている。

 私たち大人は、子供の環境をどうするかと偉そうに議論するのではなく、自分たちが、子供たちに尊敬される大人であるためにはどうすればいいかを議論し、修正すべきところを修正していく努力から始めなければならないのではないか。

 昔に比べて時代が悪いと開き直れば、状況は悪化していくばかりだろう。

 子供たちに尊敬される大人であるためには、第一に、テレビ番組の在り方を変えなければならないのではないか、というように、具体的な問題が見つかる。テレビ局が変わらなければ、父母から変わればいい。

 子供に嫌われることよりも尊敬されない大人であることの方が、辛いのではないかと思う。そして、子供もまた、尊敬できない大人だらけの社会に、将来、自分も入っていくことが、耐えられなく辛いことなのだと思う。

 子供たちがモノゴトを尊び、敬うことが当たり前のようになる社会。その実現のために、教育の力を用いようとする動きがあるが、それは極めて不自然なことだ。モノゴトを尊び、敬う気持ちは自然の本性に基づくことであり、自然にそう感じられるようにならなければならない。

 しかし、放っておけば自然にそうなるのでもない。

 子供たちにとって、もっとも身近な存在の大人を、尊び、敬う気持ちが身についてこそ、それ以外のことに対しても同じ気持ちが芽生え、育つ。

 子供たちに対して、大人を尊敬させようと力づくで教育を行っても、絶望的に不可能なことだ。

 大人が自分を変える努力をすることなくして、子供心に、尊敬や敬意は育まれないと思う。



風の旅人 (Vol.22(2006))

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