実生活力!?

   昨日行われた全国学力テストでは、学力を実生活に活用する力を意識した出題傾向が強まったらしい。学校で習ったことが実生活で応用できるかどうかを計るのだそうで、昨日、ニュースで、その出題を見た。
 「部屋の中に机が置かれ、ドアを開けた所までの距離にタンスを二つ置きたいのだけど、置けない。その理由を答えなさい」という問題だが、「実生活」とちょっと違うんじゃないかなあと思わざるを得なかった。
 机とドアを開けた所までの間の距離がわかっていて、タンスの横幅がわかっている。それで、机の横に並べられるかどうかということなんだけど、それだったら、単純に、机上の算数問題にすぎないだろう。敢えて、「実生活力」などと言う必要がない。
 タンスを横に並べて置けなくても、上に重ねたり、縦に置いて、ドアを開けるとタンスを引き出せないが、閉めた時に可能だという発想もある。またタンスを横に並べて置く場合でも、ドアが4分の1くらい開けば出入りは可能だ。
 裕福な家でもないかぎり、家具を整然と横に並べられるわけもなく、何らかの工夫をして使えるようにするのが実生活では普通ではないか。
 私が気になったのは、実生活力を鍛える問題にもかかわらず、「タンスを置けない。置けない理由を述べよ」という出題形式だ。
 実生活において、仕事など特にそうだが、「できない理由」を考えることは、みんな普通にやっている。「できない理由」を考えさせることは、現代社会における教育で、知らず知らず頻繁に行われているのだ。
 だから、何かをやろうとしても、まずは、「できない理由」を考える癖がついている。
  何とかしてやってみる方法を考えることが創発力につながり、それが実生活力だと思うのだが、出題者は無意識のうちに、「できない理由」を考えることが実生活力だと思ってしまっているのかもしれない。「物事はやり方次第でできる」という発想を持っている人は、教育現場にはあまりいないのかもしれない。
 「実生活力」を鍛える問題というのは、出題する人の実生活力が表面化する。これらの出題者は、本当に実生活力に優れた人たちなのだろうか。もしかしたら、社会の現状に合わせて生きる処世に長けたことを「実生活力」と考えているのではないだろうか。
 与えられた条件でソツなくこなすという力よりも、与えられていない条件を探しだしてくる力の方が大事だと思うが、与えられていない条件を探し出すということがどういうことなのかピンとこない人には、それは無理だろう。
 子供の実生活力を鍛えるためには、それを教える側に実生活力が必要なのだが、「子供の実生活力をあげるために現場任せにするのではなく、効果のあがる良い方法を、教育委員会などでまとめて指導して欲しい」などという声をあげる教師が多いというのだがら、ちと難しいかもしれない。教師の研修で「実生活のハウツー」を身に着けるというのは、もはや実生活力とは別のものだろう。
 本当の実生活力というのは、自分で道を切り開く力のような気がする。旅を例にするとわかりやすいけれど、決められた日程をソツなくこなすことのではなく、自分でルートをつくりだし、トラブルがあれば、その都度、判断するための情報を収集して、必要に応じて適切な人間にアドバイスを求めてやりくりしていくのが、実生活力だ。

 しかしどうやら文部省は、そこまでのことは望んでいないらしい。というか、そもそもお役所の人は、人生を旅だと発想していない可能性が高い。

 とすれば、彼らの考える実生活力っていったい何なんだろう

 テストの点数はいいけれど、生活力がない人が増えているという危機感からの発想だろうが、実生活力がハウツー化することで、ますます「実生活力」のない人間が増えるような気がする。

  実生活力って、けっきょく、「勉強」ではなく、「遊び」を通して身に着けて いくものではないか。言葉のうえで幾ら勉強しても「実生活力」にはならないだろう。「遊び」という「事物」との触れあいこそが、「実」の感覚を身に着ける最善の手段なんだろうと私は思う。