愛の教育について

 今国会で審議中の学校教育法改正案に、「規範意識」、「公共の精神」などの文言が並び、「徳育」が正式教科化された。

 今の子供は自己中心的だから、教育でそれを正すのだそうだ。

 自分よりも公共を大事にしろと言う。公共の利益というのは、その延長に国の利益があり、国を愛し、国の利益を守るために生きることを大事にすることを教育で教え、その教育効果によって国民の意識を変えて、国民投票に結びつけていこうとしているのだろうか。

 「自己中心的」の改善を、いっきょに「公共精神」に結びつける発想がおかしい。

 公共を相手に誠実に務めることは、たとえ自己中心的な者でも、打算があればそれができる。メリットがあればそうするけれど、メリットがなければそれをしない。それが、私たち大人の公共精神ではないか。オフィスで床にタバコの吸い殻を棄てずに、道でそれができてしまうのは、オフィスという公共の場の方が、道ばたという公共の場よりも自分にとって利害関係が大きいからにすぎないだろう。

 自分の利害関係がオフィスから国全体に広がると、その国のなかでタバコを棄てなくても、海外ではそれができる。実際に、汚染物質を、自分と利害関係の弱いところに棄てるということは、現在のわれわれの公共精神によって、行われている。他国に平気で爆弾を落とせるのも、自分と利害関係の強い公共の場の安全を守るためであり、その外は、関係ないのだ。

 「自己中心的思考」と「公共の利益」は、実は、同じ思考の裏表なのだ。

 公共意識というのは、自己意識が発達するからこそ成り立つ。自己意識の弱い人は、公共意識も弱い。公共意識は自己と他者の区別ができてこそ生じる概念だ。そして、自己と他者を区別しはじめると、人間は必ず自己の利益を優先したいと考えてしまう性質があるのではないか。すなわち「公共の利益を守りましょう」と教える時は、「それが結果的にあなたの利益でもあるのですよ」という言い方で教えることになる。公共のルールという概念を持ち出すにしても、「それをみんなが守らなければ、あなたの安全も損なわれるのよ」ということになる。だから、いくら地球という公共の大切さを説いたとしても、ある局面のなかで自国という公共の利益の方が大事になる場合は、そちらが優先される。それが会社という公共である場合もある。常に人間にとっての公共は、自分の利害関係次第で、その守備範囲が大きくなったり狭くなったりするだけなのだ。

 そういう自分の利益とは別に「他者」を大事にすることを教えようと思えば、それは「公共の精神」ではなく、「愛」を教えることだろうが、学校のカリキュラムでそんなことができるのだろうか。

 そもそも、教師に限らず、「愛」を教えることができる大人がどれだけいるのだろう。

 「愛」は教えることなんかできない。教えようと思った瞬間、別のものになってしまう。「愛」は、誰であれ、自分の身をもって示すしかないことだろう。子供に「愛」を教えようと思えば、子供を愛するしかない。

 身を持って示す場合でも、とくに難しい問題は、「愛している」ということを理由に、自分の狭隘な価値基準や都合を相手に押し付けやすいことだ。

 「あなたのためを思ってやっているのよ」という言い方で、自分が行っていることの内容が吟味されないことが多い。

 そして、そのように「愛」を口実にされて行動されると、意義の申し立てがしにくい局面が多い。

 「あなたのためを思っているのよ、遊んでばかりいないで、しっかり勉強しなさい、いい大学にいきなさい」とか。それに反発すると、「どうして親の心配がわからないの」などと。こうした愛に関する確執は実に多い。

 こうした愛の押しつけもまた、愛の一種には違いないだろうが、「ボランティア」をはじめ、愛してさえいれば行為が正当化されるという今の状況を脱して、その行為自体が本当に相手のためになるかどうかによって、愛の質を吟味することが必要になっているのではないだろうか。

 「ボランティア」などでも、現地にとって迷惑なだけのものも多くある。

 国家愛などという概念が出てきそうな今日においては、「愛」という言葉に寄りかかるのではなく、言葉など関係なく、「愛する方法」そのものについて、深く考えることが大事ではないか。

 もし「愛」の教育があるとすれば、「愛」の大切さを抽象的に説くことではなく、「愛する方法」について、様々なケースを元に、様々な角度から議論して考察を深めていく機会を子供に与えることではないかと私は思う。

 いくら「愛」という言葉を口ばしっていても、その行動内容はとても自己都合的で、本当の愛になっていないことが多いね、ということを理解していくこと。

 ストーカー、迷惑ボランティア、正義と愛を大義名分にした戦争、会社への愛を主張してのさばる老人顧問、愛と躾という名の虐待、親の子供への過剰な期待と生き方の強要など、「愛」について考察を深める題材はいくらでもある。良い題材が少ないのが問題だが。



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