自分で自分を希薄化させない言動

 企業の人を相手に仕事をしていて、脱力してしまうことが時々ある。

 ●●さんと、いろいろ打ち合わせをしているにもかかわらず、「この不明な件については、後ほど●●さんに確認すればよろしいですね」と問うと、「別に私でなくてもいいんですけどね」と、簡単に言ったり、そういう態度をとったりする人がいる。

 実際に、企業の「情報」というのが、その人でなければわからないというシステムになっていないということもあるが、何かしらの形で人と関与が発生した時には、その関係性のなかの時間が発生しているので、同じ情報でも伝え方が異なってくると私は思う。

 「情報」は誰が扱っても同じ「情報」であるが、その「情報」から何かを立ち上げていく時は、「情報」そのものよりも情報のニュアンスやバックグラウンドの方が大切なのだ。

 そのニュアンスやバックグラウンドは、全てを伝えきれるものではなく、何を、どのタイミングで、どれだけ、どのように伝えるかは個人の裁量によるところが多い。その個人の裁量に、個人の顔が現れると思うのだが、どうやら「個人の顔」を仕事に介在させたくない心情が働いてしまうようなのだ。

 だから、たとえば仕事に取り掛かる一番最初のオリエンテーションなどにおいても、断片的なメモしかくれない。誰かを取材するのであれば、その人を取材する会社の必然みたいなものを知りたいのだが、そのあたりがよくわからない。取材候補の名前とか業績みたいなものしかない。「その人の業績がすごい。だから取材する。」という論法は、わからないでもないが、そういう理由にすぎないのであれば、今でなくてもよいわけだ。また同じように業績のすごい他者でもよいわけだ。

 業績のすごさというのは、客観的に誰でもわかる情報なので、選択者の感性や判断をしのばせる必要がない。そういうスタンスに触れると、私はいつも無責任だなあと思ってしまう。でも担当者は、無責任だなんて微塵も感じていない。

 自分に責任がかからないようなシチュエーションをつくってモノゴトを進めていくことは、意志的であれ無意識であれ、私は無責任だと感じる。当人は無責任だと自覚しないがゆえに、よけいに質が悪い。

 なぜなら、どんなことであれ自分が介在するということは、結果的に何ものかの状況変化を生じさせるものだからだ。だから、その起こりうる状況変化に対する責任意識が強い方が、より慎重に、より周りとの関係のなかで最善を考慮してモノゴトを進めようとする。

 誰がやっても同じだからという程度の当事者意識の弱い感覚だと、微妙な状況変化に対するアンテナが働かない。だから、その仕事を進めていく上で生じてくる問題に対して、事前に勘が働かない。対応が後手を踏んでも、当人は、「自分はただ目の前に生じた問題に誠実に対応しようとしているだけだ」と考えているから、自分に原因があるなどとは露ほどにも思っていない。そのようにして後手を踏み続けるので、問題がどんどん複雑になる。全ては最初の判断と動きで大半が決まってしまっていたということが多々あって、それを修復するのは、すごくエネルギーが必要になるのだ。 

 選択者の感性や判断は、選択したモノゴトに現れるのではなく、なにゆえにその選択を行ったのかというところにこそ顕現する。

 つまり状況掌握をして判断するために、左右の天秤にいろいろな重りを乗せていくわけだが、天秤に乗せていく重りこそが、その人の感性や判断なのだ。結果的に何を選んだかというより、その左右の天秤にどれだけたくさんのものを積みあげているかという内実の方が、大事だ。一つのことを選択するのに、左右に、「好き嫌い」と「世間体」と一つずつの重りしか載せないのも、様々な要素を積みあげても、結果して選ばれるのは同じだ。しかし、積みあげられた内実の厚みがあってこそ、結果的に得られた「情報」を元にして何かを立ち上げていく時に、応用が利く。つまり、相手に言われた型通りのものを作るのではなく、どこまで幅をもって作ることが許されるかという判断になっていくわけだ。

 その幅が、自分ならではの仕事だと私は思う。その幅をまったく許されないのならば、自分がやらなくてもいいだろうという気になる。そのようにして自分を希薄化させていくことは、自分をどんどん狭いところに追いやっているようで、とても息苦しいと私は思う。

 仕事をする時は、どこまで自分の裁量に従った「幅」が許されるかが気になるので、私は常にそのことを探っている。その「幅」こそが、自分の責任領域だ。その領域を広げれば広げるほど、責任範疇も広くなる。責任をまったく持ちたくなければ、その領域を狭めるしかない。つまり、自分ならではの幅は不要になる。自分の幅のないところに自分を押し込めて仕事をする癖がついてしまうと、「責任問題」に過敏に反応してしまい、ますます幅のないところに自分を置こうとする。そのようにスパイラル状に、官僚化というものは進むのだろう。

 官僚化は、何もお役所の専売特許ではない。

 モノゴトを選択する時、左右の天秤に自分ならではの重りを積み重ねていこうとせず、

選択の根拠として、「周りがそうしているから」、「前任者がそうしていたから」、「上司がそう言うから」、「そういうものだと思っていたから」等々しかなくなっていくと、必然的に官僚的な態度になっていくのではないかと思う。

 将来の道でもなんでも、「何を選択したか」という結果については、たまたまそうなったり、周りの強要があったり、自発的なものであったりと様々なので、「その人らしさ」とは関係ないと思う。

 選択するにあたって、左右の天秤に「何を」、「なぜ」、「どのタイミングで」、「どれだけ」「どのように」載せたかということに、「その人らしさ」が現れているのではないかと思う。 

 

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