第1275回 人類の時空に対する意識と、歴史のサイクル。

小樽の忍路環状列石。

 11/21(月)の19:00-21:00   京都のIMPACT HUB KYOTO  https://kyoto.impacthub.net/

 で行うトークにおいて、どういう切り口でやろうかと考えているのだけれど、今回は、歴史というより時空の話をしようと思う。

 われわれホモ・サピエンスは、時空に対する意識を、強く持っている。自分が、今、空間的に、時間的に、どこに存在しているのか? という永遠の問い。

 ホモ・サピエンス特有の自己意識は、自分と他との関係、位置関係や距離関係への意識となる。

 ホモ・サピエンスが、歴史や神話を創造したことも、事実を記録したかったからというより、こうした時空に対する意識があったからだろう。

 古代から暦が作られているのも、単に実生活において役立てるためだけではない。自分を取り巻いている世界は、常に動いており、しかも、それは規則性があるということを、ホモ・サピエンスは認識していた。

 だから、祭政一致の時代には、政治的に重要な事柄を決める会議は、まずは神祇官が、適切な日や時間を、卜占で決めた。物事は、そのサイクルの中でこそ、その意義が決まってくるからだ。

 現代社会では、まずは予算があって、必要な物が決められ、それをいつ作るかという発想になる。

 個人でも同じで、欲しいものがあって、予算に照らし合わせて、いつ買うか決める。

 現代人は、この感覚を当たり前だと思っているが、この感覚は、自己が他との関係で成り立っているという感覚が薄れてきたなかで生じる感覚だ。人間の手で管理された人工的な環境の中で生き続けているとそうなる。

 自然の中から恵みを得て生きていると、その時々、得られるものが限られているわけだから、そういうわけにはいかない。

 だからこそ、ホモ・サピエンスにとって、サイクルを知ることは重要だった。

 自分個人の生き方を決める前に、まずは、自分が生きている世界全体のサイクル(時空)を把握しなければならない。

 今の自分は、そのサイクル(時空)の中の、どこに位置しているのか。

 私が、高性能のデジタルカメラではなく、ピンホールカメラを使って、日本人が古くから大切にしてきた場所などを撮影しているのは、今そこに在る物を明確な形で記録したいからではなく、その物の背後に流れる時空を感じ取りたいから。

 高性能レンズは、今目の前に存在する物を鮮明にとらえるが、今という時代の一部分を凝視するのではなく、全体を眺め渡すようにして考えた方が、部分と部分、前と後の関係に気づきやすい。

 日本人が古くから大切にしてきた場所は、他の場所と、いくつかの共通点がある。その共通点に関係の広がりを重ね合わせると、時空が出現する。

東経140.90にそって、北海道の小樽から東北まで、環状列石や、縄文の重要史跡が並んでいる。

香取神宮から、諏訪大社伊勢神宮高野山、(卑弥呼の墓説もある八倉姫神社)、高千穂といった重要聖域が中央構造線上に並び、その各聖域から距離的な法則をもとに、島根の出雲大社の位置が決められている。香取神宮から諏訪大社までの距離と、諏訪大社から伊勢神宮までの距離が同じで、香取神宮から伊勢神宮までの距離と、伊勢神宮から出雲大社までの距離が同じ。さらに、伊勢神宮から八倉姫神社までの距離と、矢倉姫神社から出雲大社までの距離が同じで、八倉姫神社から高千穂神社までの距離と、高千穂神社から出雲大社までの距離が同じ。


 その場所が、どこと繋がっていたかだけでなく、何ゆえにつながっていたのか、何を結び目としてつながっていたのかが、おぼろげながら見えてくる。

 そうした探求は、過去のことが知りたいからだけでなく、私が今生きているこの時空が、大きな時空の中で、どういう位置にあるかを知りたいという、ホモ・サピエンス本来の欲求によるものだ。

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11/21(月)19:00-21:00   京都のIMPACT HUB KYOTO 

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