北斎の絵の魅力

 

 両国の江戸東京博物館で開催されている北斎展が、とてもよかった。

 久しぶりに、絵画を通して、驚きとか、ときめきを感じた。

 緻密とダイナミック、動と静、不気味とユーモラス、相反するようなことが絶妙に配置された画面全体からは生き生きとした躍動感が伝わってくる。

 自我の殻のなかで息苦しく蠢くような絵画手法とはまったく無縁のところで、爽快なまでに作者の自我が滅却され、筆と作者の呼吸が一体化して、世界をのびのびと描ききっている。

 北斎の絵を見ていると、彼が、感心と感嘆と敬意の気持をもって世界や人間に眼差しを注いでいることが伝わってくる。

 とりわけ今回の展覧会では、江戸の町で働いている人々をモチーフにしたものが多く、一枚の絵のなかに様々な仕事をしている人たちが描かれている。別々の仕事をしている人々の全体の動きは、とてもリズミカルで躍動感に満ち溢れており、それらの人々の手元や目元や構えなどには、熟練者ならではの柔らかさと集中が感じ取れる。北斎の絵は画面全体からは力強さを感じ、細部はとても繊細なのだが、彼に描かれる職人達の仕事っぷりも同様なのだ。

 北斎の絵を通して、江戸の町の仕事の多彩さ、職人達の見事な技、彼らが誇りと喜びと楽しみを感じながら仕事に取り組んでいることが伝わってきて、見る方も、感心と感嘆と敬意の気持が生じる。おそらく、北斎も、彼が描く江戸の職人と同じような気持で仕事に取り組んでいたのではないかと想像できる。

 そして、江戸の町中、部屋の中、川沿い、海沿い、田園など、それぞれの風景も素晴らしい。描写の見事さや美しさはもちろんだが、絵を見ていると、それらの絵の風景のなかにいる人たちが、とても楽しく、心穏やかで気持のよい時を過ごしていることが感じられる。

 北斎の絵は、部分が集まって全体ではなく、全ての部分がそれぞれに完成している。そこだけを抜き取っても素晴らしい絵になる。それぞれの部分が完成していながら、他の部分と絶妙な関係にある。それぞれの部分の動きが他の部分の動きと一緒になることで、全体の躍動感が増大する。

 大きな仕事を、それぞれの部分で別々のことをしながら全体として見事に完成させていく。一部分でも不完全があると全体も損なわれてしまう。また、神楽の情景を描いた絵でも、演じるものと、それを見る者の両方を丁寧に描ききっている。それぞれ個々に完成しているけれど、場全体の活力は、双方が相互に関係し合うことで、より強くなるのだ。

 風景においても、“動”の波と、“静”の富士と、異なる二つのものが一つの場のなかで関係し合うことで、互いの存在感を高め合い、力を引きだし合い、場全体の生命力が増す。北斎の絵は、そのように常に相反するものが、それぞれ個々に完成しながら、一つの画面のなかで相互依存的に関係し合うことで、全体としての力を増大させている。

 それこそが宇宙の摂理であると北斎は直観し、類い希なる力量によって、また自らの仕事や被写体に対する愛情をもって絵画世界の中に反映させた。北斎の絵が生じることで、彼に描かれた被写体もまた、北斎の絵との相互依存的な働きのなかで、より生命力を増大させているように見える。